#32 精霊の里
「じゃあ、行ってくるわね、エドガルド。」
「ああ、頼んだぞ。」
「ねえ、分かってるわよね?」
「何がだ?」
「決まってるでしょう。報酬よ。」
「報酬?いや、もはや不要だろう。そんなことをしなくても……って、おい!」
「誰がお金が欲しいなんて言ったのよ!分かってないわねぇ!」
「いや!分かった!分かったから……」
クラーラは、交渉官に抱きつく。そして、アイリーン達に構わず、その唇を奪いにかかる。
出発前に、突然始まったこの出来事に唖然とするアイリーン一行。クラーラは手を振って、アイリーンの元に来る。
「……随分と、派手なご挨拶ね。」
「そう?別に普通よ。」
「あの交渉官殿とあんたって、いったいどういう関係なの?」
「ああ、私達、夫婦なの。」
「はあ!?夫婦!?」
「そう。おかしいかしら?」
「いや、おかしくはないけど……ちょっと、ね。」
「彼はああ見えて、とても優しいのよ。だから私、惚れちゃった。だから絶対に、他の誰かに奪わせないって決めたの。」
「はあ、そうなんだ……」
エドガルド交渉官は35歳だという。この歳まで独身だった彼は、まるで火のように熱いこの魔導士に、すっかり取り込まれてしまった。
それにしても、随分と物好きな魔導士もいたものだ。弱冠二十歳のこの魔導士は、どういうわけかあのおっさんにすっかり惚れてしまったらしい。
エルヴェルトの哨戒機に乗り込んだ5人は、その精霊の里の入り口に出発する。
上空から、帝都を眺める。たくさんの石造りの家々の上を飛びながら、アイリーンは向かう先のことをクラーラに聞いていた。
「で、その精霊の里っていうのは、どんなところなの?」
「そうね。精霊がいるわ。」
「そりゃそうでしょう。精霊の里って言うくらいだから。」
「一見するとただの森だけど、入り口付近には妖精がたくさんいるわ。」
「そうなの?随分と穏やかなところね。」
「そうでもないわ。そこでは決して、心を乱してはダメ。」
「どういうこと?」
「何をされても、無視するのよ。さもないと、妖精に取り込まれるわ。」
「何よそれ?おっかないわね……」
いきなり物騒なアドバイスを受けるアイリーン。そうこうしているうちに、森の上空にたどり着く。
「クラーラさん、どの辺りに降りればいい?」
「あの木々がなくぽっかり空いている場所、あそこに降りて。」
「了解した。」
クラーラが指定した場所に着陸するエルヴェルト。ハッチを開けて、5人は降り立つ。
「さてと、ここがその精霊の里への入り口よ。」
「……入り口なんて、全然見えないわよ?どこにあるのよ。」
「そりゃあ目には見えないわ。でも、選ばれたものならそこを潜り抜けることができるの。」
「そ、そうなんだ。」
と言っても、そこは森の只中に開けた狭い草地。何もない場所だ。
「じゃあ、行ってくるわね。エルヴェルトにカナエ、それからエリシュカ、ここで待機しててちょうだい。」
「分かりました!」
「承知しました、アイリーン様。」
アイリーンに応えるカナエとエリシュカ。だが、エルヴェルトはニコニコとして、黙って立っている。
「……何よ、エルヴェルト。気持ち悪いわね。何か変なこと、考えてるでしょう?」
「いやあ、さっきのクラーラさんのアレを見てさ……」
「あれって……ちょ、ちょっと!何を……」
エルヴェルトは、いきなりアイリーンに抱きついて、そしてキスをする。急に唇を奪われて、もがくアイリーン。
「……プハー!あ、あんた!なんてことするのよ!」
「いいじゃないか。アイリーンが無事に帰ってこられるよう、おまじないをかけたのさ。」
「そそそそんなまじないなんて聞いたことないわよ!人前で、なんて事してくれるのよ!」
「大丈夫だよ、ほら、ここには僕ら5人しかいないし……」
そうエルヴェルトが言いかけたとき、もう一人、別の人物がいることに気づく。
「あ……」
抱きついた2人を見て、立ち尽くすその人物。だが、どこか妙だ。
耳が長く、さらさらとした金色の髪の毛、そして、緑色の服をまとったその人物。
クラーラが、その不可思議な格好の人物に向かって叫ぶ。
「ああっ!マイリスじゃないの!あんた、また里を抜け出して!」
「ひええっ!く、クラーラ!なんだってここにいるの!?」
「こっちが聞きたいわよ!あんた、抜け出したことがバレたら、今度こそ追放されちゃうわよ!」
「だ、だって……」
「今ならまだ引き返せるわ!とにかく、里に行くわよ!」
それを見たアイリーンは、エルヴェルトに抱かれたまま、尋ねる。
「……誰?」
「ああ、彼女はマイリス。見ての通り、エルフよ。」
「え、エルフって……じゃあ精霊の里に住むという……」
「そう。彼女は、こう見えても精霊の一人。」
「じゃあさ、見た目は娘だけど、めちゃくちゃ歳をとってるとか。」
「な、何を言うんですか!僕はせいぜい170歳です!」
突然叫んだそのマイリスというエルフ。だが、アイリーンは愕然とする。
「ひゃ……170歳って……どう見ても17歳くらいなのに……」
「まあ、エルフだからね。見た目の10倍は歳をとっていると思った方がいいわ。」
「そ、そうなの?」
金色の髪の毛のそのエルフは、まじまじとアイリーンを見る。
「クラーラ、誰ですかこの人?」
「ああ、接触人だってさ。」
「コンタクター?なんですか、それは?」
「長に会って、連合との同盟を成立させるんだってさ。」
「ええーっ!?それってこの間、クラーラが長に話して断られたばかりじゃないですか!?」
「だけど、エドガルドは諦めてないわよ。そこで接触人に来てもらったというわけ。」
「へぇ、そうなんですか。でもここは、普通の人は入れないよ?」
「大丈夫よ。普通の人じゃないから。」
「そうなんです?でもなんだってその普通じゃない人が、男に抱きしめられてるんですか?」
そこでアイリーンは思い出す。そして、アイリーンはエルヴェルトに叫ぶ。
「ちょっと!いつまで抱きついてるのよ!」
「あはは、抱き心地がいいから、つい……」
「私は抱き枕じゃないわよ!何考えてるのよ!」
なんとかエルヴェルトを振り払うアイリーン。そして、そのエルフに挨拶する。
「私は、接触人のアイリーンよ。」
「僕は、マイリスと言います。ご覧の通りエルフです。よろしくです。」
「は、はあ……」
あきらかに容姿は女なのだが、妙な一人称を使うこのエルフに若干戸惑うアイリーン。
「じゃあ、行くわよ。アイリーンとマイリス。」
「分かったわ。それじゃあ、エルヴェルト。」
「気をつけてね、クラーラ。」
「気をつけてね、じゃないわよ!マイリス、あんたも行くのよ!」
「イタタタ……み、耳は引っ張らないで……」
クラーラはこの脱走エルフの耳を引っ張りながら歩き始める。アイリーンも、その後ろをついていく。
「お待ち下さい、アイリーン様!」
と、突然、エリシュカが声を上げる。
「エリシュカ。こんな時にどうしたの?」
「アイリーン様に、ある一節を贈ります。」
「何よ突然、一節って?」
「疾きこと風の如く、静かなること林の如く、侵略すること火の如く、動かざること山の如く……」
「は?」
「……知り難きこと陰の如く、動くこと雷霆の如し。」
「……なによ、それ?」
「ある兵法書の言葉です。その場の状況に応じて、臨機応変に対処せよ。そういう意味でございます。」
「そ、そうなの?」
「アイリーン様、無事のお帰りをお待ちしております。」
深々と頭を下げるエリシュカ。そんなエリシュカを見ながら歩くアイリーン。
だが突然、エリシュカの姿が消える。
急に周りが、一変する。森の中には違いないが、木々が明らかに違う。
「ここは……」
「ここが、精霊の里よ。」
「精霊の……里……」
哨戒機もない。そこにいたはずのエルヴェルトの姿も、今はもう見えない。
アイリーンは、この不思議な場所に足を踏み入れた。




