#1 接触人(コンタクター)
「まもなく、大気圏に突入します。」
「バリア粒子放出開始!両舷減速、赤25(ふたじゅうご)!」
「両舷減速!赤、25!」
「外気温上昇!800度を突破!大気圏突入、開始!」
彼女は今、地球606所属の駆逐艦5130号艦に乗っている。降下先は、つい2週間前に見つかったばかりの地球だ。
その駆逐艦の艦橋の来客用の席に座り、正面の大きな窓を見ている。その窓の外は、徐々に赤みが増し、やがて真っ白な炎に包まれる。
「あと30分で、予定地域に到着します。先行艦の調査結果を、ご覧になりますか?」
「ありがとう。でも、昨日のうちに目を通したわ。」
「そうですか。ところで、その服は……」
「ああ、これ。私の故郷の昔の服なのよ。ここは文化レベル2だって聞いたから、持ってきたのよ。私の星も27年前に発見された時はここと同じレベルの星でね、ママからその当時の服を借りて来たの。これなら違和感なく潜入できるかなと思ってね。」
「はぁ、そうですか。」
この艦の幕僚と会話するその女性は、この艦橋内でただ一人、場違いな服装をしている。
艦橋内にいる20人の乗員は皆、濃い藍色の軍服に身を包む。が、彼女はベージュの服に赤や青に刺繍を施した、ゴワゴワした木綿生地のワンピース姿。中世の村娘といった姿で、一本の黒い棒を握っている。
「じゃあ私、そろそろ格納庫に行くわね。」
「はっ!接触人殿!ご健闘をお祈りしてます!」
この娘は立ち上がり、正面の窓の左右にある出入り口に向かって歩く。彼女が通り過ぎると、その脇の軍人らは敬礼して彼女を見送る。
通路を歩く彼女。すれ違う軍人らも皆、敬礼して見送る。それに軽く手を挙げて応えるこの民族衣装風の娘。
彼女の名は、アイリーン。地球760出身の23歳。
彼女は、宇宙統一連合統一会議公認の交渉官補佐。その任務は、未知の地球に降り立ち、住人と接触し、事前交渉を行うこと。
それゆえに彼女は、接触人と呼ばれている。
専門の大学で交渉官と接触人に必要な知識の習得、訓練を受け、晴れて今回、その最初の仕事に取り掛かることとなった。
「現地から50キロ地点に到着後、すぐに出発するわ。」
「はい、ですが、ちょっと性急すぎやしませんか?もう少し、様子を見てから出発した方が……」
「上空から見てたって、何もわかりゃしないわ。現地に行って、当たって砕けろ、よ。それが接触人の仕事なのよ。」
「はっ、分かりました。では大気圏降下後、直ちに発進します。」
哨戒機と呼ばれる6人乗りの航空機の横で、パイロットとブリーフィングを行うアイリーン。彼女の心は、すでにこの地球の地表面に向いている。
「それにしても、わりと小さな街ですね。もっと大きなところの方が良かったのでは?」
「接触の基本は、小さな集落から攻めること。その方が、意外と重要人物との接触につながりやすいのよ。大都市だと、かえって警戒が強くて難しいの。だから最初は、大都市のすぐそばにある小さな街から接触をするのが基本とされているわ。」
「へぇ、そういうものなんですか。勉強になります。」
「まあね、私もこの4年間、そういうことをみっちり勉強してきたから。でも、これが初めての実践なのよ。上手くいくかどうか。」
パイロットの前は強気でも、やはり初仕事というだけあって、落ち着かない若き接触人。それゆえに、大気圏突入中からブリーフィングを行っている。
不安と期待。格納庫横に置かれたモニターに映る地表の映像を眺めていると、その両者に心が押し潰されそうになる。それをパイロットとの会話で紛らわすアイリーン。
「ところでね、私のパパも昔、パイロットだったのよ。」
「えっ!?そうなんですか!?ですが、アイリーン殿の父親は、地球760で中将殿を務めているとお聞きしましたが……」
「いろいろあってね、なんだかんだと偉くなっちゃったけど、元々は哨戒機のパイロットだったのよ。それで、ママとの出会いも空の上なんだって。」
「ほ、本当ですか!?いやあ、知りませんでした。それはまた、アイリーン殿の母親らしいエピソードですね。」
などと2人で話し込んでいると、格納庫のスピーカーから状況報告が入る。
『大気圏突入完了!目標まで、あと60キロ!』
「いけない……もうそんなところまで来たんだ。」
アイリーンはつぶやく。そしてパイロット共々、哨戒機に乗り込む。
「1番機より艦橋!発進準備よし!離陸許可を!」
『艦橋より1番機、発進許可了承。格納庫内の減圧を開始する。』
格納庫内にいる数人の整備員が、急いで退避する。ドアが閉じられて、しばらくの間、静かな時間が過ぎる。
やがて、格納庫の奥にあるランプが、緑から赤に変わる。減圧完了の合図だ。
『艦橋より1番機!減圧完了!現在、高度3万2千!これより射出する!』
「1番機より艦橋!了解!1番機、発進する!」
パイロットが応えると、天井が開く。と同時に、格納庫の奥にあるロボットアームが、哨戒機を掴む。
空気がほとんどないため、とても静かだ。すこしギシギシとした軋み音と、哨戒機の機関音が聞こえてくる。そしてロボットアームが哨戒機をつかんだ瞬間、ガシャンという金属音が哨戒機内に鳴り響く。
そのロボットアームは、天井に開いた大きな穴の外に、この哨戒機を突き出す。
外は暗い空が広がっている。地上付近は明るい。宇宙と地上の境界のこの場所は、雲一つない静寂な空間だ。
パイロットが、ロック解除のレバーを思い切り引く。すると、ロボットアームが音を立てて哨戒機を離す。空中に放り投げられる哨戒機。
駆逐艦を離れ、しばらく自由落下した後に、哨戒機は勢いよくエンジンを吹かす。ゴォーッという噴射音が機内に鳴り響く。
そしてアイリーンはといえば、窓の外を見ていた。
(あれね……)
霞んだ大気の向こう側、下界に広がる広い森の中、長方形の街が見える。あれが、彼女が最初に目指す街だ。
「まもなく高度3500!速力300で飛行中!」
パイロットが知らせる。それを聞いたアイリーンは、パイロットに向かって叫ぶ。
「出るわ!」
それを聞いたパイロットは応える。
「いや、ちょっと……ここはまだ、高度3000メートル以上ですよ!?」
「かまわないわ!速度を150まで落として!」
「いや……しかし……」
「交渉官補佐としての命令よ!」
「……分かりました、すぐに150まで落とします!」
パイロットは渋々速度レバーを押す。一気に減速する哨戒機。それを見届けたアイリーンは小さなカバンと、一本の黒い棒を握る。そして、ハッチに向かって歩く。
「それじゃあ、無線の中継をお願いね!何かあったら、連絡するから!」
「承知しました!アイリーン殿、成功をお祈りいたします!」
するとアイリーンは、哨戒機のハッチを開ける。機内に風が吹き込む。
その風をもろともせず、一気に外へと飛び出すアイリーン。その際、ハッチを勢いよく閉める。
彼女はそのまましばらく、くるくると回りながら落下を続ける。高度は1200を切った。
だが彼女には、パラーシュートのようなものはついていない。あるのは小さな鞄と、黒く短い棒だけ。落下しながら、その棒にまたがるアイリーン。
しかし地面が間近に迫ったその時、彼女はふわっと舞い上がる。そのまま森の木々の真上を、颯爽と飛ぶ彼女。
時速150キロ、上空から見えた、森の合間の一本道に向かって飛ぶアイリーン。
最大到達3000メートル、最大速力300キロ。これが彼女の性能だ。
そう、彼女は地球760、いや宇宙最速の一等魔女でもある。