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夜空に散る花、咲いた花

作者: 夕月日暮

 ――――――――――――プロローグ


 何年も前に、一度だけ花火を見に行った。

 妹がどうしても見たいと言っていたからだ。

 当時、俺たち家族は田舎の山奥に暮らしていた。

 ふもとの町まで車で30分くらいだったと思う。

 俺は学校に自転車で2時間かけて通っていた。

 それまでは都会暮らしをしていたからか、最初は辛かった。

 なんでこんな生活しなきゃならないんだ、と両親に愚痴をこぼしたこともある。

 おかげで体力だけはついた。

 そんな生活に慣れてきたのが、7月の終わり頃。

 ちょうど今と同じ頃だ。

 この時期になると、どうも昔を思い出してしまう。

 今いる自分は偽者で、本物はあの夏の夜に置き忘れてしまったかのようだ。

 事実そうなのだろう。

 たまに、自分のことを客観的に視ている“俺”の存在を感じることがある。

 その“俺”はいつも俺に非難がましい視線を向けてくるのだ。


 ――――なにも知らない残響の分際で。


 他人ではなく、それが自分自身だからこそ。

 不躾な視線を送る“俺”への苛立ちは、際限なく増していく。

 夏はこれだから嫌だった。

 暑いのも嫌だし、蚊が鬱陶しいのも嫌だ。

 しかしなにより嫌だったのは、あの花火の夜を思い出すことだった。



 ――――――――――――1/宮岸優作



「花火大会さ、今度みんなで行かない?」

 そんな会話が聞こえた、夏の教室。

 期末テストが終わり、あとはテストの返却と終業式くらい。

 そうなると学生たちは、今までテストによって抑えられていたパワーを一気に開放する。

 若さっていいねぇ、と思う俺は親父くさいのだろうか。

 彼らはみんな、俺の友人たちだ。

 こちらに引っ越してきて以来の付き合いになる奴も、何人かいる。

 普段はお互い馬鹿を言い合ったりくだらない話をしたりもするのだが、今回はなぜか誰も俺に話しかけようとはしない。

 それは別に俺が彼らと喧嘩中だとか、そういうわけではない。

 みんな良い奴だから、俺に気を使っているだけなのだ。

 それに一抹の寂しさを覚えたとしても、俺は、文句を言えない。

 きっと声をかけられたら、俺は彼らにトンデモナイコトを言ってしまいそうだから。

 みんなが俺に気を使っているというのは、どこか気まずい。

 人のためを思ってやっていることなのに、どうにもうまくいかないことがある。

 これも、そういうコトの1つなのだろう。

 とにかく、長居はしないことだ。

 これ以上、彼らに気を使わせてばかりじゃいけない。

「悪い、ちょっと今日用事あるから」

「おー、そうか。じゃあな」

「テスト、今回は負けないからなー」

「ははっ、俺に勝とうなど10年以上早いわ」

 そんな言葉を相手と交わしあいながら、俺は1人教室を出た。

 出る際に戸を閉める。

 それだけで教室の中にいるみんなとの間に、境界線が引かれたような気がした。

 一歩、二歩と教室から離れると、次第にその思いは強まっていく。

「孤独、だな」

 人付き合いは、それなりに考えながらやっている。

 俺の数少ない自慢は、喧嘩した回数が0、ということだ。

 暴力沙汰だけではなく、激しい口論、トラブルなど、不穏な空気を対人関係で発生させたことがない。

 俺は他人が好きだったから。

 その理由はとても陳腐で、どうしようもないようなコトだったけど。

 それでも好きだったから、誰も傷つけないようにしてきた。

「でも、正直しんどいなぁ」

「何がしんどいのだ、優作」

「どぅわっ!?」

 突如、俺の背後から女の声が聞こえた。

 気配を全く感じさせない、凛とした女生徒。

 彼女の名は城戸さとり。

 俺とはクラスメートであると同時に、一つ屋根の下に住むという間柄である。

 ……誤解のないように言っておくと、俺と彼女は別段周囲が怪しんでいるような関係ではない。

 彼女の家はお寺で、俺はそこの居候。

 俺のほかにも、数人そんな境遇の人たちがいる。

「急に声をかけるな、驚くだろっ」

「いい加減お前も気配察知能力を向上すべきだと思うぞ」

「なんで現代社会に暮らす平凡な学生がそんな能力鍛えなきゃいけないんだ?」

 疑問はつきない。

 ここ数年、他の友人たちよりも深い付き合いになるが、さとりのことはいまだによく分からない。

 人間関係に細心の注意を払うようになってから、俺は人を見る目、というやつを鍛えた。

 ちょっとした仕草から相手が何を望んでいるかが分かるようになり、俺は気の利くやつとして有名になっていた。

 それでも、さとりのことはどうにも読めない。

 結構美人だし、黙っていれば深窓の令嬢に見えなくもない。

 だと言うのに、なぜか男言葉。

 しかも趣味は武道全般で、俺なんかは一度も勝ったことがない。

 こんな田舎でどうやってそんなに多種多様の武道を学べるのか、と以前聞いてみたところ、

「通信教育でな」

 などという返事があった。

 きっと深く考えても、仕方がない。

 とにかく、城戸さとりはそういう少女だ。

「で、なにか用か?」

「ああ、そうだ。テストも終わったことだし、今度遊びにでも行かないか?」

「別にいいけど」

 しかし、この周辺に遊べる場所など存在しない。

 ゲームセンターもなければ映画館もない。

 野山を駆け回れと言うならいくらでも場所はあるが、学生が遊びに行くようなところなど、皆目検討がつかなかった。

「どこに行くんだ? ここらじゃ遊ぶところもないだろう」

「花火大会だ」

 と。

 そこで、俺の一番聞きたくない単語が、飛び出してきた。

「花火大会、ね――」

 やばい。

 つい口調に棘が入ってしまった。

 抑えろよ、俺。

 さとりだって悪意を持って言ってきたわけじゃない。

 別にお前が怒る理由なんかないだろうが――――!

「……また、1人で葛藤しているな」

 俺が黙っていると、さとりは静かにそう言った。

 顔が険しい。

 あれは不機嫌なときの表情だ。

「葛藤なんか、してないけど」

「では行くか、花火大会」

「――――悪い」

 俺は若干ためらいながらも、さとりの誘いを断わった。

 ためらったのは、さとりに悪いと思ったからだ。

 花火を見に行くつもりなど、最初からこれっぽっちもない。

「誘うなら俺なんかよりも、もっと良い奴ならいくらでもいるだろうに。お前だって顔広いんだから、一緒に行く友達くらいいるだろ?」

「例年ならば、な。今年はお前と行こうと思っていた」

「残念ながら俺は花火恐怖症なの。よって行けません」

 嘘ではない。

 俺は花火が嫌いだが、それ以上に恐ろしかった。

 あの黒い空に突如現れた無数の閃光。

 まるで未知の侵略のような感じがして、ひどく不気味だった。

 最初は、そんな風に思ってなかったはずなんだが……時が経つにつれ、人の中でイメージは変わっていくものだ。

 それだけのことだろう。

「それじゃ、先に帰ってる。会の仕事、頑張れよ」

 さとりは生徒会に所属しているため、帰りは俺の方が早い。

 少し前までは俺も部活動をやっていたため、一緒に帰ることもたまにはあった。

 が、俺たち野球部は見事一回戦敗退。

 かくして俺はこの間引退したというわけだった。

「優作」

「なんだ?」

 歩み去ろうとした矢先、背中の方からさとりが声をかけてくる。

「行きたくなったら、私に言え。予定は空けておく」

「……分かった」

 行くつもりなどない。

 だから他の奴と行っておけ、と言うべきなのだろう。

 それでも、さとりの目が真剣だったから。

 俺は、気まずい気持ちを抱えたまま、足早に学校から立ち去った。



 ――――――――――――2/城戸さとり



「困ったものだな、あいつも」

 足早に去っていった幼馴染を見送りながら、私はため息をついた。

 あのままではよくない。

 そう考えたのは私の意志で、これはあいつにとってお節介にしかならないかもしれない。

 それでも、あいつは変わるべきだと思う。

 きっかけは花火だった。

 10年前にあった、普通の花火大会。

 そこで、ある事故が起こった。


 ――――当時6歳だった、宮岸優子の死。


 優子は病弱だった。

 私と優子は友達だったが、会う場所は決まって彼女の部屋の中。

 子供の頃だったから私もよく分からなかったのだが、重い病気だったらしい。

 もともと、宮岸一家は優子の療養のために、こんな田舎へと越してきたのだ。

 都会の空気は、彼女の身体に毒だったらしい。

 彼女はあまり動くこともできず、いつもベッドの上にいた。

 私が自分の経験を話すと、優子はいつも羨ましい、と笑っていた。

 それがひどく寂しそうな笑みだったから、私は今でもよく覚えている。

 優子の部屋から見える風景は、自然に満ちていた。

 静かな山と、そこに生えわたる木々の群れ。

 そしてどこまでも広がっていく青空。

 自然はいいものだと言う人もいるが、私は必ずしもそうではないと思う。

 優子のように、自然の風景しか見ることができない環境に置かれたらどうなるだろう。

 大地は広く、大きく、そして――――変わらない。

 人にとって変わらないということは、停滞。無に近いものを、感じさせるのではないだろうか。

 自然破壊に繋がると分かっていても、人が人工物を次々と生み出していくのは、実感したいからだろう。

 俺たち人間はここにいる、という確かな意思表示。

 無の中において必死に有を叫ぶ、人の性。

 優子の中にも、そういった想いがあったのだろう。

 彼女は花火が見たいと言った。

 変わらない景色と、僅かな人々との触れ合い。

 それだけでは、足りなかった。

 生きている実感を得るために、優子は求めたのだ。

 季節は夏。

 ちょうど今と同じ、7月の終わり頃。

 私は彼女に頼まれたとき、その願望を拒否してしまった。

 周囲の、特に彼女の両親から、優子を外に出さないように言われていたからだ。

 私は頭が固かった。

 規則を破る連中は許せなかったし、大人の言いつけは必ず守るべきものだと思っていた。

 だから、優子に対して「それは駄目だよ」と、そんな言葉しか送れなかったのだ。

 そのときの優子の顔は、今にも泣き出しそうでいて、それでも笑おうとしているような、今思い出しても悲痛さに胸が痛むようなものだった。

 あの顔を思い出すたびに、私は後悔する。

 連れて行ってやれば、よかったんだ、と。

 だって、それが最後に見た優子の姿だったから。

 そんな辛い顔が最後の別れだったなんて、あまりにも哀し過ぎる――――。

 ……後日、優子は死んだ。

 原因は、兄貴である優作が外に連れ出したから。

 まさか、と思う。

 当時8歳だった少年が、妹を連れて隣町まで行ったとは。

 両親の目を掻い潜るために、自転車などは一切用いなかったらしい。

 歩いて、遥か先にあるはずの、夢の舞台を目指したのだ。

 それは、幼い兄妹にとってどれだけの冒険だったのだろう。

 そんな夢のような一夜の結末は、ひどく現実的だった。

 優香の命は散り、後悔という花が咲いた。

 優作は両親から散々責められたらしい。

 無理矢理優子を連れ出したとか、いらぬ誤解をうけたこともあるのだろう。

 それ以降、宮岸家は崩壊の一途を辿った。

 母親が一方的に実家へと戻り、父親も浮気相手の女と同棲を始めた。

 そのことから村での評判が悪くなり、父親は愛人と共に逃げた。

 その際に、優作は家へと預けられた。

 優作が父親やその愛人から疎まれ、嫌われているのは子供の私にも十分分かった。

 そんな環境に、あいつをやっておくことは嫌だった。

 あいつは勇気を出して、私が踏み出せなかった一歩を越えた奴だったから。

 例えその結果が優子の死であっても、責任は優作だけにあるわけじゃない。

 なにより、優子がそれを求めた。

 あいつはそれに応えたのだ。

 私には正直それが羨ましい。

 それだけ宮岸優作は、綺麗な心の持ち主なのだろう。

 綺麗過ぎて、ひどく脆い。

 優子の死の責任を、あいつは全て背負っている。

 周囲がそう仕向けたこともあるだろうが、本人の性質によるとことも大きい。

 ともあれ、あいつは亀裂の走ったガラスのような存在だ。

 そろそろ、誰かが修復してやらなければならない。

 空いた領域に触れることになろうとも、だ。



 ――――――――――――3/“宮岸優作”



 俺はずっと縛られ続けている。

 あの花火の夜からずっと。

 なにをそこまで迷う必要があるのだろうか。

 今の俺は自分を偽ってばかりだ。

 皆と仲良くやって、好青年を気取ったところでどうするつもりなのだろう。

 そうすることで優子の死が消えるわけではないというのに。

 過ぎ去った過去はどうにもならない。

 優子の死は悲しき事実として既に刻まれている。

 そのことで家庭が崩壊したのも、また然り。

 俺はどうやらそれに立ち向かうことが出来ずにいるらしい。

 花火大会という、それだけのものにあそこまで怯えているのが証拠だ。

 全く――――不様極まりない。

 行いを正せば、きっと懐かしい日々が蘇ってくる。

 どこかで無意識にそう期待しているからこそ、俺は花火という象徴を拒絶し、必死に“良い子”で在り続けようとしている。

 なんて愚かな、幻想。

 そんなことぐらいで悩むなら、もう一度見に行けば良い。

 花火大会へ。

 あのときとは違う、花火大会へ。

 花火はいい。

 優子が見たがっていただけのことはある。

 あの夜、息を荒くしながらも、優子と2人で夢中になって見た。

 2人は長い距離を歩いて行った。

 その先にあった花火は、たった1つの巨大な幻想。

 儚くも素晴らしき、2人が求めた幻想。

 そこを俺は分かっているのだろうか。

 俺が今を否定し、家族と共にあった日々を夢見るというのならば。

 ――――優子の求めたものまで否定してしまうということに。



 ――――――――――――4/宮岸優作



 当日になった。

 俺は受験生ということもあって勉強漬けの日々。

 宛がわれた部屋で机に向かっているだけの生活。

 さすがにちょっと疲れてきた。

 うーん、と背を伸ばしてから、ようやく今日が花火大会の日だということを思い出した。

「さとり、もう行ったのかな」

 なんとなく気になって、呟いてみる。

 返事など当然ない。

 窓の外を見やると、陽が少し沈んでいる。

 隣町への花火大会へ出発するなら、そろそろ出発しないと間に合わない。

 この町には駅というものがない。バスもない。

 そのため近隣の町へと出向くには、自家用車かタクシーの呼び出しが必要となる。

 自転車でも行けることは行けるが、坂道が多いため非常に疲れる。

 歩いていくなど論外だった。

 その論外を、かつての俺はやってしまったわけだが。

 常識的には考えられない。

 我ながら――どうしようもなく、馬鹿だった。

「いかんいかん、雑念消去!」

「優作君」

「どぅわっ!?」

 唐突に背後から声をかけられ、俺は椅子から飛び上がりそうになった。

 振り向くとそこには、穏やかな顔をしたおじさんが立っていた。

 この寺の住職にしてさとりの父親、影義さんだ。

 今となっては俺の保護者――父親代わりの人でもある。

 しかし、気配を断って背後に立つのは娘さん共々止めていただきたい。

「僕ら、そろそろ花火大会に行こうと思ってるんだけど、どうかな?」

「お断りします」

「まぁそう言わずに」

 がしっと肩を掴んでくる。

 温厚な顔立ちのせいで時折忘れそうになるが、この人はさとりの父親だ。

 戦う住職という肩書きが似合いそうなくらいの実力者である。

 肩を掴まれた以上、俺では引き離せそうもない。

「いや、俺はいいっすから」

「最後の夏、思い出作ろうじゃないか」

 ぴたりと、俺は動きを止めた。

 そう、これが最後の夏。

 俺の志望大学は、東京の私立大学。

 大学卒業後にはそのまま自立するつもりでいたから、この町にはもう戻ってこないかもしれない。

 だから、これが最後の夏。

 そのことを改めて言葉に出されると、不思議と寂しさがこみ上げてくる。

 夏は卑怯な季節だと思う。

 最後の夏という言葉の響きには、他の季節にはない何かがあるのではないだろうか。

 だからか、つい不貞腐れたような声で、言ってしまった。

「……行くだけなら」

「ありがと。さとりもきっと喜ぶよ」

 そう言い残して、影義さんは去っていった。

 俺も準備をして行かなければならない。

 机の上を見ると、そこには参考書が山積みになっていた。

 勉強から逃げる、ということになるのだろうか。

 今まで花火から勉強へと逃げ続けていた俺が、今気まぐれとは言え、全く逆の選択をしてしまった。

 どちらにしろ逃げなのだろう。

 俺の人生は逃げ道だらけだ。

 けど、逃げ道の先にも、何かがあるかもしれない。

 そんな期待が、ないわけではなかった。



 ――――――――――――5/花火大会



 影義さんの運転する車に乗って移動する間、窓の外をじっと見ていた。

 あの道を、幼き日の俺は歩いていた。

 途中で妹が立ち上がれなくなるほど疲労したため、おんぶしてやりながら進んだ。

 懐かしさと腹立たしさと、どうしようもない寂しさが胸の中に湧き上がる。

「優子は、楽しそうだったか?」

 そんなことを考えている俺に気づいていたのだろう。

 さとりが静かに尋ねてきた。

「ああ……楽しそうだった」

 顔色はとても悪かった。

 息も荒かったし、汗もたくさんかいていた。

 まともに立つことも難しいという状態だった。

 でも、笑っていた。

 辛そうだったが、弱音は吐かなかった。

 むしろ初めて見る世界に、心を躍らせているようだった。

「そうか」

 さとりは俺の言葉に頷き、肩を叩いてきた。

「それだけで十分だ。お前は正しいことをしたよ」

「慰めのつもりなら、遠慮しとくよ」

「慰めなど私が言うものか。確かにお前は間違ったことをした。けどな、同時に正しいこともしたんだ」

「よく、分からないな」

「……分かりやすく言うとな。私はお前の決意を羨ましく思う」

 それだけを告げて、さとりは黙った。

 言いたいことは、実は分からなくもない。

 ただ俺本人がそれをすると、醜い自己弁護になってしまうのではないか、という気もするのだ。

 だから俺は自分と、あの夜脳裏に焼きついた花火が嫌いだ。

 けど、さとりの言葉は嬉しくもある。

 矛盾、してるんだろうか。

「ほら、着いたよ」

 物思いに耽っていると、既に影義さんは運転席から降りていた。

 遠くに見えるのは砂浜。

 周囲は薄暗くなりつつあるというのに、人の気配によって埋め尽くされている。

 塩の匂いが風と共にやってきて、山暮らしに慣れた俺には斬新なものを感じさせる。

 車から出ると、夏の夜特有の暑さが感じられた。

 海の雰囲気、祭りの雰囲気と相まって、これから何かが起きることを予想させる空気である。

 波の音も人々の喧騒に掻き消されてよく聞こえない。

「なにをしている、さっさとシートを持って座席確保に向かうぞ」

「あ、ああ」

 さとりにシートと水筒、その他諸々の小道具を持たされて、砂浜へと近づく。

 屋台もいくつか立ち並んでおり、楽しそうに駆け回る子供たちの姿が目に入った。

 その姿が、不意に昔の優子と重なる。

「……っ」

 思わず後退りをすると、さとりにぶつかった。

 射殺されかねないほどの視線で睨まれる。

 正直、ものすごく怖い。

「いや、悪い」

「全くお前は……いつまでもぼーっとするな! 早くしないと始まるぞ」

 その言葉に、慌てて俺は手近なところにシートを敷いた。

 シートの上に荷物を乗せて、俺とさとりは腰を下ろす。

 影義さんはと言うと、財布を片手に屋台の方へと歩いていく。

 多分なにか変なものを買ってくるんだろう。

 あの人は妙なところで子供だから。

「父は相変わらずだ」

 さとりもそんな影義さんには手を焼いているらしい。

 が、そこが影義さんの長所のような気もする。

 一緒にいると、純粋な心を取り戻せそうな人だ。

「俺も、あんな風な大人になりたいもんだよ」

「無理だな、お前と父は正反対だ」

 影義さんは子供のような大人。

 俺は大人のような子供だと、さとりは言う。

 なるほど、それは確かに正論かもしれない。

 それに。


「お前――――せっかくの花火が始まっているのに、まるで気にしないんだからな」


 そう。

 既に夜空は、脆く儚い花によって彩られている。

 一夜限りの、広大な花畑。

 綺麗で、どこか悲しい。

 あの花火を見ると、優子を思い出す。

 罪悪感と優子の笑顔の双方が、俺という一個の存在の中で溶け合っていく。

 ごちゃ混ぜになった価値観は定められし方向を見失い、やがて霧散する。

 だから、俺は花火に対して何を感じることも出来ない。

 あまりに多くのものを感じすぎて、訳が分からなくなっていた。

「もっと純粋な目で見てみろ、子供のような心でな」

「俺、もう子供じゃないんだけど」

「馬鹿者、周囲を見てみろ」

 言われたとおり、視線を巡らせてみる。

 感心したような声と、花火によって一瞬だけ映し出された笑顔が見えた。

 それは、俺なんかよりもずっと年上の、おじさんおばさんたちだった。

「花火、誰が考え出したものかは知らないが……良い物だと思わないか?」

「……どうかな」

 認めたくない。

 だから、そんな風に返答する。

 頭の中はごちゃごちゃだ。

 まるで整理しきれていない状態では、良い物も良いと思えるはずがない。

「確かに派手だし綺麗だけどさ。すぐに散るなんて、悲しいじゃないか」

 それは優子の笑顔のように。

 優子はたった一度の笑顔を見せて、すぐに散った。

 俺は、それを悲しいと感じたんだ。

「そうか、お前にはそう見えるか」

 さとりは、どこか物憂げな様子で俺を見た。

 花火がさとりの顔を照らし出す。

 なんだかとても幻想的で――綺麗に見えた。

「私にはな、あれは咲いているように見えるぞ」

 滅多に見せない、笑顔を見せて、そう言い切った。

「見えなくなるだけだ。咲くときに精一杯力を使ったから、あとは夜空の中で静かにおやすみ、というわけだ」

「……意外だな、さとりってロマンチスト?」

「いや。ただ、こんな幻想的な光景を見せられては、自然とそう思ってしまうだけだ」

「なるほどね」

 さとりは視線を前方に戻した。

 花火が咲き続けている。

 なるほど、散り続けていると考えるよりはよほどいい。

 どころか、一層綺麗なものに見えた。

「優子はさ」

「む?」

「散ったのか、咲いたのか。俺、ずっと前者だと思ってたけど……後者だったのかな」

「……そうだな」

 優しげな声で、さとりは俺の頭に手を乗せた。

「きっと、そうだ」

 俺は、嬉しかった。

 花火は咲き続けていく。

 周囲は幻想に包まれて。

 どーんと、大きな音がした。

「おお、優作! 今のはすごかったな」

「はは、そうだな。今のはでっかい花が咲いた」

 簡単には散らないだろう。

 こんなにも綺麗に花火を見ることができるとは、思ってもみなかった。



 ――――――――――――6/“宮岸優作”



 夢が高らかに咲き続ける。

 俺もどうやらそのことに気づいたらしい。

 だから言ったろう、花火は良い物だって。

 ああ――だからそろそろ、残響たる“俺”は散るべきかもしれないな。

 俺が新しい花を咲かせるには、今ある“俺”は邪魔みたいだ。

 優子。

 夏の夜、一夜限りの夢の楽園。

 お前が見た夢も、きっと綺麗だったんだろうな――――。






 ――――――――――――エピローグ/城戸さとり



 私は父の車に乗せられて、隣町まで来ていた。

 あれから一年。

 私は今年が正念場だ。

 奴とは別の、それでもこの町ではない遠くの大学を目指す。

 つまるところ、忙しい。

 そんな受験生であるはずの私は、なぜか駅のホームで20分以上待たされている。

 どうも電車が事故にあって遅れているらしい。

 ようやく、アナウンスが電車到着の旨を告げた。

 視線をやると、はるか彼方に黒い影が見えた。

 その影――電車はやがて駅へと接近し、やがて停まった。

 ぷしゅー、という気の抜けるような音と共に、扉が開かれる。

 中から1人だけ人の良さそうな男が、ひょっこりと荷物を持って現れた。

 私は耐え切れず、そいつの胸に飛び込んで……

「遅いわアホタレッ!」

「ぐぶぉっ!?」

 我ながら見事なアッパーをお見舞いしてやった。

 弧を描いてそいつが地に落ちると同時に、電車は駅から離れていく。

 が、そんなものは私には関係がない。

「お前が『最後の思い出に』と誘っておいたんだろう! それを、お前の方が遅刻して、どうするっ!」

「あ、アイムソーリー! ソーリィィィ!」

 なんだか本当に苦しそうだったので、手を離してやった。

 考えてみれば電車が遅れたのは別段こいつのせいではない。

 つまりこいつは別に悪くはない。

「……すまん、ちょっとやり過ぎた」

「あ、ああ……久々の一撃だとキツイぞ」

 そう言って、奴――宮岸優作は、笑って立ち上がった。

「しかし去年までのお前からは想像もつかんな、花火大会に行こうなどと」

「変か?」

「いや、実に結構。しかしなぜ私なのだ?」

「ん、別に。お前となら楽しく見れるかな、と思ってな」

 なぜか明後日の方を向きながら優作は答えた。

 なにか隠しているな、こいつ。

「ふむ……そうか、嬉しいことだ。っと、そろそろ行かないと始まるぞ」

 腕時計に記された時刻を確認すると、もうあまり時間がなかった。

 私は早足で駅のホームから出る。

 その折、後ろから優作の呟き声が聞こえた。

「言えないよなぁ、花火見てるときのあいつがすごく綺麗に見えた、なんて。バカップルじゃあるまいし」

 ……………………。

 ………………。

 …………。

 ……。

「悪い、待たせた。ってどうした、顔真っ赤だぞ」

「黙れキザ男」

「は?」

「いい、聞くな、問うな、何も話すな! 私は先に行くぞ!」

「あ、ちょっ……お前、まさか聞いてたな!?」

「何も聞くなと言っただろうがこの馬鹿者がぁっ!」

 なんだか。

 去年の花火大会は、優作の奴に妙な感情まで咲かせてしまったらしい。

 ……今年はどうなるのだろう。

 少々不安だ。

 まぁ、それでも。

 楽しみな気がしなくも、ない。

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