健気な花2
自室にサラを招き入れると、シオンは鍵を掛けた。
かちゃんという乾いた鍵の音で我に返り、拳を握った。
(――鍵なんかかけて……何をしようと言うんだ……)
領主の息子の部屋だ。施錠などしなくても、誰も勝手に押し入ったりはしないのに。
頭に血が上っていてうまく動かない。
成り行きと勢いに任せて部屋に連れ込んでしまったものの、これからどうしたものかは考えていなかった。
私のものだなんて口走ってしまったことを後悔する。
状況が状況とはいえ、一度こぼれた言葉はあらがい難い願望を生む。あんな男に奪われるくらいならいっそ力ずくでも私のものにしておけばという獣のような願望と、涙をためて心から安堵の表情を浮かべたサラの信頼が、せめぎあって胸の奥にぐるぐると渦を巻き、ひどく気持ち悪かった。
「あの……ありがとうございました」
数十秒の沈黙に耐えかねたサラがおずおずと声をかけた。
さっきまでの純粋な感謝にかすかな不安が混ざっているのは、多分鍵をかけられ逃げ道を絶たれたせいだ。
その意味を勘ぐれば、不安にもなるだろう。
けれど安心させる言葉は出てこなかった。
「――いつも、こんな目に遭っているのか?」
聞きながら、さっきの光景が脳裏によみがえって思わず頭を抱える。
もし気がつかなかったら、無視していたら、あと数秒でも遅れていたら、あのまま……。
そう考えるだけで身震いがする。
もし既にサラの純潔を汚した男がいるなら誰だろうと殺してやりたいとすら思った。
けれど、サラはかすかに口元だけの笑みを作った。
「いいえ、時々。そうですね、先日のシオン様の申し入れを数えても4回目でしょうか。幸い、花瓶を割ってしまって他の方に気づいていただいたりして、ことなきをえていますよ」
淡々とした返答が神経を逆なでする。
「拒否すればいいだろう!」
私を、あの男と同じ扱いで数えるのは酷い。あんなふうに無理強いする気など――傷つける気など、ないのに。
他にあと二回もあれほど怯え、耐え忍んでいたのかと思うとつい声が荒くなる。
サラはゆっくりと首を横に振る。
「ヒース様には返しきれないほどのご恩があるのにご迷惑はかけられません。私ができるのは、許しを乞うことくらいです」
返す言葉を探すが見つからず、苦く重い沈黙が澱のように漂った。
それを破ったのはサラだった。
しかも、かすかな笑い声で。
訝しく見ると、彼女は暗い影を落とす表情に、口元だけ笑みを添えている。
「先日、シオン様は問いかけて下さったので、お断りいたしました。ですが、あなたが望むなら私は従う他になかったのですよ?」
(……それは……冗談のつもりか、それとも試しているのか……?)
問いが、声にならなかった。
寂しげに笑いかけるサラの笑顔には、自虐的な色さえ浮かんで、苦いものがこみ上げてくる。
「じゃあ今――服を脱いでベッドに入れと命じられれば従うのか?」
一瞬、サラの表情が笑顔のまま凍り付いた。
時間がとまったように思える静寂のなか、自分でも酷いことを言っていると激しい後悔が押し寄せる。
サラがかすかに頭を振ったように見えて、胸をなで下ろそうかと思った。
だが、違った。
サラは無言で室内を見渡したのだった。
ベッドに目を留めると、くるりと踵を返して歩き出す。
すれ違いざまにちらりと見たペリドットの目は暗い光が宿っているのに、口元にはうっすらと笑みをたたえていて、ぞわりと悪寒が背筋を這い上がった。
ベッドの横まで歩み寄る足取りに迷いはなかった。
だがシオンに背を向けたまま、エプロンの背中のリボン結びにかけた手が、躊躇うように一度止まる。
そのまま止まってほしかった。
けれど、短く息を呑むのが聞こえたかと思うとリボン結びは一息にしゅるりと音を立てて解け、そして、純白のエプロンがぱさりと音を立てて床に落ちた。
(――なんでだ!)
仕事がなんだと言うのだ。
こんな理不尽な命令など突っぱねればいい。
この間のように、戯れに付き合うことはできないと。
仕事が貞節より大事かと苛立ちがつのる。
上着も同じように床に落ちる。
その音がやたらくっきりと耳に届く。
緊張に息をのむ音すらが、はっきり聞こえた。
(――嫌だ。嫌だ、やめてくれ)
自分で言ったくせに、祈ってしまう。
それほど彼女の背中は痛々しい。
なのに、喉が張り付いたように声が出ない。
ゆっくりとブラウスのボタンをはずすサラに、つかつかと歩み寄る。止めたくて背後から抱きしめると、彼女はびくりと身体を震わせ、そのまま硬直した。