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名門(ハイリスクローリターン)

人間とは『慣れる』生き物だ。

初めは気になっていた天井のシミも、毎日見ていれば『そういうものだ』と見慣れてしまう。

最初は嫌悪を感じていたに違いない汚職や賄賂溢れる漢王朝の政治腐敗を袁家の先人がどう見ていたかを私は知らない。

だが、これだけは確かだ。

袁家はそんな漢王朝で三公三世を成す位には『慣れて』しまったのだろう。だからこそ、強靭な異民族の侵攻でも、精強な軍人の決起でもない、たかが農民の反乱に『黄布の乱』などという御大層な名称をつけて殊更に危機感を煽るのだ。

たかが農民の反乱に過ぎない『それ』を抑え込む事すら出来なくなった事実から目を反らすように。

そして、そんな姿勢にも『慣れ』てしまうのが人間である。私も。



「で、その『黄巾』の賊共を討てばいいのね」

腰に手を当てて不機嫌に眉を寄せる孫策。

「うむうむ、漢王朝から託された妾の大事な勅命なのじゃ。そんな大事な使命を孫策にも手伝わせてあげる妾は本当に寛大なのじゃ」

鈴の音が転がる様な声で居丈高に胸を張る袁術。

「さっすが美羽様。勅命を客将にも教えちゃう寛大さと、功名を上げる機会まで与えちゃういい上司。よっ、三国一の気配り上手」

「うははー、もっと妾を褒めるのじゃー」

「いよっ、この仕事の割り振り上手。面倒くさがり世界一、屑め、豚め、美羽様め♪」

「うむうむ、妾は気分がいいのじゃ。仕事終わりの蜂蜜水はまだかの?」

盛り上がる主従を横に

「まだです。具体的な話が何一つ終わってませんので」

冷静な、ともすれば暗く沈んだ陰気ささえ感じさせる低温な声で袁亥は浮かれきった雰囲気に冷や水を浴びせる。

「そ、そうかの。伝えるべき事は伝えたと思うのじゃが?」

伺いを立てる様に玉座から、翡翠色の瞳で上目遣いに袁亥を見上げる袁術。

「袁術様の言うべき事は確かに。帝よりの勅命を下賜たまわり、それを下々に伝えるお役目は袁術様にしか出来ない尊きお仕事です。それを為されたのは見事、ご立派、袁家の鏡、流石は美羽様、袁家の柱」

「うむぅ、これはすでに蜂蜜水一年分の働きじゃな」

「ですが、太守の仕事はここからなれば今しばらくは玉座に座り話し合いの最終決定をするのも袁術様の仕事。これは誰にも譲れぬ大事な役目」

「そ、それは蜂蜜水より…」

「勿論、蜂蜜水も大事ですがどちらがより大事かは問題ではなく、優先順位の違いですな。蜂蜜水は後で頂けばよろしい。話し合いは今、しなければならない。その違いに過ぎません」

背筋を伸ばし、死んだ様に感情の光らない目で見下ろす袁亥に気圧され、しおしお、と玉座に座り直す袁術を見かねて張勲が挑む様な眼差しで袁亥を睨みつける。

「あのぅ、太守は美羽様で袁亥さんは部下ですよね?」

「如何にも。袁家のよしみで張勲殿に及ばぬ才無き身ながら請われ、貴女と同じ地位に立てた奇跡に袁術様への感謝は山より高く海より深い。美羽様最高、美羽様天帝」

真面目な顔で真面目な声音で抑揚無く言い切る袁亥に

「えーと…そ、孫策さんには何を伝えればいいのかなー、なんて…」

袁術への忠誠を見せること無くヘタれた張勲であった。七乃ぇ。

お気楽極楽コンビを封殺した袁亥に内心、親指を立ててサムズアップをした孫策。また無理難題を押し付けられそうな気配はビンビンにしていたが、運動した後に冷たい清水を飲んだかの様なスカッとした気分なら何でも出来そうであった。

「さて、お待たせしましたな孫策殿」

「何、黄巾の本隊でも討伐して来たらよいかしら?」

凄い上機嫌な笑顔の孫策に虚を突かれたのか、袁亥の顔に動揺のひきつりと、さ迷う様な視線の泳ぎが走る。

普段の暗く沈んだ読めない顔からは想像出来ない人間臭い『幼さ』すら感じる顔になるが、それも一瞬で消えて得心した様に重々しく沈み込む様に頷く。

「北に本隊とおぼしき一万余の大部隊、南に分隊とおぼしき3000余の部隊がここ荊州に入り込んでいる。まあ、詳しい説明は『知っている』か『これから聞く』だろうから省こう。本来はどちらに当たるか聞く予定だったが、自らを成す者に他者は助く事しか出来ない。よろしいかな」

久し振りに見た袁亥の慌てぶりが短かった事に口を尖らせ不満げな孫策だったが、

(ま、初めから決まってた様なものだし。援助を引き出せただけでも良しとしますか)

と自らを納得させ、快活に了承する。

「では、孫策殿に袁家からは兵力を二万出しましょう。袁術様、我らは一万の兵力で出撃しますぞ」

「はっ?」

「えっ?」

ポカン、と口を開けて停止する孫策と張勲。

「ま、待て待て待て。鋭羽よ…」

「仕事の場では袁亥です」

「いやいや、さっきはお前も妾の真名を…」

「あれは仕事以外の本心だからいいのです」

「うう、真面目な顔で言うな。ではなく、何やら妾らの方が兵力が極端に少なくないかや?」

「仕方ありません。孫策殿が本隊の方を受け持つと言った以上、そちらに宛がう予定だった兵力を動かす訳にはいきません。万一にも討ち漏らしがあれば民草にどんな被害が出るか…おお、怖い怖い。我らは分隊を討ち漏らさない様に神速を持って行動しましょう」

大袈裟に首を振り、クルリと孫策の方に向き直った袁亥は殊更に優しげな笑顔で

「お互い、荊州の民に被害が出ないよう頑張りましょうなぁ」

と、堅く僅かに震える声音で念を押すのだった。



「って感じだったんだけど」

孫策は自らの手飼いである部下達の元に戻り、顛末を話し終える。

「…はめられた、な。雪蓮、お前の勘も袁亥には効果が薄いか」

「えっ?」

眼鏡をかけた暗褐色の肌を持つ女性の言葉に意外そうに目を見開く孫策。

「それはですねぇー、袁亥さんが現有兵力より言質を重要視したのがこちらの予想外だったからですぅー」

間延びした声を出すのは同じく眼鏡をかけた雪の様に白い肌を持つ女性。

「一見は天祐じゃな。我らは三千の私兵と袁術から貰った二万の兵力。袁術は一万しか兵力がおらん。袁術を討つまたとない機会じゃ」

しわい声で私見を述べるのは孫策と同じ褐色肌の女性。

「私もそう思うけど、そんな『気分』になれないのよね」

しかめ面をする孫策に一同は、おや、という意外そうな顔をする。

「らしく無いといえばそうだが、らしいと言えばらしい、な」

嘆息するのは暗褐色の肌の女性。

「ちょっと冥琳、それどーいう意味よ」

不満げに唇を尖らせる孫策。

「簡単に言ってしまえばぁ、大義名分を押し付けられたんですよぉー」

間延びした助け船を出すのは白い肌が眩しい陸遜。

「大義名分って大事じゃない。あれっ、何で袁亥はそんな大事なものを私達に譲ったのかしら?」

自問自答で更に困惑を深める孫策に断金の友であり、己の頭脳とも呼べる冥琳ー周瑜ーが溜め息一つと共に答えを出す。

「我々が荊州の治安を脅かす黄巾の賊を後回しにして袁術を討とうとすれば、我々は大義を失い呉の再建は二度と叶わぬ汚名を被る。かといって、黄巾の賊を出来うる限り速く殲滅してとって返すにしても二万を越える部隊は小回りが利かないから無理だろう」

「加えて言えばぁ、その規模の軍を動かすにはそれ相応の食料や武具を揃えるにも時間がかかりますしぃ、輸送するための兵站部隊の移動にも時間がかかりますからぁ、今回は真面目に黄巾の賊を討つしかありませんねぇー」

陸遜の間延びした説明に気勢を外された感があるものの、そこは年の功か年長である黄蓋が頷きながら

「まあ、楽な戦にはなるがたまには良かろうて。腕が鈍るのは頂けんがのぅ」

カラカラ、と快活に笑う。

それを見て孫策と陸遜も表情を緩め気楽な見通しをたて始める中、周瑜だけは眉間に皺を寄せて考え込む。

(単純に考えるなら、袁亥の言った通り計画の練り直しが非効率的だからと受け取れる。だが、私達は二倍を越える数で賊を討つだけの大して難しくも無い役割。これでは名声を得る戦いにはなり得ない。寡兵で大群を討つからこそ名は高まり、才能や金は名声に集まる。だが、もし……)

厳しい、敵を見る目で、今はもう暗くて見えない袁術達の居る城を見透かす。

(本当の意味で私達を飼い殺しにするつもりならば、私達にそれを防ぐ術は無いのではないか。このまま、袁術小飼いの客将として朽ち果てさせるならば私達に名声を高める機会を全く与えないとしようとするならば、私達は、呉は……)

賊を討ち、名声を高めるには袁術の兵を借りなければならない孫策達の脆弱な戦力。

もし、賊を討とうとする度に余りある兵力を与えられてしまえば名声は治安を守るために惜しみ無く兵を金を使う袁術にのみ集中してしまう。

そして、最大の懸念はそんな兵力差に頼りきった戦いばかりに慣れきってしまう事。

今は一騎当千といえど、人間は楽な環境には簡単に慣れきり堕落する。

呉を再建するために必要不可欠な牙を抜かれてしまう周瑜の懸念はしかし、

「めーい琳、そんな難しい顔をしなくても大丈夫よ」

いつの間にかこちらを見る三人の視線に中断させられる。

「私達はぁ、孫堅様の大望を見失ったりしませんからぁ」

「袁術なんぞに腑抜けにされたりしたなんぞと知られたらあの世で堅殿に笑われてしまうからのぅ」

強かに朗らかに歌う様に笑う三人の笑顔に周瑜は自分の浅はかさと軍師特有の杞憂に苦笑する。

自分が仕えたいと、世に知らしめたいと願ったのはこの強さ。冷静な知略や猛る武勇だけではない、しなやかで生命力に溢れた美しい獣の様な熱気。自分では計れぬこの頼もしさが呉を支えようと共に在りたいと願った始まり。

大丈夫、これがある限り呉は必ず甦る。今は今できる事をこの頼もしい三人と共に成していこう。そう、決意した周瑜の顔は久しぶりに晴れ晴れとしたものだった。



最近、あちこちで農民の反乱が相次いでいるんだって。何か、洛陽の偉い人から長ったらしい文が届いて使者の人が読み上げてた。

たまたま、宴会の予定(近隣の豪族へのご機嫌とりと親睦会)があったからその会場で余興の一環として読んで貰いました。

酔っ払った豪族の人から回収したおひねりを渡したらホクホク顔で帰っていったけど、あれって賄賂扱いになるのかなぁ。

本当は太守とかにしか伝えないもんなんじゃ……政治の腐敗はここまで来たか(キリ

孫策さんとかにも速効で伝わるだろうし、説明の手間が省けて良かったかな。しかし、傍系でも余りあるとか思ってたけど本家の財力は正に底無しですな。毎日、周辺の豪族を集めて宴会やら無意味に褒美やら乱発しても余裕とは。おかげで袁術様の好感度はマックスゲージを振り切って有頂天、賄賂を取ったり重税を課したりしない清流派の豪族さんも見極めついたし万々歳です。

えっ、酒と金と女で骨抜きにしろって?

無理です。豪族が豪族足り得るのは兵力があるから、分かりやすい形の力である暴力そのものがあるからなのです。それが無かったら手足を失う様な喪失感と身を守る安心感が無くなるので、骨抜きにしても手放すわきゃ無いです。

じゃあ、どうすればいいか。

簡単です。保護者になればいい。母親の様に優しく包み込み、父親の様に頼もしい背中を見せて上げればいい。具体的には、お金を定期的にあげてめんどくさい責任やら仕事やらを引き受けてあげればいいのです。

見返りナッシングな超大変な仕事ですが、隣の芝生は青く見える上にいつ奪い取られるか分からない昨今、何の心配もせずにお金を貰える袁術様の元に居れば知らず知らずの内に皆、骨抜きです。そもそも袁術様が危機感ゼロの骨抜し軟体生物1号(2号は張勲)ですから、いつの間にやら気が抜けるというもの。

そんななかで必死に自治領を盛り上げようとする人は有能です。誠実かどうかは別として。

で、必死こかない人は大金持って隠頓させちゃったりする訳ですよ。兵権には一切手をつけてませんし、税金もちゃんと豪族さんに渡してますよ。ただ、彼等が直接的に取り扱えないだけで。だって、ほら、袁術様の兵力とか十万単位ですから。十とか百とかで小さくまとめてたら点呼とるだけで、日が暮れるんですよ。合同調練とかで何度も万単位でやってたら(費用は袁術持ち)、兵士達も大人数の調練に慣れ過ぎて小数部隊とかの調練の時の手際の悪さは黄巾の賊並。

袁家で調練するからって手抜きしてた豪族さんの兵士さん達は純農民に戻るか、袁家で買い取りました。袁家が一番、兵士を上手く扱えるんだ!!

まあ、真面目に自分で調練付けている人達も居るんで『荊州総袁術兵士化』計画は失敗したんですけどね。チッ、冥琳とかみたいには上手くやれないな畜生。

ふぅ、凡人、凡人。孫策さんに黄巾の賊を討つ大義名分を与えて、自分達は豪族さん達から買い取った兵士さんと親睦を深める殺し愛、もとい初めての兇同殺業『農民上がりの黄巾の雑魚を一緒に倒して信頼度アップ』を実行します。あ、ついでに袁術様の私兵を孫策さん達に貸して大軍を率いる時のノウハウを調達から運用まで全部、袁家の文官と武官を同行させて記録させます。だって、頭脳も経験も無いんだもの。二万の兵士を動かす費用を全部丸無駄にして、今後それを上手く扱える手法を知る為の無駄遣いとか袁術様の元でしか出来ないなぁ。マジ、美羽様天使、美羽様万歳。孫策さんに意図がバレたかにゃーってうろたえまくったけど、考えてみれば小さい頃から凡人なのはバレまくってたし、今更感が溢れてたんで開き直りました。

荊州の民に被害が出たら、孫策さんが「よくも呉の民を!」とか、ぶちギレそうなんで一生懸命やりますよーアピールしたけど通じてるかなー。どうせ『孫堅様の手柄を横からかっぱらった袁家』とかって好感度だから何しても焼け石に水だろうけど。

ああ、そこら辺に思い至ると自分でも声が震えるのが判る。スマイル、スマーイル。笑顔は世界を救う。むしろ、凡人な自分を誰か救って下さい。あーあ、冥琳みたいな優秀な軍師とかって転がってないかなー。あんな、神算鬼謀な人を相手に立ち回るのとか無理です。どうせ、全部見抜かれてるんだからなー、やる気出ないって話ですよ。美羽様と七乃さんのお気楽漫才を見て気を和まそう、そうしよう。はぁ、二人とも癒しキャラ過ぎて生きるのが辛いわー。

主人公の袁亥君は凡人詐欺かもしれない。

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