#18 飛翔
エリシュカの行動により、ヴァルチェッツェ共和国周辺の諸王国連合と、宇宙統一連合とが同盟関係を樹立して、早2週間が経った。
初期接触を果たし、ヴロツワフ王国の中に橋頭堡というべき宇宙港を築くことが決まったため、接触人としての本来の仕事は終えていた。
が、
「接触人殿!どうしてあのヴァルチェッツェ共和国のみが孤立するような状況を作り上げてくれたんだ!」
「ですが、交渉官殿!まさかその一国との同盟締結のために、彼らの要求通り姫君を差し出せというんじゃないでしょうね!」
「そんなことは言っていない!だが、少々出しゃばりすぎではないかと言っている!とにかくだ、この緊張状態を解消してもらわねば、貴殿の任務は終わらないと思え!」
と、地球173から派遣された交渉官に言われたので、アイリーンは引き続きこの地球878と命名されたばかりのこの星から離れられずにいた。
「まったく!何よあの交渉官は!あれはまるで、私が2人を助けたことが悪いと言ってるようなものじゃないの!」
「そ、そんなことはないですよ~!ですからアイリーンさん、大きな声を出さないでください!」
「そうはいかないわよ!まったく、腹立たしい!」
あまりに不機嫌なアイリーンは、食堂の机を蹴飛ばす。が、運の悪いことに小指をぶつけてしまったようで、その痛みにもがくアイリーン。
「アイリーン、何をやってるんだ?」
「……な、なにをじゃないわよ!痛たーい!まったくもう、なんだってこの星では、こうもうまくいかないのよ!」
「いやアイリーンは、14か国もの国といっぺんに同盟を結んだじゃないか。これはすごい功績じゃないのかい?」
「そんなこと、大して意味がないわよ!あのヴァルチェッツェ共和国との同盟締結が叶わなければ、私達はずっとここにいる羽目になるわよ!」
「そうか。でも、ここはのどかでいい国だと思うけどなぁ。」
「じゃあ、あんた一人でずーっとここに暮らしてりゃあいいでしょう!」
細かいことを気にしなさ過ぎるエルヴェルトに、ますます苛立つアイリーン。だが、いくら苛立ったところで、情勢は動かない。
というわけで、気分転換のため、アイリーンとエルヴェルト、そしてカナエは、駆逐艦を降りることにした。
向かう先は、ヴロツワフ王国の王都にある小さな屋敷。そこには、フランチェスカ王女が住んでいる。
「これはこれはアイリーン様。ご機嫌麗しく……」
「かしこまった挨拶はいいわよ。それよりどう?ここの暮らしは。」
「はい、快適にございます。ヴロツワフ王家より厚遇され、何不自由なく過ごせております。」
「そう、よかったわね。」
「はい、アイリーン様のおかげでございます。ただ……」
「どうしたの?」
「い、いえ、なんでもございません。」
すっかりこの屋敷の侍女として切り盛りしているエリシュカを見て、アイリーンは微笑む。もしもあの交渉官のいうように、彼らへの干渉をしなかったとしたなら、おそらくはヴァルチェッツェ共和国との同盟は結ばれ、今頃アイリーンは地球760に帰っているか、あるいは次の赴任地へと向かっていたことだろう。
だがその時は、この2人はこの世にはいない。
果たしてどちらが正解だったかなど、アイリーンは考えることはしない。当然、今が最善であったと、彼女は確信している。
「それにしてアイリーン様、なにやら表情が暗くはありませんか?」
「えっ!?いや、そんなことはないわよ!」
「察するに、ヴァルチェッツェ共和国との同盟が樹立できないことに、焦りを感じているのではありませんか?」
核心を突かれたアイリーンは、中庭にある椅子の上に座りながら応える。
「ええ、そうよ!でもね、そういうことはエリシュカやフランチェスカさんには、関係ないから!」
やや投げやりに話すアイリーンに、エリシュカはこう応える。
「『動かざること、山の如し』でございます、アイリーン様。」
「は?山?」
「今は動く時ではないということにございます。いずれ、動くべき時がきます。」
「なによそれ?一体、どうなれば動けるというの?」
「簡単です。ヴァルチェッツェが動いた時にございます。」
「……そんなこといったって、ちっとも動く気配はないわよ。革命の直後だし、内政をまとめるのにてんやわんやしてるんじゃないの?」
「いえ、近々、必ず共和主義者共は動くはずです。」
「なぜ、そう言い切れるの?」
「我らは、ヴァルチェッツェ共和国の包囲網を形成しております。交易も遮断され、そろそろ彼らの生活にも影響が出始める頃にございます。ゆえに、何らかの動きがあると考えます。」
「自信満々なのね。」
「はい。アイリーン様にいただいたタブレットの中にある書物に、書いてございました。」
「なんだ、やっぱりあのタブレットからの入れ知恵だったのね。」
「ついでにもう一つ。『算多きは勝ち、算少なきは敗る。況や、算無きをや』です。」
「なによ、それ?」
「我々は、すでに勝つための算段を尽くしてございます。一方の彼らは、周辺国全てに裏切られるとは思ってもいなかったはず。この差が、必ずや現れるはずです。」
「そうかしらねぇ……そうなると、いいのだけれど。」
エリシュカの出す紅茶を飲むアイリーン。一方、エルヴェルトは中庭で、素振りをしている。カナエといえば、タブレット端末でぶつぶつ言いながら、何か打ち込んでいる様子だ。
外は春の陽気。暖かい日差しに、のどかな貴族街のど真ん中のこの屋敷で、一人アイリーンだけがもやもやとした気持ちを抱えている。
が、そんな静寂を打ち消すような一報が入る。
アイリーンのスマホが鳴り響く。紅茶のカップを置き、スマホに出るアイリーン。
「もしもし、私よ、アイリーンよ。」
『接触人殿!緊急事態です!』
相手は、駆逐艦9750号艦の通信士だった。
「どうしたの?」
『僚艦より、緊急通信です!ヴァルチェッツェ共和国軍が王都を進発し、ヴロツワフ王国に向けて進軍中とのこと!数、およそ30万!』
「はぁ!?30万!?」
『すでに森を抜け、国境手前の平原まで進軍しつつあるとのことです!現在、第33小艦隊全軍が、連合軍規第53条に則り、ヴァルチェッツェ共和国軍の進撃を阻止すべく行動を開始しました!』
「そう、分かったわ!私も今からそっちに戻るから、待機しててちょうだい!」
『了解しました!』
アイリーンは、中庭にいる2人向かって叫ぶ。
「エルヴェルト!カナエ!今すぐ駆逐艦に戻るわよ!」
「なんだって!?何かあったのか、アイリーン!」
「そうですよ、もうちょっと待ってください!あと少しで、このコードが完成しそうなんです!」
「何言ってんのよ!今ここに、ヴァルチェッツェ軍30万が向かってんのよ!」
「はぁ!?30万!?」
「ええーっ!?30万!?30万もあったら、最新のノートPCが買えるじゃないですか!」
「ばっかじゃないの!30万人よ、30万人!このヴロツワフ王国の王都の人口よりも多い兵が、こっちに向かってんのよ!ほら、さっさと戻るわよ!」
アイリーンはエルヴェルトとカナエを連れて、駆逐艦に戻ろうとする。するとエリシュカが、アイリーンに向かって叫ぶ。
「お待ちください、アイリーン様!」
ちょうどカナエの腕を引っ張って中庭を出ようとしているところだった。アイリーンは返す。
「なによ!今、忙しいのよ!」
「私も、連れて行ってはもらえませんか!?」
「はぁ!?」
「ヴロツワフ王国の危機となれば、私とて無関係とは言えません!ぜひとも、お供させてください!」
「何言ってんのよ!あんた、ここの侍女でしょうが!」
だが、エリシュカはアイリーンの言葉に構うことなく、カナエのもう一方の腕を握り駆逐艦へと歩き始める。結局、アイリーンとエリシュカは、カナエを引っ張りながらそのまま駆逐艦へとたどり着く。
「これより、駆逐艦9750号艦は、ヴァルチェッツェ軍阻止のため発進する!両舷、微速上昇!」
「機関始動!両舷、微速上昇!」
ヴロツワフ王国の王都に降り立っていた駆逐艦9750号艦は、ゆっくりと上昇を開始する。発進直後に、艦橋内にアイリーンの一行が入ってくる。
「状況は!?」
「はっ!接触人殿!現在、国境の街のヂェチヌフの西方、約30キロの地点を東進中です!」
「……この地図を見る限りは、遮るものが全くないわね。このままじゃ、ヂェチヌフって街に攻め込まれちゃうわよ!」
「その通りです。ですから、集められるだけの駆逐艦を集めて、壁を作るつもりです。場合によっては、あの軍勢の一部に攻撃を加えて、混乱に陥れるしか……」
「なによ!まさか、あの軍勢へ攻撃するっていうの!?」
「数が多すぎます。このままでは、非戦闘員への殺戮が始まるのは避けようがありません。」
アイリーンは、事態が思ったよりも深刻なことを悟る。
だが、そこでエリシュカが口を開く。
「……『彼を知り、己を知らば、百戦して危からず』」
「は?」
意味不明なことを言う彼女に、アイリーンは尋ねる。
「何言ってんのよ、こんな時に!」
「敵を知れば、負けることはない。そう申し上げただけでございます。」
「あんたねぇ、この状況で、あの30万人の何を知ればいいって言うのよ!?」
「必ずや、あの軍勢を率いる指揮官がいるはずでございます。それを見極め抑え込んでしまえば、30万の軍勢といえども統制を失い、進軍を止めるはずです。」
「そうなの!?って、どこにいるのよ!」
すると参謀が応える。
「先ほどから我々もそう考えて哨戒機を飛ばして探しているのですが、指揮官の存在がまるで分からないんですよ。」
「何よそれ?真面目に探してるの!?」
「いえ、哨戒機といえども、対人用には作られておりませんので……」
それを聞いたアイリーンは、決断する。
「エルヴェルト!出るわよ!」
「こ、接触人殿!」
「こんなところでただ待っていても、死人が出るだけよ!私達も出撃するわ!」
といってアイリーンはエルヴェルトとカナエ、そしてエリシュカを引き連れて、格納庫へと向かう。
「特別機より駆逐艦9750号艦!発進準備よし!発艦許可を!」
『9750号艦より特別機!発艦許可了承!ハッチ開く!』
ロボットアームにより、エルヴェルトの機体が開いたハッチの開口部に向かって突き出される。下には、緑の大地が広がっている。
「特別機、発進する!」
エルヴェルトの掛け声とともに、切り離される哨戒機。すぐに加速し、ヴァルチェッツェ軍のいるという平原へと向かった。
「何よ、これ……」
アイリーンは、絶句する。まるでアリの大群のように、黒い集団。そんなものが、眼下の大地を埋め尽くす。
ところどころに旗が見える。だが、どれも同じ旗。あれのどれが総指揮官のものかが分からない。未だに軍勢の中枢を把握できないという報告に、アイリーンは納得する。
「どんどん国境の方に向かってるわよ。なんとか止めないと……」
「ですが、地球173の軍ならば、あれを退けられるほどの破壊力があるのでございましょう?」
「そりゃああるわよ!だけど、それを使うときは、この中の誰かが死ぬのよ!」
「しかし、これは戦さ、やむを得ないのではありませんか?」
「そんなことないわ!最悪の手よ、それは!ここで連合の軍が殺傷したとあっては、この先のヴァルチェッツェとの間に、重大な亀裂を生むわよ!それ以上に、エリシュカやフランチェスカさんが助かって、あの人達が死んでいい道理がどこにあるっていうのよ!」
そう叫ぶと、アイリーンはスティックを握りしめ、ハッチへと向かう。エルヴェルトに向かって叫ぶ。
「私が総指揮官を見つけるわ!なんかあったら、すぐに連絡するからきてちょうだい!」
「あ、おい、アイリーン!」
そう言い残すと、アイリーンはハッチを開けて、外に飛び出していった。
真っ黒な人の群れの中に吸い込まれるように、アイリーンは消えていった。