6月 9
結局財布を持って帰るだけ持って帰って、明日にでも生徒会なり職員室なりに届けに行くことにしたけれど、頭の中のもやもやが止まらない。どういうことなの。
確かにこの学校といい、登場人物といい、『えこうろ』の設定に酷似しているとは思ってた。思ってたけど、何でついさっきの会話までメモ書きされているの。これを書いた子たちは一体何者なの。てっきりゲームの中の話だと思っていたことがいざ自分に降りかかってみると、鳥肌が止まらなくなるのは、案外私が思っているよりも小心者のせいなのかもしれない。
売上は会社に金庫ごと返して、私は自転車を漕いで家まで帰って行く。その間ももやもやが晴れてくれることはなかった。
家に帰ると、ひとまずパソコンを立ち上げる。
『えこうろ』についての情報を探すなら、スマホよりもパソコンの方が私には検索がしやすかったから。ファンの立ち上げたWIKIや情報サイト、アプリのファンブログなんかも巡ってみたけれど、私の疑問に答えてくれる訳は当然なくて。
まさか馬鹿らしくって誰かに聞ける訳もない。
もしかしてここは乙女ゲームの世界ですか? なんて。そもそもそうだとしても私はモブのはずだし、ゲームのネームドキャラになんてなるはずもないのだから。私はリアルチート要素満載の芙美さんとはまた違うのよと、思ってしまうのだ。
とりあえず、明日にでも職員室に持って行って財布探してる子に届けてもらおう。財布漁ったらもしかしたら電話番号なり名前なりわかるかもしれないけど、私の頭がこの子たちと関わることを拒否してしまっているのが、なんとも言えなかった。
とりあえずずるずると夕食の支度をしてしまおう。最近ずっとすっきりしない日が続いてしまっているせいで何を食べればいいのか検討も付かず、私が食べようと思い至ったのはチャプチェと卵スープだった。何も考えたくない時は料理に没頭するに限ると思う。
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朝一で会社に向かって釣り銭を取りに行ってから、店を開ける準備の前に職員室を見に行こうとしていると。
「どうかしましたか?」
平坦にも聞こえる男の子の声に振り返ると、不破君が不思議そうな顔で私の方を眺めていた。そういえば最近見なかったわね。まあ、一学期の間に文化祭の準備もあるせいか、生徒会の子たちはやたらうちに買い物に来ては領収書作って渡していたような気がするけど。私はそう思いつつ、財布を軽く持ち上げてみる。
「あー……うちの店に忘れ物があったし、お金もたくさん入ってるみたいだから届けようと思って。さすがに警察、とかだったらなかなか取りに行けないでしょうし」
「忘れ物ですか……」
まさか言えやしない。この財布とすっぱりと縁を切りたいから財布の持ち主に会うことなく届けたいんです。その持ち主の人が一体何なのかあまり知りたくないんです、なんて。一応私がうっかりと見てしまったメモは全部財布の中に詰め直したから、中身は全部そのままになっているはずだけど。
私が黙り込んでしまっているのを見兼ねたのか、不破君は「失礼します」と言いながら私の持っていた財布を取り上げると、慎重に財布を探りはじめた。やがて一枚薄いカードを取り出す。学生証だ。
私はとっさに顔を見ないように視線を逸らした。気まずいから。気まずいから。
「……わかりました。届けておきますね」
「うん、ありがとう」
「いえ困っているでしょうし、彼女も」
そう言いながら生真面目に私に頭を下げると、そのまま財布を携えて去って行く不破君に、心底ありがたいと思いつつも申し訳ないと私は大きく息を吐き出した。まだ働いてもいないのにどっと疲れたような気がする。
どうしたもんか。あれ落とした子は一体何なのか、不破君に聞けば教えてもらえたような気はするけど、今の私にはそんな度胸はない。ないならないで、そのまま仕事に逃げた方がいい。どうせ今日もテスト前でお客さんは途切れることないだろうし。
私はそう思い込んで店に戻ることにした。
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私がグダグダと考えている間も、予想通り今日もお客さんは途切れることはなかった。それにしても。私もテスト期間中の勤務は何年もした事があるけれど、このピリピリしている空気に混ざっている文化祭前みたいな浮き足立った空気はなんなんだろう。
まるでそう、体育祭の時の空気と同じだ。
ああ、そういえば。前に名東先生も言っていたような気がする。
「求めよ、されば与えられん」が学校の教育方針だったっけ。だとしたら、またテストで上位とかになればなにかしら恩賞があるのかしらん……。このテスト前だっていうのに祭り前みたいなそわそわも入り混じった空気は、部外者からしてみても気になるものだ。
「すみません、おにぎりとお茶あります?」
「はい、いらっしゃいませー。あら、先生?」
「どうもー」
ちょうど生徒さんが空いたところで、名東先生がいつものようにおにぎりとお茶を買いに来た。私はぱたぱたとおにぎりとお茶のペットボトルを携えてカウンターに置くと、名東先生はそれを受け取りつつ釣り銭皿にお金を入れてくれた。男の人がじゃらじゃらとお金をポケットに入れているのはださいと言う人もいるけれど、ちょうどの金額で支払いをしてくれた方が売り手はあまり困らない。私が会計を済ませている間も、生徒さん達が教科書やノートを広げて歩いているのが見える。
「今回はいろいろやばいよねえ」
「うちの校風だけどねえ……」
「運動できないし、勉強も普通だけど……これはマジで責任強いんだけど」
……ものすごーく、デジャブを感じるぞ、この雰囲気。私が通り過ぎた生徒さんたちを呆然とした顔で見ていたのがわかったのか、名東先生は体育祭の時と同じく緩やかに笑う。
「あー……うちの学校の恒例行事ですから」
「……また何か恩賞があるんです? テストの結果で」
「ええ、相変わらず保護者からは色々言われていますけど、成績は上がってるんですよ。これで」
「一体今回、なにでそんなに生徒さんたちは戦ってるんです?」
「うちの学校、一年生や三年生は研修旅行、二年生は修学旅行があるんですが、一学期末のテストの上位クラスに行く場所を決める権利が与えられるんですよ」
「……はあ?」
予想もしていなかった言葉に、私は思わず呆然とした。いやいや、商品券なら意外となんとかなる規模だろうけど、修学旅行や研修旅行の予算とかもろもろは一体どこから出すの。思わず私は頭を抱えたくなるけれど、その手の反応に慣れきっているのか、名東先生はただただ笑うばかりだ。
「皆やっぱりそんな反応するんですよ。自分も最初その話を聞いた時は何を考えてるんだと頭を抱えたくなりましたし」
「そ、そうですよね、やっぱり……」
よかった。私の反応は別に間違ってはいなかった。小心者が過ぎるのかと一瞬考え込みそうになったもの……。私が焦っているのを見て、名東先生はかんらかんらと笑う。
「でも、今はそれもいいんじゃないかと思いますよ。生徒達は行く場所の権利を得たら、予算を決めてその予算内に納まるプランを話し合って決めるんです。それは他のことにも役立ちますしね」
「そこまでやってるんです?」
思わず私は顔を引きつらせる。名東先生は「そこまでやるんですよ」とただ笑った。




