#19 講和
アイリーンは、腕につけたスマートウォッチを見る。そこには、高度122、速力151と表示されている。それを見て、さらに降下を続けるアイリーン。
すでにアイリーンは、兵士の顔が分かるほど地上に接近していた。30万もの軍勢の何人かが、アイリーンの存在に気づき始めている。
(さて、どうやって指揮官を探そうかしら……)
兵士の上を高速で飛び回るアイリーンだが、何か策があって飛び出したわけではない。大きな哨戒機よりは、身一つで飛んだ方が早く探せるだろう……その程度の考えで飛び出した魔女は、その先に何をすればいいか、まるで見当がついていない。
とにかく、いくつかある旗の下を見ていけば、そのどこかに総指揮官がいるだろうということしか目星がついていない。だからアイリーンは、この無数の軍勢の上を低空で飛び回る。
槍で威嚇されるものの、矢は飛んでこない。これだけの軍勢だ、矢など飛ばそうものなら、それが地上に落下した際、他の兵士に刺さってしまう恐れがある。同士討ちを避けるため、矢が放てないのだ。
だがこの星には、矢とは別の飛び道具が存在する。
その飛び道具が、アイリーンの眼下に姿を現す。
細長い鉄の筒に棒を突っ込み、そしてそれを抱えて空を舞うアイリーンへ一斉に向ける兵士の一団が見えてきた。明らかにその鉄の筒とは、銃だ。
マスケット銃。火縄の代わりに火打ち石が取り付けられ、引き金を引くと火打ち石の火花により火薬に発火し、弾が発射される。撃鉄による衝撃で発火する起爆薬が存在せず、先込め式で連射の出来ない初期型の銃だ。
その銃を持つ一団が、アイリーン目掛けて銃を一斉に構える。
「構えーっ!」
銃士隊の隊長が、手元の指し棒を上にあげる。銃士達は、一斉にアイリーンに狙いを定める。
(まずい!)
アイリーンは、危険を察する。速力を、一気にあげる。
「放てーっ!」
隊長の号令とともに、一斉に火を噴く数十丁のマスケット銃。アイリーンは、とっさに進路を変える。
一度放ったら、次の発射まで時間がかかる仕組みの銃であるため、その一団からはしばらくの間、攻撃されることはない。
だが、相手は30万だ。あちこちに銃士隊が配置されている。別の場所では、すでに発射準備が整い、アイリーン目掛けて銃を向けている一団がいる。
再び、轟音が響き渡る。アイリーンは再びそれをかわす。高速に飛ぶ物体に対して、ライフル溝も彫られていない滑腔式の銃で狙い撃ちなどできるはずもないが、まぐれ当たりすれば生身の魔女など、ひとたまりもない。
もちろん、腰には携帯バリアがついているが、高速に飛び回るアイリーンには、そのスイッチに手を当てている余裕などない。
この時、アイリーンは思い出す。彼女の母親の昔話を。
彼女の母親であるマデリーンはかつて、王国最速の魔女と呼ばれていた。
最高時速70キロ、かつてその速さで軍勢の上を跳び回り、奔走したという伝説を持つ。放った矢よりも速く飛ぶマデリーンは、そのあまりの速さゆえに、人々から「雷光の魔女」と呼ばれていた。
その娘が、まさに同じような状況にさらされている。
だが、相手は矢ではない。さらに初速の速いマスケット銃だ。
しかし、アイリーンの方も速い。最大速度は母親の4倍以上、時速300キロだ。ほぼ最高速度で飛行するアイリーン。地上の銃士隊から狙われながらも、圧倒的な速さで飛び回り、これをかわしつつ総指揮官を探し求める。
数十は存在する旗を一つ一つ確かめるが、それらしい人物がどうしても見当たらない。
いや、そもそも上から総指揮官など、見分けられるのだろうか?
2、30の旗の上を通過したあたりで、さすがのアイリーンもそのことに気づき始める。最初から、無茶なことをしているのではあるまいか?そういう思いが、彼女の心を支配し始めた。
と、その時、アイリーンはこの軍勢の中で、ある人物に目を止める。
明らかに、周囲とは異なる服装のその人物。派手な装飾を施した服装を身につけ、馬上から周囲の兵に指示を飛ばすその人物を、アイリーンの動体視力は見逃さなかった。
その人物に、見覚えがある。
アイリーンは、その人物の方にスティックを向ける。そして、猛烈な速度でその人物へと迫る。
驚いたのは、周囲の兵士達だ。時速300キロ近くで迫る魔女が、低空でこっちに向かってくる。本能的に、アイリーンの進路上を避ける兵士達。
アイリーンはその人物の前で急減速し、降り立つ。周りの兵士達は、降り立ったこの魔女目掛けて一斉に剣を抜く。その指揮官らしき人物も、剣を抜いた。
「見つけたわ!」
アイリーンは叫ぶ。その人物の乗る馬が、いきなり目の前に降りてきたこの魔女に驚き、暴れ始める。その馬をなだめつつ、アイリーンに向かって叫ぶその人物。
「どうっどうっ!くそっ!またお前か!」
「そうよ、私よ、アイリーンよ!また会ったわね、オンドラーク公爵!」
そう、フランチェスカとエリシュカを追ってきたあの貴族と、ここで再び出会うことになったアイリーン。
革命直後のヴァルチェッツェ共和国では、まだ軍を統率できるほどの人材が旧平民階級にはほとんどいない。そこで、こちら側についた貴族を指揮官として当てているようだ。
仮にも宰相を務めるほどの大貴族、軍の統率の経験もあるようで、大軍勢を引き連れて現れた。
その総指揮官と思われる公爵に銃を向けるアイリーン。
「降伏しなさい!あんたさえ抑えてしまえば、こっちの勝ちよ!」
「な、何を言うか!30万の大軍だぞ!わし一人倒したところで、止まるわけがなかろう!」
「そう、じゃあ今から、その言葉が本当かどうか、確かめてみましょうか!?」
そう言いながら、アイリーンは一発、その公爵の馬の足元にビームを放つ。爆発音に驚いた馬が、再び暴れ始める。
「う、うわっ!こらっ、落ち着け!」
暴れ回る馬の上で、オンドラーク公爵はアイリーンに向かって叫ぶ。
「お、おのれ!ただで済むと思うな!」
「ただで済まないのは、そっちの方よ!私を誰だと……」
叫ぶアイリーンに向かって、数人の騎士が剣を抜き、一斉に斬りかかってくる。それを見たアイリーンは、スティックにまたがり宙に舞い上がる。間一髪、剣をかわしたアイリーンは、そのまま公爵の背後へと回り込む。そして、銃口を公爵の頭に向ける。
「さあ!さっさと降伏しなさい!それ以上抵抗するなら、頭を撃ち抜くわよ!」
「ひ、ひいいぃ!助けてくれぇ!」
「周りの兵士もよ!ちょっとでも変な動きを見せたら、公爵の命はないわ!」
「おい、お前ら、動くな!命令だ!絶対に動くでないぞ!」
銃を向けられて、あっさりと命乞いをする公爵。だが正直、いくら総指揮官とは言え、かつては王国の重鎮であったこの公爵の命令を兵士達がすんなりと受け入れるだろうか?アイリーンは、半信半疑だ。だが、周囲の兵士は指揮官である公爵の命に従い、武器を収める。
どうやらこれが当たりだったようで、アイリーンがオンドラーク公爵を抑えた直後、30万もの軍勢の動きが止まる。
「こちらアイリーン!全軍、ヴァルチェッツェ軍の周囲に集結!それから、哨戒機を一機、すぐに寄越してちょうだい!」
地上近くを浮いたまま、あのふてぶてしいオンドラーク公爵の脳天に銃口を向け、周囲の駆逐艦に向けて指示を出すアイリーン。この接触人の要請を受けて、続々と集まり、軍勢を囲む数十隻の駆逐艦。そして一機の哨戒機が、地上に降りる。
「駆逐艦9680号艦所属の哨戒機1号機です!接触人殿ですか!?」
「そうよ!それよりも、この指揮官を取り押さえて!」
「はっ!」
数人の士官が哨戒機から降りて、オンドラーク公爵を取り押さえる。そしてそのまま、哨戒機内に連れていく。
「少しの間、あんた達の指揮官を借りるわよ!ことが終わるまで、ここで待機してなさい!」
唖然とする兵士達に向かって叫ぶアイリーン。そして、その直後に現れたエルヴェルトの操縦する哨戒機に乗りこむと、その場を飛び去る。
そして上空にいる駆逐艦9680号艦上にて、オンドラーク公爵とアイリーンとが会見し、善後策を話し合う。
いや、話し合うと言っても、もはや一方的な状況だ。公爵にとっては、敵地の只中にたった一人連れてこられ、しかも武装解除されてしまった。一方でアイリーンが率いる駆逐艦隊は、撤退せねば30万の軍勢に対して、攻撃も辞さないという態度で臨む。当然この場は、ヴァルチェッツェ軍が撤退することで合意する。
すぐに30万の軍勢は、一斉に本国内へと退却を開始する。アリの大軍のような黒い軍勢は、ヴロツワフ王国とは反対方向に向かって歩み始めた。
すかさずアイリーンは、そのままヴァルチェッツェ共和国の首都へと向かう。議長と面会し、30万の軍勢が退却中であることを伝え、議長に講和を迫るアイリーン。そしてヴァルチェッツェ共和国は、フランチェスカ王女の身柄要求を取り下げ、宇宙統一連合と正式に同盟を結ぶこととなった。
この星に降りて3週間。ついにアイリーンは、ヴァルチェッツェの同盟締結に漕ぎ着けたのだった。ようやくアイリーンは、この星での役目を終えた。
◇◇◇◇◇
それから1週間。
「本当にお世話になりました、アイリーンさん。」
「そんな、いちいち感謝の言葉なんていいのよ!これが私の仕事なんだから!当たり前のことをやっただけですよ、フランチェスカさん!」
「いえ、あなたにとっては当たり前でも、私はエリシュカとともに命を救われ、おまけにこのヴロツワフ王国までも守ってくださいました。いくら感謝しても、し切れないほどです。」
アイリーンの手を握り、感謝の言葉を述べるフランチェスカ。その脇で、深々と頭を下げるエリシュカ。
「本当に、アイリーン様のおかげでございます。私も命救われ、かようにフランチェスカ様のおそばにお仕えすることが叶いましてございます。感謝の念に絶えません。」
「いいのよ、そんなことは!にしてもあんた、侍女にしちゃあ妙に軍事に詳しくなっちゃったけど、これからどうするのよ?」
「いただいたタブレットから、いろいろなことを学びましてございます。ですが、これより先は、フランチェスカ様のために、身を粉にして働く所存。」
そう述べるエリシュカに、フランチェスカがこんなことを言い出す。
「……あなた、本当にそれでいいの?」
突然、妙なことを言い出すフランチェスカに、エリシュカが尋ねる。
「あの、どういうことでございますか、フランチェスカ様。」
「幼き頃から一緒に過ごしたあなたの考えていることなど、私にはお見通しよ。あなた、本当は行きたいんじゃないの?アイリーンさんと共に、宇宙へ。」
「そ、そのようなことはございません!私は長年、フランチェスカ様の侍女にございますよ!」
「そう……あくまでも、私の侍女だというのですか。」
なぜか含みのある言葉を放つこの王女は、エリシュカに向かって言う。
「ならばエリシュカ、私の侍女として命じます!アイリーンさんに付き添い、この宇宙を見て回るのです!」
「……は?」
「この先は、侍女といえども広く世を知らねばなりませんよ。そのために、あなたには外を見て欲しいのです。」
「あの、フランチェスカ様、それは一体、どういう……」
「言葉通りですよ。あなたは一度、外に出て見て回るほうがいいわ。それに、侍女ならばすでに、ヴロツワフ王国から何人も頂いております。わざわざエリシュカでなくても、事足ります。」
「まさかフランチェスカ様、侍女である私をクビにしたくて……」
「そんなわけないでしょう!侍女の代わりならいくらでもおります。ですが、エリシュカはこの世でただ一人。ならば、エリシュカにとって最善の道を選ばせてやることが、私の務めでもあるのですよ。」
「ふ、フランチェスカ様……」
「さあ、私の気が変わらぬうちに、すぐに出発するのです、エリシュカ。」
その言葉を聞いて、泣きじゃくるエリシュカ、そんなエリシュカを抱きしめるフランチェスカ。こうして、アイリーンが助け出したこの2人の内の1人は、アイリーンと共にこの星を離れることとなった。
駆逐艦9750号艦に乗り込む。大気圏離脱を開始する駆逐艦。その艦上で、アイリーンは叫ぶ。
「はっ!ちょっと待って!よく考えたら私、もう一人雇うことになっちゃったってこと!?」
「そうでございますよ、アイリーン様。」
「うわぁ、賑やかになりますねぇ、アイリーンさん!」
「あははは、アイリーンはほんと、人を惹きよせやすいんだな!」
「ちょ、ちょっと!笑い事じゃないわよ!ただでさえ2人も雇っているというのに、さらにもう一人だなんて!」
「いいじゃないですか、4人の方がきっと楽しいですよ!」
「そうだよ、アイリーン。2人が3人になったくらいで、たいした違いはないじゃないか。」
「その分、私はアイリーン様の侍女としてお仕えいたします。決して後悔はさせませぬゆえ。」
「ああ、もう!なんなのよ!」
いつの間にか、3人も補佐を引き連れることとなったアイリーン。すでに高度は3万メートルを超えていた。今さら、エリシュカに帰れとは言えない。
「それにしても、今回はエリシュカが大活躍だったよな。」
「そうですよねぇ。私なんて、何の役にも立たなかったですから。」
「そうでしょうか?私はただ、兵法書の一節を実践しただけでございます。一番活躍したのは、あの30万の軍勢の上を飛び回り、その中からオンドラーク公爵を見つけ出したアイリーン様でございましょう。」
「そりゃあそうよねぇ!やっぱり接触人である私が一番なのは、至極当然でしょう!でもね、エルヴェルトだってあの2人を助けるために、あのときおもちゃの剣で奮闘してくれたわけだし……」
「あれぇ!?もしかして僕、初めてアイリーンに褒められたんじゃないのか!?やっぱりアイリーンは、僕に惚れてくれてるんだよなぁ!」
「そ、そんなわけないでしょう!あれは偶然よ偶然!普段のあんたが、人の役に立てるわけがないじゃないのよ!」
「素直じゃないですねぇ、アイリーンさん。せっかくエルヴェルトさんのカッコイイところを見せられたというのに……」
「そうでございますね。エルヴェルト殿あっての、アイリーン様にございます。」
「ちょっと、あんた達!さっきから何言ってんのよ!」
怒り狂う接触人アイリーンに、星も文化も性格も全く異なる3人の個性的な補佐達。そんな3人を乗せた地球173所属の駆逐艦は、大気圏離脱を開始する。
こうして、地球878を離れるアイリーン一行。だが、間髪入れずに、すでに次の赴任先が決まっている。その新たな赴任先へと向かうため、アイリーン達4人はこの星系の小惑星帯へと急行する。