#25 救出
このカンパニーア神国は、120年もの間、神託を頼みに運営されてきた国家だ。
それゆえに、緊急時に人が即座に判断するという発想が、存在しない。
元々この国は比較的北の国であり、熱帯低気圧は到達することは滅多にない。あっても100年に一度程度しかないと言われている。
だがその100年に一度の熱帯低気圧が、今まさにそこまで迫っていた。
アイリーンは、住人や総主教に避難するよう呼びかける。しかし、この国の住人の回答は同じだ。次回の神託に委ねる。その一点張りである。
「なんだってあと2日後に来る熱帯低気圧のことを、23日後の神託で決められるっていうのよ!」
食堂のテーブルの脚を蹴飛ばしながら怒り狂うアイリーン。
「アイリーンさん、まだ外の天気は穏やかですから、実感がないだけですよ。雨が降り、風が強くなり始めれば、住人もきっと……」
「それじゃあ遅いのよ!駆逐艦の着陸許可、それに、仮設避難所の設置許可すら下りないのよ!雨が降ってからやったって、遅すぎるのよ!」
「と、とにかく、今できることからやるしか……」
「ああ、もう!なんだってここの住人はこうもトロくさいのかしら!そんなことくらい、さっさと決断すりゃあいいのに!」
「アイリーン様、お静かにお願いいたします。タブレット端末が揺れて、書物が読めません。」
テーブルを蹴飛ばすアイリーンだが、もちろんアイリーンとてただ手をこまねいているわけではない。司令部に対し、物資や人型重機の手配、それに救援要請を出していた。だが地上の方が、その要請を受け入れようとしない。いや、受け入れるかどうかを決めるための神託が、降っていないというのだ。
「……仕方がないわ。こうなったら明日、接触人権限で、勝手に神都の郊外に避難所を設置するわよ。」
「いいのかい?そんなことをしても。」
「この神都には、4万人の人が住んでいると聞いたわ。大雨が降って川が決壊でもすれば、その多くが逃げ場を求めて彷徨うはずよ。そうなれば結果として、みんな避難所に来ることになるだろうから、構わないわよ。」
で、翌日は、本当に勝手に仮設の避難所を設置し始めたアイリーン。その上で、さらに住人に避難を呼びかける。
雨はどんどんと激しくなってくる。風も強くなってきた。いよいよ、嵐の到来である。
だが住人のほとんどは、神託のない状態での避難行動に躊躇している。おかげで、4万人の住人の多くは神都にとどまったままだ。
「ねえ、副長さん!あの熱帯低気圧にこの艦で砲撃を加えたら、消えてくれないかしら!?」
「いや、かつてそういう試みが行われたらしいですが、かえって風雨が強まって、ひどいことになったらしいですよ。やめたほうが良いと思われます。」
「そうなの!?じゃあ彼ら自身が動かないと、助からないってこと!?」
まだ熱帯低気圧は神都に達してはいないが、すでに大雨が降り始めた。すでに一時間に50ミリの雨が降りつける。バケツをひっくり返したほどの雨という表現が似合うほどの、猛烈な雨が神都を襲う。
「そう、それで人型重機をね、河岸に待機させるのよ。で、決壊し始めたらすぐに急行できるようにね……」
「接触人殿!大変です!」
「なによ、今ブリーフィング中よ。何があったの?」
「川が、決壊しました!」
「はあ!?だってまだ、降り始めたばかりよ!?」
「元々、治水対策がほとんどされていない川なので、脆弱だったようです!すでに街の中に川の水が流れ込み始めてます!」
「まったく、決断は遅いくせに、こういうことは早いなんて……もう、こうなったら出動よ!人型重機10機は、ただちに決壊箇所の修復を開始!駆逐艦隊は降下し、搭載した哨戒機を全機発艦!住人の避難を支援するのよ!」
神都の方では、全くといっていいほど災害の備えがない。川が決壊した今も、多くの住人は建物の中にいる。
川のそばの低地には、いわゆる貧困層が集中している。が、彼らは神託など気にしない。雨が降り始めるや、アイリーンの呼びかけに応じて、さっさと郊外に作られた避難所に逃げてきた。
こういう人々ばかりならば良いのだが、問題は川から少し離れた場所に住む平民層だ。彼らには「神託」教の教えが染みついている。ゆえに、神託で決められていないことには、なかなか従わない。
が、そうも言ってられない状況になりつつあった。雨が降り注ぐ中、川まで決壊した。街の中に水がなだれ込む。
徐々に水位が上昇し、その水が平民街を襲う。
どうやら、この神都の川はしょっちゅう氾濫しており、水浸しになる程度ならば住人は気にすることはない。が、今回はその量と早さが異常だった。さすがの住人も、この異常な洪水に接し、ついに避難を始める。
「しっかり捕まってなさい!」
ある親子が、川のようになった街の通りを歩いている。周囲には、流れに逆らって高台へと逃れる人々が見える。
「あっ!」
一瞬の出来事だった。子供の手が離れて、その流れに飲み込まれていく。手を伸ばす母親。だが、その手はもう届かない。そして、飲み込まれたその子の手が水面下に消えようとした、まさにその時だった。手が伸ばされて、その小さな手を掴んだ。
それは、アイリーンの手だった。その子の腕を掴んだまま上昇するアイリーン。ゲホゲホとむせる子供をぶら下げて、そのまま母親の元へと届ける。
「もう二度と離さないでね!この先に、哨戒機がいるから!そこまで頑張って!」
「えっ!?あ、はい!」
何が起こったのか、それにどうして人が空を飛んでいるのか?唖然とする母親だが、突然現れたその魔女の指差す方へと歩き始める。
「カナエ!次の目標を教えて!」
ヘッドセットに叫ぶアイリーン。その問いに応えるカナエ。
『警報 2(ふた)!右に130メートル!3人の親子を捕捉!続いて、そこから40メートル!』
それを聞いたアイリーンは、右に向かって飛ぶ。目の前で、まさに子供が流されていくのが見える。その腕を掴み、親の元に届ける俊速の魔女。さらにその先でも老人を拾い上げ、救援活動中の哨戒機のそばに引っ張ってゆく。
『どうですか!?半径300メートル、水面上の2048人の3秒後の動きを予測し、警報を出すこの救援システムの威力は!?たった一晩で作り上げたこのシステム量産の暁には……』
「余計なことはいいから、次の目標を指示して!」
『は、はい!ええと、次は……』
レインコートに身を包み、風速30メートル以上のこの暴風雨のさ中で、アイリーンは飛び回る。周囲には哨戒機が数機、同様に流されそうな人々の救援活動に従事している。上空から、カナエの作ったシステムで他の哨戒機を誘導するエルヴェルト機。
ところで、神都の大聖堂は高台にあり、辛うじて水没を免れていた。アイリーン達は、人々を高台の上にあるこの大聖堂へと導く。
その人々の前でアイリーンは大聖堂の前に立ち、扉を叩いて叫ぶ。
「ちょっと!このだだっ広い大聖堂をさっさと開けなさいよ!」
「いや、ここは神聖な場所、神託も無しに人々を入れるなどとは……」
「事後承認って言葉知らないの!?そんな神託、あとでゆっくりと貰えばいいでしょうが!」
ぶち切れたアイリーンは、銃で大聖堂の鍵を破壊し、外に集まる人々を招き入れる。冷たい風雨の吹き荒れる中、人々はその建物の中に押し寄せる。
『5177号艦2番機、これより大聖堂前に着陸し、物資搬入を行う!着陸地点を確保願う!送れ!』
『こちら接触人!3番機の着陸地点確保!直ちに着陸せよ!」
『3番機より接触人殿!ご協力に感謝する!』
全長20メートルほどの機体が、大聖堂のすぐ脇に着陸する。ハッチが開き、中からビニールに包まれた毛布や食糧が運び込まれる。
それを見届けたアイリーンは、再び水没する神都の中心街に舞い戻る……
そんな救援活動は、10時間に及んだ。そしてようやく雨が止み、うっすらと夕陽が差す大聖堂にアイリーン達はいた。
「……で、総主教さん。私に何か言うこと、あるんじゃないの?」
総主教の前で腕を組み、睨みつけるアイリーンに、その総主教は口を開く。
「……多くの神都の人々を救ってくれて、総主教として感謝いたす。」
「そうじゃないでしょう!少なくとも、200人は死んでるのよ!?なんだって、さっさと我々の避難指示を受け入れなかったのよ!」
「いや、そう言われても、我らは神託と共にありて……」
言い訳がましく神託の正当性を訴える総主教。だがその時、アイリーンの横に控えていたエリシュカが口を開く。
「先人曰く、『人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり』と。」
「……は?」
妙なことを口走るこの侍女に、一同は閉口する。
「人の力の偉大さを表した、先人の言葉にございます。人の結束があれば、城や石垣などなくとも国は守れる……そう申しておるのでございますよ。」
そしてエリシュカは、総主教をキッと睨みつけ、こう言い放った。
「あなた方の神託とやらは、一体何を守ったのでしょうか?」
総主教をはじめ、7人の神官も、エリシュカに返す言葉がなかった。
それから3日後。
アイリーンら宇宙統一連合と、新たな決定機関を設立した総主教らとの間に、同盟に関する条約が締結された。
神託を廃止し、人の合議による決定を柱とする政治形態に移行したカンパニーア神国の、その合議記録の最初のページには、こう記されている。
「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」と。




