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パーラーOyake

(短編)パーラー Oyake

作者: 葛柴 桂




「あー……暇だよなあ」

 がたがた、がたがた、と簡素なプレパブ小屋が風に揺れる。

「台風とかありえねえ……。マジで全便欠航かよ……」

 硝子戸の向こうは横殴りの雨。もちろん人っ子一人通らない。

 ハイビスカスと青い空、澄んだ海と泡盛と……とある土地のとある場所、とある大きめの離島に小さな店がある。

 手描きの素朴な看板に踊る名前は「パーラー Oyake」。


 ちぇ、と舌打ちをすると、Tシャツ姿の店主は厨房に向き直った。

 ぱ、と生成りの素朴なエプロンを叩くと、綺麗な金髪を覆う手ぬぐいをぎゅ、と絞める。

「こういう時こそ、研究だよな!」

 大きな手が、業務用の冷蔵庫から次々と食材を取り出す。

 豚足。

 大蒜。

 グルクン。

 パイナップル。

 それから……と冷蔵庫を探っていた時──がら、と硝子の引き戸が開いた。

「おーりとーり!」

 威勢のいい掛け声に、その姿はゆっくりと顔を上げた。

「助かった……。こんな日でも開いている店があった……」

 びしょぬれの灰色のスーツに、綺麗に撫でつけた髪。そして、大男。とにかく大男。

「ニーニー、これ使いな、びしょぬれだぜ?」

 差し出されたタオルで、男は顔を拭う。

 その様子に、店主はおっ、と声を上げた。

 精悍な顔立ちの、まさに水も滴るいい男──。

 タオルを几帳面に畳んだ男は、倒れ込むようにカウンターの椅子に座った。

「何か食べるもの、作れますか?」

 おうよ、と店主は返す。

「何が食いたい? そばにおでん、それからラーメンも開発中。もちきびごはんもあるぜ。甘いもんもあるけど」

「……あったかい物が、食べたいです」

「じゃあ、そばだな!」

 店主は満面の笑みで器を取り上げる。

「いや、やっぱ食いもんは大事だよな。

 この店開いたとき、洒落たカフェにしろとかスイーツ充実させろとか散々言われたけどさ。やっぱり俺は、腹に溜まるもんがあるのがいいと思うわけ」

 店主は手際よく麺に具を盛りつける。

 湯気の出るそばを目の前にして、男は黙り……そして目を潤ませた。

「あったかい物は久しぶりだ……」

 そうかい、と店主は笑う。

「ニーニーは本島の人だろ? ヤイマのソバはちょっと違うぜ。具が細切りなのが特徴、って言われてるな。まあ、実際は店によって結構違うんだけど」

 なぜか男はぐすぐすと泣き始めた。

「ニーニー、どした?」

「……しばらく……すごく忙しかったから……まともに食べるの久しぶりで……っ」

──ああ、疲れた会社員の人なのかな、と店主は気の毒な気持ちになる。

「ほら、ピパーチもちゃんとかけろよ? なんか体にもいいらしいしよ? うめーしはここだからな?」

「はい……ありがとうございます……」

 泣きながらそばを啜る男を店主は困り顔で眺めた。

「なあ……なんかあったのか?」

 ぐすぐす、とカウンターの上のティッシュで鼻を拭うと、男は懐から名刺入れを出した。

「私は……こういうものです」

──越来(ごえく) 賢雄(けんゆう)鬼大城(うにうふぐしく))/ General Manager ──

「……はあ……。ええと、俺はパーラーOyakeの店主、アカハチです……」

「以後、宜しくお願い致します……」

「はあ、よろしくおねがいします……」

 ぐすぐす、と泣きながら麺をすすり続ける大男──賢雄をさりげなく見守りながら、店主・アカハチはスープの下ごしらえに戻る。

 とんとん、と大蒜の葉を刻む音が小さな店内に響く。

「まったく、色んなことがあるよなあ。俺なんかほら、キンパツだろ。染めてるんじゃないかとか、目もカラコンなのかとかさ。ぐろーばる化って言葉を知らないかってんだよ、なあ?」

 はい……そうですね……、と賢雄は涙声で返す。

「だからよ。ニーニーもつらいことがあったらため込むなよ? 俺で良ければ聞くぜ?」

 はい……と賢雄はまたしばらくぐすぐす泣いた。アカハチはマグカップに入れた泡盛をさりげなく傍らに置いてやる。

「リゾート開発を、やってるんです。離島の」

「うんうん」

「新卒で入って、役職も上がって。で、大きな案件を任されたんです」

「ほうほう」

「それで……土地の買収交渉に行ったら、ものすごく気が強くて暴力的で口の悪い地主にこっぴどく痛めつけられて」

「そりゃひどいな。警察には行ったのかよ?」

 空の器の底を見つめる賢雄はふるふる、と首を振る。

「そんなことしようものなら、服の背中からハブを入れてやる!……って脅されて、実際入れられました……」

「……トラウマだな」

「はい……」

 それで? と促された賢雄は続けた。

「あんまり話にならないから、一度本島の本社に戻ったんです。そうしたら……」

 賢雄の目から、大粒の涙がぼろ、とこぼれた。

「そうしたら、社長の娘さんが結婚したって言うんですよ!」

 両手で顔を覆った大男はうっうっ、と泣きじゃくる。

「私のいない間に! ひどいじゃないですか! ライバル社の社長とですよ!? 

 なんか貿易とか色々やって羽振りがいいらしいですけど……要するに政略結婚じゃあないですか! だからっ……」

 マグの酒をぐい、と煽ると賢雄は言った。

「らから、助けに行ったんですよ!」

「え、新婚さん家に?」

 そうれすよ! と賢雄は叫ぶ。

阿麻和利(あまわり)めええええ! あの男、私の踏揚(ふみあがり)様をたぶらかして……!」

 落ち着けよ……、となだめるアカハチに賢雄は食って掛かる。

「それらから! 私はあいつの家に忍び込んだわけれすよ!」

 それは不法侵入ってやつだなあ、とアカハチは思う。

「ぜんぜんばれなかったんれすよ、最初わ! 私の女装!」

「え」

 ぽか…ん、とするアカハチの目の前で、賢雄は黒いビジネスバッグを開ける。

 さっ、と現れた包みは……きっちりビニール袋に密封された衣類。それから、シンプルな黒い化粧ポーチ。

 小さなチューブを取り出すと、賢雄は肌色のクリームを手際よく顔の上に伸ばす。

「私はね、何事もやるならちゃんとやらなきゃいけないと思うんですよ!」

 ぱぱぱぱ、と手際よくパウダーをはたき込むと、今度はチークブラシを手探りで取り出す。

「ずっと、そうやって生きてきたから……! 誠実に! まっすぐに! あの方のために!」 

 眉に目。睫毛。それに唇。

 ふんわりした化粧品の匂いの中で、賢雄の姿が変わり始める。

 唖然と眺めるアカハチの前で、賢雄は濡れたスーツを勢いよく脱ぎ捨てた。そして、ふんわりとしたワンピースを身に纏った賢雄は……それは見事な美女に変身していたのだった。

「化粧の力って……すげえ」

 ただ、その天を突くような身長だけが……惜しかった。

「ね、悪くないでしょ? むしろ良いでしょ? 私はね、ずっと研究してたんですよ!

 私の美しい踏揚様はなぜ美しいのか、って……。 美しい髪! 美しい肌! 美しい身のこなし! 全てが! 全部! 美しい!」

 拳を握りしめ、叫ぶ賢雄の目が爛々と輝く。

 なんかこいつやばいかも、とアカハチは内心汗をかく。

「私はあの方にずっと憧れていた! 私もあんなふうに美しくなりたかった! 私が踏揚様になりたかった! でも……、」

 念入りにカールさせた睫毛の目元から、大粒の涙が落ちる。

「そりゃ、私は大男ですよ? 武勇名高い鬼大城ですよ!? みんな、そう言う役割を私に求めてるんでしょ!? 

 だから、そうやって生きてきましたよ? 頑張っておんぶして逃げましたよ!? 

 でもね、私がなりたかったのはそういう男臭いのじゃない……! 私だって……綺麗な着物とかっ……紅とかっ……」

 うっ、うっ、とそのままカウンターに突っ伏して泣く大きな背中を、アカハチは黙ってさすってやるしかなかった。

「……でも、まあほら、台風だしさ……。着替え持ってて良かったよな」

「うっうっ……私の一張羅だからっ……」

 その時──がら、と戸が開いた。

「おーりとーり!」

 掛け声と共に顔を上げると、そこには天女と見まがう女性が立っているのだった。

 絵の中から抜け出てきたような優美な姿がレインコートを纏い、雨粒が裸電球の光を受けて白い布地の上できらきらと踊っている。

「ふっ……踏揚様!」

 女性はほどけるように笑うと、体重が無いかのような足取りでカウンターに歩み寄る。賢雄の隣に腰かける姿は、まるで白い鷺が舞い降りたかのようだった。

「けんゆう……きれいなおけしょうがだいなしですよ」

 白い指が華奢なポシェットを開け、刺繍の入ったハンカチを取り出す。

「さあうごかないで。わたくしがぬぐってあげましょう」

 涙で落ちたマスカラを拭ってやると、女性……踏揚はやわらかにアカハチに微笑みかけた。

「ごめいわくをおかけしましたね。このひとはこころねがまっすぐすぎて、ときどきいきすぎてしまうのです」

 小さなビーズのがま口を取り出すと、踏揚は小さくたたんだ茶色い札をカウンターに置いた。

 慌てて釣銭を用意しようとするアカハチを、柔らかい指が止める。

「よいのですよ。そのかわり、こんどきたときは、わたくしにもおそばをたべさせてくださいね」

 踏揚は優しく賢雄の手を取る。

「さあ賢雄、いきましょう。くるまをまたせてありますからね」

「踏揚様……っ」

 その声に被せるように、がら、と再び引き戸が開いた。

「踏揚、そろそろ大丈夫かな?」

「またせましたね阿麻和利。もう賢雄はだいじょうぶですよ」

 ね、と首をかしげる踏揚に、賢雄はうんうん、と子供のように頷き返した。

「かえりにやっきょくでふぁんでーしょんをかってあげますからね。さあかえりましょうね……」

 美しい踏揚は去り際にアカハチを振り返った。

 その瞳がふ、と笑う。

 唖然と見送る前で、がら、と引き戸が閉まった。

「……いい匂いだった……」

 それにしても、と店主は首を振る。 

「高貴な人ってのは、わかんねえなあ……」



 次の日、厨房の小さなテレビをつけると、件のリゾート開発のニュースが流れていた。

 短いローカルニュースの中で、レポーターのマイクをひったくった男がカメラを指差す。

「いいかっ! ここは僕の島だからな! ハンカチ一枚分の土地だって売るもんかっ! もう二度と来るなっ!」

 年齢不詳のくせ毛の男が、大きな瞳を一杯に開いてがなり立てている。

「……サラリーマンってのは、大変だよなあ……」

 壁の時計がぽーん、と鳴り、木彫りのカンムリワシが小窓から現れた。

 時の数だけ鳴く声を聞きながら、アカハチは頭の手ぬぐいを締め直す。

 台風一過、空は快晴。

「よしっ! 今日も開店、パーラー Oyake!」

 

 <おしまい>


 ※フィクションです


私の中でのあの人のイメージはこんな感じ……エピソードが強烈すぎて(笑)。


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[良い点] はじめまして、ロータスと申します。 たまに琉球カテゴリの小説を読んでいます。 今日久しぶりに覗いたら、葛柴さまの作品がいっぱいあって、一通り読んだのですが、この作品が一番読みやすく、ユニ…
2018/06/18 00:55 退会済み
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