名門(始動)
英傑のターンが終わらない……コンナハズデハー!
「これはちょっと不味いわね」
袁亥と劉備の混成軍と董卓軍のぶつかり合いを高見の見物しながら曹操は苦々しく呟いた。
武功と言う名の虎児を得ようと虎牢関と言う虎穴に入ろうとしたら先に怒り狂う母虎が出てきた。
先陣を任された劉備軍の状況は傍目に見てそんな有り様だった。
「華琳(曹操の真名)様、劉備軍は指揮系統が寸断されたものと見えます」
額に手をかざし、遠目をしていた夏候淵が告げる。弓の名手だけあり、視力が人並み外れて優れている夏候淵は動くものを見つけるのもそれが何をしているかの判断も的確で早い。
曹操にとっては無くてはならない掌中の珠だ。
夏候淵の報告から袁亥軍はひたすらに執拗に呂布に突撃し続け、その勢いは留まる事を知らない。二万という途方も無い数の人間が一個の生き物の様に動く様は畏怖すら感じるが、それすらも受け止め一歩も退かない呂布をこそすら怖れるべきか。
その様にブルリと体を震わせるのは夏候惇だ。
己では敵わぬ武の断崖に怖れが体を震わせる。
「春蘭(夏候惇の真名)、貴女はあれに勝てるかしら?」
「……華琳様が望むならば必ずやっ!」
だが、主からかけられる期待の悦びが萎縮する瞳を見開かせ、己の武を、命そのものを愛しき主に捧げられる快感に全身を昂らせる。
「華琳様、先陣はお任せをっ!」
止めなければ単騎で駆け出し兼ねない前のめりの姿勢で呂布の居る場所を爛々と輝く瞳で見据える姿は、今にも鞘から抜き放たれんとする鋭い剣の有り様か。それに釣られる様に楽進、李典、于禁の三羽烏も覇気をたぎらせ、戦場に臨む精兵の鬼気をその顔に張り付けた。それに率いられる曹操軍の士気は声にこそ出さずとも一気に高められる。そんな夏候淵、夏候惇が率いる鍛え上げた精鋭を持って知られる曹操の軍に曹操自身、自負もあったが袁亥軍の様な一糸乱れぬ統率と有機的な動きを再現出来るかと言われれば、即答は出来ない。せいぜい、
「あそこまで突き詰める必要はない」
と切り捨てる程度か。狂気すら感じる様な盲目的な袁亥軍の動きだが、あれではいざと言うときに臨機応変な指揮を受け付けるか甚だ疑問ではある。実際、呂布一人に袁亥軍二万は掛かりきりになってしまっている。劉備軍はその袁亥軍にただでさえ少ない兵力を二分され、そこを董卓軍に攻め立てられている。
「華琳様、ご決断を」
曹操の後ろに影の様に付き従っていた荀いくが深々と頭を下げ、言わずもがなな言葉を捧げる。激戦の間近にて戦気を溶岩の様にグツグツと迸らせる渦中にあってなお、その声は冷たく静かに心地好く曹操の耳朶を打つ。お互いに考えている事は一緒だ。
反董卓連合では余計な兵の損失は避け、天下の暴君・董卓を討ったという名誉の上澄みだけをさらいとる。だが、それも董卓を討てればの話である。
緒戦とは言え、ここで手酷い敗戦を喫してしまえば名誉も誇りも無く歴史の陰に埋もれる可能性さえ出てきてしまう。
それは曹操の思い描く道、覇道にはあってはならない路傍の石である。
だからこそ、曹操は宣言する。
「聞けっ!曹の名の元に集いし強き者共よっ!」
「眼前にあるは難攻不落絶対無敵七転八倒の虎牢関、立ち塞がるは人中の呂布、左右に広がるは猛将に神速。我らは彼等に劣るのかっ!」
曹操の叫びに全軍が応える。
『否っ!』
「我らは彼等に臆するのかっ!」
『否っ!』
「我らは彼等を討つ者かっ!」
『応っ!』
一糸乱れぬその返答。一糸乱れぬその気迫。覇王・曹操が選び抜いた英傑が鍛え上げた精鋭中の精鋭達は慢心無く驕りなく、ただ自らの鍛え上げた武を誇りに前を向く。
「ならば進め、我が誇るべき精鋭達よっ!目標は神速・張梁、我が覇道を塞ぐ石ころを蹴り飛ばし、虎の毛皮を功とするのだっ!」
「全軍前進っ!」
騎上にて夏候惇が叫び、先頭に立って駆け出す。それに続き一個の生き物の様に動き出す曹操軍を見て曹操は満足げに微笑む。
そう、必要ないのだ。袁亥軍の様に一人一人が考えて動く必要など無い。明確な意思を持ち、号令を下す天才とそれに率いられる精鋭があれば全ての事は用足りる。
曹操軍のこの姿が近い未来この大陸を満たして、理想の国が築かれる。曹操はその確信を新たに自らも馬を進めるのだった。
孫策は散り乱される劉備軍を侮蔑するでなく、卑下するでもなく純粋な興味でもって見つめている。
「やられちゃってるわね~」
「いやいや、なかなかに踏ん張っておるぞ策殿」
呑気な声を出す孫策に気楽な声で応える黄蓋が酒の肴にする様に笑いながら見る先には、張遼の部隊に追い散らされた関羽と張飛が自らの得物を振りかざし局所的に盛り返し、押し返さんとしている。
「あの劣勢中であれだけの動きが出来るものなのか……思春(甘寧の真名)、貴女はどう見る?」
「蓮華(孫権の真名)様がお命じになるならば我が魂魄を賭して猛将を仕留めてご覧にいれます」
孫権が食い入る様に見惚れる姿に、切れ長の目を嫉妬に釣り上げる甘寧の声が鋭く吐き出される。
華雄に足留めを食らいながらも、趙雲の華麗な身のこなしは兵を鼓舞して完全な敗走を防いでいる。
並の将ならばこうはいかない。
それはつまり、彼女らには「この人についていきたい」と思わせる何かがある、と言う事だ。
「いずれも一門の将になる器だな、彼女らを率いる劉備は是非とも親交を交わしたいものだが」
「そうですね~、黄布の乱で袁垓さんが招いたのはたまたま居合わせただけ、と聞いていましたが中々に抜け目ないですね~」
孫呉の思惑を既に先取りした人物がいる。
見目の美しさや慕われる性格、他者と隔絶した強さや華のある性質、徳と呼ばれる類いの才能の持ち主との繋がり。
「あちらは山賊狩りに燕人、こちらは常山の昇り竜。在野で名を上げた方ばかりですね」
「うわわ、聞いた事ばかりある人達です。袁垓様って実は凄い人物眼を持ってるんじゃ……」
「それは無いわ」
「バッサリ過ぎる!?孫策様、幼馴染みですよねっ!?」
孫策達には武功や名声の他に欲しいものがあった。
中央から遠い孫呉には名士との関わりが少ない。名門・袁家や周家とはあるが漢王朝で名声を高めるにはもう一押しが欲しい。
そこに名だたる諸侯の集う反董卓連合は棚からぼた餅の渡りに舟であった。
だからこそ、見込んだ相手には恩を売り名を刻んで貰わなければならない。
だが、既にそれを先取りした人物が居る。
袁垓統致、やはり油断はならない男だ。
だが、その男は今必死に逃げている。
呂布に手持ちの二万を当て、両脇から張遼と華雄に追い立てられている。
整然と川の流れの様に滑らかに進む袁垓軍を逆走する袁垓は良く目立った。彼が安全域に入れば孫策達は兵を押し進め、董卓軍を跳ね返しにいく。あわよくば、虎牢関の鉄壁に押し付け押し潰す為に。
右翼を形成する曹操軍も、獲物を狙う獣が身を伏せる様に気配を圧し殺し、その気力を溜め込んでいる。
後ろでは袁術と張勲が逃げる袁垓の姿に手を絡ませ合い、悲鳴を上げて騒いでいる。
「袁垓は何で逃げておるんじゃー!」
「美羽様が鬼畜ですー、呂布とか袁垓さんが百人居ても『プチッ』て潰されて終わりですよー。と言う訳で逃げてー、袁垓さん逃げてー!貴方が死ぬと内政とか外交とか軍事とかの『顔』が無くなっちゃいますよー!」
「のう、七乃」
「何ですか美羽様」
「袁垓が顔なら妾は何なのじゃ?」
「……世界一可愛い置物?」
「七乃は何なのじゃ?」
「私は美羽様の忠実な家臣ですよ。今の時代、裏切らないとか凄い希少価値ですよー」
「そうかそうか、永遠の輝きはここにあるのじゃな!苦しゅうない、苦しゅうないのじゃー!」
「ああん、言いくるめるのチョロ過ぎです美羽様ー。そこに痺れる憧れないー!」
「ウワハハハハー、袁垓めも早く置物に戻るのじゃー!」
余りに力の抜ける会話に、孫呉の一同が肩を落として背中を煤けさせるが後ろを意識の外にカットして横の曹操軍と前の激しい戦場に集中させていく。
「じゃあ、やっちゃいますか」
「やらいでか」
「良い潮時だ、思う存分やるがいい」
孫策が気合いを入れ、黄蓋が乗り、周瑜がその背を押す。その阿吽の呼吸を孫権が羨望と渇望を混ぜこんだ瞳で見つめていた。
「聞けっ、孫呉の勇者達よっ!」
戦場に孫策の声が響く。
「我らが眼前に在るは最強の矛、全てを切り裂く刃なり。だが我らの体は魂はこれ全て牙であるっ!」
「そして我らは一つの牙ではない、貴様らの牙を孫呉の魂が、想いが、刃振るう武人を喰らう虎の牙の連なりとするっ!」
「貴様らの魂も体も全てを並び立て、我らは最強無敵の虎となるっ!」
ズラリ、と孫策が腰の剣、南海覇王を虎牢関に向けて抜き放つ。
「さあ、牙を並べよ孫呉の勇者達よ。我らは今より全てを食らい引き裂く虎となる――全軍抜刀!!」
抜き放たれた剣が陽に反射し、連なる剣の列となる。虎牢関の側から見ればそれは正に牙を剥く、虎の口に見えただろう。
「我らは今より狩りに入る!目標、華の一文字。そして、虎牢関。さあ、走れ、走れっ、走れー!!」
獣の様に駆け出し、熱病に浮かされた様な熱狂のままに孫策の部隊は走り出す。
虎牢関の戦いは新たな展開を迎えようとしていた。
「張遼将軍、連合の右翼が来ますっ!」
「あー、時間切れやな。まっ、今日はここまでかいな」
部下の報告に馬上で振るっていた槍を回して、脇に納める張遼。周りには劉備軍の死体が山と積まれている。
連合の方をすがめ眺めれば、怒濤の勢いで迫り来る『曹』の一文字が翻る。
「撤退の合図や、一人も遅れるんやないでっ!」
部下の一人が虎牢関に旗を振れば
ジャーン、ジャーン
と力強い銅鑼の叩く音が戦場に響く。
紺色に染め抜かれた鎧を赤い飛沫に彩った馬上の軍人達が一斉に馬首を巡らし、呆気に取られる劉備の軍を尻目に反転していく。
「逃げるのか!」
「待つのだっ!」
関羽と張飛がその動きに反応し、追撃しようとするが撤退中の馬上ですら軽々と槍を振るう張遼の部隊に兵をまとめ切れない。
それでも、二人の周りには斬り倒された兵が死屍累々としそれに勇気付けられた側近部隊が陣形を立て直しつつある。
「ほんま、エライ奴らや。次は真っ向からやり合おうやー!」
槍を掲げ、叫ぶと悔しそうな呻きとも悲鳴ともつかぬ声が返ってきた。
「次は必ずその首を貰い受ける、忘れるなっ!」
「うにゃ~、絶対に粉砕、玉砕、勝利してやるのだ~っ!」
あれだけコテンパンにされながらも、へこたれない強敵に感心しながら部隊をまとめ、後続する部下の姿を確認しながら張遼は悠々と虎牢関に退き上げていく。
ふと、張遼が未だに蠢き続ける黄金の大河に挟まれた対岸に目をやれば、水に大岩を落とした様な砂ぼこりと、それを突き破り、大斧を両手で上に掲げて飛び跳ねる様に虎牢関に退いていく華雄の姿があった。
それに先行したり、後続する華雄の部隊は足並みこそバラバラだが神速を誇る張遼の騎馬隊より早く関に帰り着きそうな勢いである。
「全く、思い切りの良さならウチよりエライ奴やなぁ~」
張遼の感心した様な呆れた様な言葉に部下達は快笑して馬を疾駆させるのだった。
それは本当に一瞬の隙だった。
百手先まで約束された斧の軌道がずれ込み、華雄が大儀そうに斧を担ぎ上げたのだ。
来るのは全身の体重と気力を込めた必殺の一撃。
放たれれば趙雲の武器を砕き、体を真っ二つにする必殺の一刀になっただろう。だが、趙雲の槍が華雄の細い首を突き刺し絶命させる方が早い。そう判断したのは趙雲の思考ではなく、鍛練と実戦により体に刻み込まれた反射的な動き。
「その首頂いた!」
「残念だ」
華雄の大斧は趙雲に向かわず、もっと手前の茶色く乾いた地面へと降り下ろされ、爆音と土と石の礫が趙雲を襲った。
茶色の土煙の中で趙雲は槍を手元に引き直し、油断なく次の攻撃に備えたが虎牢関から響く銅鑼と退いていく足音に唇を強く噛み締めて、土煙から背を向けて連合の方を振り返った。
棚引くは『孫』の一文字。
ギリ、と唇から血が溢れ出す。あの華雄の絶命を狙った一撃を足止めの一刺しに変えていれば、華雄の首を挙げれたかも知れない。最初の間違えた一手と逃がしてしまった最後の一手。一日に二回も受ける事になった趙雲の敗北は己の血の味でも消せない苦いものだった。
「ぺっぺっぺー!華雄将軍、口の中に土が入ってしまいましたっ!」
「俺なんかこの鎧、卸し立てなんだぜ!土埃で真っ茶色になっちまいましたよ~」
不満を口にしながらも足は馬より早く、一心に退却する華雄の部隊に脱落者は驚くほど少ない。
騎馬隊が多い董卓軍において歩兵が生き残るには騎馬隊にも負けない、攻め時と退き時を見極める判断力が必要となる。馬は人間より早い、故にその足並みに揃えられなければ敵地に取り残され孤立して敵に圧し包まれて惨殺されるだけだからだ。
そして、華雄の部隊はそんな事態を持ち前の勘と経験で生き残ってきた猛者しかいない。
「ふん、ピーチクパーチク騒ぐだけならヒヨッコでも出来るぞ。貴様らしっかり働いて来たんだろうな」
走りながら斧を両手で担ぎ、華雄は叫ぶ。
「当たり前でさぁ、取り放題だったぜ!なあ、お前ら!!」
おおっ、とバラバラに走りながらも声だけは大きく揃えて応える一同に華雄は薄く笑う。
「……将軍?」
いつもなら豪快に笑う華雄の顔が土埃で見えにくかったが真っ青になっている事に気付き、慌てて側による。
「ふふっ、今まで会った中で呂布を除き最も強い武人であったわ」
華雄の首筋から血が溢れ出していた。大斧を担ぎ、首もとを隠していたのだ。
「まさか、最後のあの一瞬で……」
銅鑼が鳴るか鳴らないかの一瞬を見極め、華雄は斧を地面に叩き付けて土煙を撤退の合図とした。
指揮をしない代わりに戦場の空気を読み、退き時を見誤らなかったのは華雄が常に冷静に、慣れ親しんだ戦場の空気を読みきった古兵の神業と言えただろう。
だが、そのわずか一瞬であの若き昇り竜は一撃を華雄に届かせていたのだった。華雄は部下に支えられながら、その見事な武に賞賛を送るのだった。
孫策の部隊が通り過ぎていく中で趙雲は槍を砕けるばかりに握りしめて空を見上げていた。
槍の穂先に僅かについた赤い血の滴り。
それが趙雲の武功の全てだった。
この戦場にそれを知るのは華雄とその部隊だけだったのである。
次回
『呂布無双』