#12 転機
古アパートの一室の前に、2人が立つ。
「なにここ……きったないわね!」
遠慮という言葉を知らないアイリーンは、第一印象をそのまま口に出す。
「ええ、でもここ、安いんですよ。」
「これで高かったら、さすがにキレるわよ!あんた、よくこんなところで我慢してたわね!」
「だけどここは、バサラの街から歩いて行ける距離にあるアパートなんですよ。とても便利なんです。」
「……なによ、バサラの街って。」
「私の働いていたパソコンショップのある地域、あそこは昔、婆娑羅と呼ばれる派手好きで自由気ままな人々が住んでいた場所なんですよ。それで、あの一帯は『バサラ』の街と呼ばれているんです。元々は家具問屋の街だったんですが、今は電子部品にパソコン、アニメに漫画といった、機器と文化の中心街になっちゃってて。」
「へ、へぇ……そうなんだ……」
「だからアイリーンさんは昨日、注目の的だったんですよ。ちょうど今、魔女のアニメが大流行りでして、そこに本物が現れたものだから、そりゃあ大騒ぎになりますよ。」
「そ、そうなの?だけど私、アニメキャラじゃないからね……」
「アニメでは、さすがにスーツ姿で飛ぶ魔女はいませんよ。アイリーンさんだけです。ところで、宇宙にもアニメって、あるんですか?」
「あるわよ。それこそ、地球001という星には、もう500年近いアニメ作品のストックがあるらしいわよ。」
「うわぁ、それはすごいですね。それを聞いたら、そっちのマニアは大喜びですよ、きっと。」
古臭い扉を開き、カナエの部屋へと入るアイリーン。そこには、所狭しと何かが並んでいた。
「で、ここが、私の部屋なんですよ!」
「そ、そうなの……ところで、この大量の部品のようなものは、一体何?」
「ああ、これですか?パーツですよ、パーツ!」
「パーツ?」
「自作パソコン用のパーツなんです。ほら私、売り上げ成績悪いから、よく自腹で買う羽目になるんですよ。それでこんなにパーツがたまっちゃって……あ、これはですね、つい先日発売されたばかりのグラフィックボードなんですよ!で、これは10ギガバイトの大容量ハードディスク!」
「なによ、そのグラフィックボードや、ハードディスクっていうのは?」
「パソコンの画面を写したり、データを蓄えるための容器のような部品のことですよ。」
「容器って、どれくらいのデータが入るの?」
「ええとですね……例えば、音楽なら1000曲は入るくらいの容量でして……」
それを聞いて、アイリーンは応える。
「……ゴミね。」
「ええーっ!?そんな!まだ買ったばかりの、最新のディスクですよ!?」
「ゴミよ、ゴミ!どうみても、私の持っているスマホの方が圧倒的にすごいわよ!こんなゴミに頼る必要はないわ!」
「そんなぁ……って、スマホって何ですか?」
「ああ、これよ。スマートフォンという、400年ほど前に地球001で作られ、今に至るまで使われる個人用端末の一種よ。」
そういいながら、ポケットからスマホを取り出すアイリーン。
「……要するに、携帯電話ですかね?でもこれ、画面小さいですよ。」
「まあ、見ててご覧なさい。こうやって使うのよ。」
電源を入れ、画面が点灯する。ずらりと並んだアイコンの一つを、指で触れる。すると画面の真上の空間に突然、青い地球の姿が現れる。
「な、なな、なんですかこれは!?映像が、浮き出てますよ!?」
「ホログラフィーっていうらしいのよ。画面が小さくてもこの通り、大きく表示できるでしょう?」
「え、ええ……これは本当にすごい仕掛けです。でも、すぐにバッテリーが切れちゃうんじゃないですか?」
「そんなことないわよ。充電しなくても、1週間はもつわよ。」
「はぁ!?い、1週間!?ホログラフィーまで使えるのに、なんですかその化け物みたいな電池の持ちは!?」
アイリーンはカナエに、空中に浮かんだこの青い球体を指で触れながら、クルクルと回して見せる。その空中画像に、恐る恐る触れるカナエ。
「うわぁ……確かにすごいわ、これ。これ見たら、こっちのパソコンを使う気にならないですねぇ。」
「他にもね、ほら、こんなにいろいろと入ってるのよ。」
「何ですか、これは?」
「動画に書籍、音楽。全部で10万個以上は入ってるわね。」
「ちょっと待ってください!何だってこんな小さな端末に、そんなたくさんのメディアが入るんですか!?一体このスマホ、何ギガバイトあるんです!?」
「そんなの知らないわよ!そんな細かいことは気にしなくていいの!使えりゃあいいのよ、使えりゃあ!」
なぜかカナエの部屋で怒鳴り合いを始める2人。少し冷静になり、アイリーンが言う。
「……というわけで、あんた、本当に大事なものだけを持っていくのよ。」
「あ、はい。じゃあ……」
そういって、このゴミだめのような部屋から取り出したのは、一冊のアルバムと、ノートPCだった。
「アルバムはわかるけど、何よそのノートPCっていう道具は?」
「ああ、これはですね、私が普段使ってたパソコンなんです。いろいろとデータも入ってるし……なによりもこれ、両親が死ぬ間際に買ってくれたもの、だから、両親との思い出が詰まった唯一のものなんです。この2つは、どうしても持って行きたくて。」
「そう。まあ、それくらいならいいけどさ。」
アルバムとノートPCを、ぎゅっと抱き寄せるカナエ。それを見たアイリーンは、特にそれ以上追及をしなかった。
着替えなどを鞄に詰めて、部屋を出るカナエ。アイリーンとともに、再び歩き出す。
「ところでさ、このまま海のほうに行きたいんだけど。どうやって行けばいい?」
「えっ!?海!?」
「そこで合流することになってるの。私だけなら飛んでいけばいいけどさ、あんたがいるからね。」
「ああ、ええと、そうですねぇ……電車を使えば、行けますね。」
「電車ね。じゃあ、それを使いましょう。」
カナエの持つお金を使い、アイリーンとともに電車に乗る。バサラの街、ビル街、大通りに高架……そして、トンネルを抜けると、海が見えてきた。
そして海岸近くの駅を下り、しばらく歩く。そして、人気のない海岸へとたどり着く。
「あの、アイリーンさん。ここで何を……」
「待ってるのよ。」
「待ってるって、何をです?」
「哨戒機よ。」
「しょ、哨戒機?」
「まだちょっと、人目につきたくないからね。ここを合流場所にしてるのよ。昨日もね、あの後にここで哨戒機と合流して帰ったのよ。」
「あの、ですからその哨戒機とは……」
何のことだかよく分からないカナエは、アイリーンに尋ねる。が、その直後、哨戒機がどういうものなのか、すぐにカナエも理解する。
白くて四角い機体が、海の向こうから飛んでくる。それはあっという間に、アイリーンとカナエの真上で止まる。
ゆっくりと、2人の前に降りてくる哨戒機。誰もいない海岸の砂浜に着陸する。
「やあ、アイリーン!迎えに来たよ!」
「……相変わらずテンション高いわね。さ、目につかないうちに、さっさと戻るわよ。」
「そうだね、さっさと帰って、一緒に夕食を食べよう!ところでアイリーン、その横の人は?」
「ああ、彼女ね。彼女の名はカナエ。さっき、雇ったの。」
「えっ!?雇ったって、まさか……」
「ちょっと事情があってね、私のせいで、クビになっちゃったらしいの。だから、2人目の接触人補佐人にすることにしたのよ。」
「なーんだ、じゃあ僕の仲間じゃないか!僕の名はエルヴェルト!地球875という星の出身で、今はパイロットと騎士、そしてアイリーンの恋人をやってるんだ!」
「は、はい!よろしくお願いします!」
「ちょ、ちょっと!?誰が恋人よ!余計なこと言ってないで、さっさと駆逐艦に帰るわよ!」
アイリーンにせかされて、カナエはこの見たことのない機体に乗り込む。そういえばこの人達、宇宙人だっけ……つまりこれって、宇宙人に連れ去られるってことじゃあ……などと不安なカナエ。この先、カナエには何が訪れるのか分からない。だが、もはや帰る場所もない。覚悟を決めて、哨戒機に乗り込むカナエ。
「あの、アイリーンさん。こんなもので現れたら、すぐに見つかるんじゃないですか?」
「大丈夫よ。ステルス塗装の施されたステルス機だから。この星のレーダーくらいじゃあ、気づかれないわよ。」
「は、はあ……」
ジェットもプロペラもないのに、フワッと浮き上がり、そのまま水平飛行で飛び始める哨戒機。この信じられない飛び方をする航空機の中で、カナエの目は機器類に向けられる。
「あの、エルヴェルトさん。これは一体、なんですか!?」
「ああ、これはレーダーサイトだよ。哨戒機というだけあって、こいつには軍用のレーダーが搭載されてるんだ。」
「へぇーっ、すごいですねぇ。じゃあ、これはなんです?」
「それはマップ。この哨戒機の周囲50キロを映していて……」
カナエの持つ機械好きの本能が、先ほどまでの不安をかき消してしまう。調子に乗ったカナエは、ふとアイリーンに行き先を尋ねる。
「ところでアイリーンさん、今どこに向かってるんですか?」
「駆逐艦よ。」
「駆逐艦?駆逐艦って、もしかして軍用の船ってことですか?」
「そうよ。」
「てことは、この海に浮かんでる……」
「まさか。宇宙から来た船よ、空に浮かんでるに決まってるでしょう。」
「ええーっ!?空に浮かぶ船なんですか!?でも、なんだって軍用の船に……」
「未知の星に最初に降り立つのは、軍船だからね。まだ同盟締結が行われていない星だと、連盟の連中が狙って攻めてくるのよ。だから、連盟に対抗するために、艦艇を展開して警戒しているのよ。」
「そ、そうなんですか……ところで、連盟って何ですか?」
「ああ……そういうことは、おいおい教えてあげるわ。まずは帰りましょう。」
急にまたカナエに不安心が好奇心を上回る。高度を上げる哨戒機。その窓の外を恐る恐る眺めるカナエ。地上の街が、どんどん小さくなる。
「特別機より1610号艦!アプローチに入る、着艦許可を!」
『1610号艦より特別機!着艦許可了承!ハッチ開く!直ちに着艦せよ!』
と、そこに灰色の点が見えてくる。その灰色の点は、徐々に大きくなり、気づけば窓いっぱいに広がる。高度2万メートルに浮かぶこの全長350メートルもの戦闘艦の姿を前に、カナエは驚愕する。
「ななななんですか、これは!?宇宙戦艦じゃないですか!」
「何言ってんの、これは駆逐艦よ。」
「ええーっ!?だ、だって、先端に波動砲のような武器が付いてますよ!?どうみてもこれ、宇宙戦艦じゃないですか!?」
「いや、戦艦がこんなに小さいわけがないでしょう。」
「ええ~っ!?ちょ、ちょっと待って下さい!これで小さい方なんですかぁ!?」
「そうよ。図体はでかいけど、案外狭いのよこの船。まあ、さっきのあんたの部屋よりはマシだけどね。」
などと会話している間にも哨戒機は、その駆逐艦左上のハッチより突き出されたアームを目掛けて、接近を開始する。
ガシャンという金属音とともに、哨戒機はアームに掴まれ、そのまま格納庫に引き込まれる。
「うわぁ……さすがは宇宙船ですねぇ……見たことのない機械ばかり……なんですか、あの大きな腕は……」
カナエの関心は、格納庫内の機械にばかり向いている。そしてハッチが閉じ、格納庫内に明かりが灯る。
が、一向にアイリーンとエルヴェルトは動かない。格納庫内にも、誰もいない。この異様な雰囲気に不安を感じたカナエは、アイリーンに尋ねる。
「……ところでアイリーンさん。着いたのに、どうして降りないんですか?」
「バカねぇ、今格納庫に降りたら、空気が薄すぎて失神するわよ。ここは高度2万メートル。今、格納庫内の気圧を地上と同じになるまで上げてるところなの。あれが緑になれば完了の合図だから、それまで待ってなさい。」
といって、格納庫の奥にある赤いランプを指差す。が、その直後に気圧上昇の完了を知らせる緑のランプに変わり、それを見たアイリーンは哨戒機のハッチを開く。
「さ、降りるわよ!カナエは荷物持って!エルヴェルトも手伝って!じゃあ、まずは主計科に行って、あんたの部屋を借りないとね!」
「あ、はい!」
この空の上とは思えない不思議な場所を、キョロキョロと見回すカナエ。そして、格納庫の奥にある扉に向かうアイリーンの後を追う。その扉の向こうにある、新たなる生活に不安と期待を、抱えながら。