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名門(虎牢関)

袁垓が馬を走らせて馬蹄を高らかに鳴らし、人の波を掻き分ける。

掻き分けるのは『袁垓軍』という名の『袁』家の軍である。呂布というそそりたつ武の岸壁に二万という途方も無い数が荒浪の様に激しく押し寄せ打ち付ける。その中を行く袁垓にかかる圧力は穏やかな小川のせせらぎ程である。

雑然とした人の波は見た目と裏腹に一人一人が確固たる意思をもっている押し寄せているからだ。

『呂布へと突撃する』

『袁垓を撤退させる』

たった二つのシンプルなオーダーだ。

だが、二万という数の人間にそのたった二つの命令を遵守させるのは古代中国と後に呼ばれる時代から二千年の時を経ても困難である。

だが、見よ。

一人一人は凡愚であろうとも、その上に立つ人間が無芸無能であろうとも、武の到達点、空に駈け上がった龍、無人の野を行く最強の人間、傍若無人の無敵の呂布を前に進ませないのは最弱の『袁』家の軍なのだ。

彼等は知っている。

装備こそ劣る劉備の軍が自分達より遥かに士気が高い事を。

数こそ劣る孫策の軍が自分達より遥かに戦慣れした古強者である事を。

同じく数こそ劣る曹操の軍が自分達より遥かに高い練度を持つ精鋭である事を。

そして、袁紹の軍には数も装備も劣る事を。


だから、何だというのだ。


そんな事は知っている。他人より優れていないのも、他人とは違う使命も運命も無いのも、自分がその他大勢の、歴史に名も無く、存在すら無かったかの様に埋もれていく事など当の昔に思い知っている。

燕雀(えんじゃく)(いずく)んぞ鴻鵠(こうこく)(こころざし)を知らんや。

小さい小鳥に過ぎない自分達に数多の群雄を翼に羽ばたく、巨大な大鳥である英傑達の壮大な志など判るはずが無い。

自分が、自分達に出来る事は土をいじり、畑を耕し、家族を養い、その日その日を必死に生きていくだけしかないのだ。

大儀の為でなく、正義の為でなく、ましてや他人の為などでは絶対に無い。

両親が必死になって生きて、自分が生まれ、自分も必死になって生きて、自分の子に必死に生きていって貰う。

ただ、それだけが。

ただ、それだけの為に生きていける世界が袁家の下にある。

ただ、それだけで彼等は自分一人では決して止められぬ武の絶壁、人中の呂布に槍を振りかざし突撃していけるのだ。

自分が死んでも袁家が家族の生活を保証してくれる。

他人の笑顔の為でなく、国という巨大なものの為でなく、ましてや新しき人の世の為でもない。

今日生きて、明日生きて、自分の子が自分の孫子(まごこ)が毎日をただ変わらずに生きていける世界があるから、その世界を守る為に彼等は袁垓軍は呂布に立ち向かっていけるのだ。

だからこそ、三國志に残る武の代名詞たる関羽や張飛、趙雲などが無し得なかった奇跡は起こる。

呂布はこの日、一歩も進めなかった。

虎牢関からわずか五百メートル。

それが、呂布の進軍した最長の距離。

そして呂布がその無敵の生涯において罠でも謀略でもなく、真正面からのぶつかり合いのみで唯一、足を止められた戦い。

それが、袁垓統致の率いる袁垓軍とのたった一回の戦いだったのである。



真正面からぶつかり合う呂布と袁垓軍から関羽や張飛、趙雲の率いる劉備軍は弾き出されていた。元々、数の少ない上に呂布の無双の覇気に当てられ逃亡した兵も少なくない。更に荒浪の如く呂布に突撃する袁垓軍は一方で、端から見ると清流の様に整然とした隊列を維持していた。

こうなってはその足並みに揃えられない劉備軍は異物でしかない。

そして、そんな彼女らを見逃すほど董卓軍の『神速』と『猛将』は甘くない。


「うるあぁぁぁー!退きさらせー!」

「はあぁぁぁ!砕け散れいっ!」


虎牢関に向かう反董卓連合から見て右翼から紺碧の牙門旗をはためかせて迅雷駆けるは『神速』張遼。紫色の髪を後ろで一まとめに結い上げ、つり上がった目を虎の様に爛々と輝かせて肩にかけた紺碧の上着をマントの様に羽織り、胸にさらしをきつく巻きつけ、紺碧の袴を風にたなびかせる。左翼から銀色になびく牙門旗をなびかせて怒濤に迫るは『猛将』華雄。銀の髪を短くザンバラに切り、細い切れ長の目は獲物を狙う鷹の様に鋭く戦場を見据える。肩口を露出した大胆な形の鎧、下は大胆なスリットのチャイナドレスから茶色のストッキングに包まれた足がスラリと伸びている。

右翼に弾き出された関羽と張飛が対応する暇もなく懐に飛び込み槍を振るう張遼。

左翼に弾き出された趙雲が迎撃する暇もなく、巨大な斧を叩き付ける華雄。

董卓軍対反董卓連合の緒戦は弱兵とされる袁術軍が董卓軍最強の呂布と、無名に近い劉備軍が名高き神速に猛将を加えた董卓軍至上の攻撃力がぶつかる形で口火を切ったのである。



「はっはっはー、何や噂の山賊狩りも大したことないなぁー!」


独特のイントネーションで関羽に切りかかる張遼に関羽は苛立ちを募らせる。武人として呂布の人外染みた健脚に不覚をとり、指揮官として兵をまとめる事さえ出来なかった己の不甲斐なさに加え、張遼の煽る為に生み出された様な喋り方は頭に血が昇るには充分だった。


「はあぁぁぁー!」


渾身の力を込めて振られた青龍円月刀は確かに凄まじい速さと強さがあった。

だが、張遼から見れば真っ直ぐで分かり易い只の『棒振り』でしかない。馬上にて軽く背を反らすだけで関羽の全身全霊を込めた一撃は空を切り、力任せになる余りに馬との連動を忘れた関羽の体は決定的な隙をさらす。


(もろたでっ!)


渾身の一撃が外れ、馬上で体を傾がせる関羽が驚愕に目を見開くのをハッキリと視界に収め張遼は槍を深く構える。今なら好き放題に撃ち込める。先程の一撃は確かな武を感じさせる威力があった。万全の態勢、精神状態ならば恐らく張遼に匹敵しただろう武力をここで散らすのは惜しい限りだが、戦場とは往々にしてそんな取り返しのつかない事態に陥る。それを乗り越え、対処してこそ武人の花道があるのだ。


「あんじょう、往生しぃやっ!」


繰り出された槍の一閃は正に迅雷。触れれば砕け、刺されば貫く必殺必倒の一撃。傾ぐ体を立て直そうとする関羽はその槍の穂先に吸い込まれる様に動いていく。目前に迫る死に肺から酸素が絞り出され、体が錆び付いた鉄の様に重く軋む。眼前の死に関羽はあまりにも無力だった。


「させないのだっ!」


その必殺を防ぐのは無敵の盾ではなく、最硬の鎧出もない。大の大人の身長すら越える長さを誇る蛇矛を振るう相棒。燕人張飛の豪腕、それは死神の鎌すら止める力強さと頼もしさを持っていた。


「すまぬ、鈴々!」

「にゃ~、しっかりするのだ愛紗!」


馬上、態勢を整えた関羽と力の乗り切った一撃全てを流石に受け止め切れずよろけながら関羽の横に並ぶ張飛。

そんな二人を見据え、槍を肩に担ぎトントンと叩く張遼。


「何や何や~、二人一緒でないとウチとやりあえんちゅうことかいな」

「ぐっ、言わせておけばっ!」

「むうう、流石に鈴々でも怒るのだ」


顔を真っ赤にして怒り狂う関羽としかめっ面に口を尖らせる張飛。そんな二人をカラカラと笑い飛ばす張遼。


「いやいや馬鹿にしてる訳やないで。なんせこっからは……」


ごうっ、と先程の張遼が放った必殺の槍を越える轟風が張飛の横から吹き荒れ、紺碧の上着を跳ね上げる。


「ウチが人数頼りに苛める番やからなぁ!」

「はっ!?」

「にゃにぃ~!」


関羽と張飛に馬上から掲げられた槍が襲う。一つ一つは彼女らに及ばないが、瞬く間に二人の横を駈け抜け次々に劉備軍へと襲いかかる。

張遼が誇るのは自らの武のみではない。数多の戦場を共に駆け抜けた部下と、それを手足の様に扱う用兵術。それがあってこその張遼の二つ名『神速』が劉備軍へと無慈悲な鉄槌を下していく。


「くうぅ、何たる不覚……」

「うにゃにゃにゃ~!」


その紺碧の暴風の中へ関羽と張飛は埋もれていくのだった。



「そらそらそら、いくぞ、行くぞ、往くぞ!」


銀髪に合わせた様な銀色の大斧を片手剣の様に軽やかに連続で打ち込む様は巨大な重機が圧倒的パワーで建築物を破砕していく姿に似ていた。

余りに重厚な動きで、余りにあっけなく軽々しく物を粉砕する為に現実感が無く、その恐ろしさ、その凄まじさを間近で見てすら把握出来ない。

だが、その威力を直にその身に受ける趙雲は一撃毎に痺れる手が鈍くなる体がその凄まじさを実感させる。


(不覚、正に不覚であった!)


細身の女性らしい体を爆砕せんと迫る斧を槍で受け流す姿は余りに華麗で、いっそ舞踏を楽しんでいる様に見えただろう。


「はっはっはっ、なかなか力が強くていらっしゃる。名前は猪武者とでも仰るか!」

「ほざけ、雑兵に名乗る名は無い!」


煽る趙雲を笑い飛ばす華雄の斧術は威力こそ凄まじいが、その剣筋は単純で明快。最も速く最も力の乗った一撃を最も効率良く回転させるフェイントも糞もない約束組手をしている様な錯覚すら趙雲には抱かせた。一手と言わず十手先、それこそ百手先すら一切読み違える事無く華雄の繰り出す一撃を読み切れる。

だからこそ、判る。反撃の一手が一切存在しない事実を。


「これはまたなかなか、厄介だな……」


趙雲が息を乱し、小さく苦言を吐き出す。

華雄は馴れたものとばかりに全身をわななかせ、時には小枝を振るう様に易々と斧を振り回す。

華雄の武は戦場の武だ。

負ければ死に、勝てば生きる。

単純で明快。次に合間見える機会は無く、一期一会の武を磨きに磨き抜いた呂布とはまた違う到達点。

華雄と趙雲がやり合えば百回やれば九十九回は華雄が負ける。才能も技術も何もかもが趙雲が上だ。

だが、華雄には経験があった。剣の様な汎用性ではなく、槍の様な性能ではなく、弓矢の様な距離の利ではなく、斧を選んだ至極単純で明快な利点。

力一杯に叩き付け続ければ相手に反撃を許さず、武器や防具すら破壊出来る攻撃力。そして、それを可能とするのは華雄が持つ大斧を片手剣の様に振り回せる怪力と、戦場を渡り続けた無尽蔵な体力。

そして、


「華雄将軍!お先に失礼致しますぞっ!!」

「ハッハー、今日は俺らが獲物を取り放題の日かっ!」

「一番槍は貰うとしますかっ!」


華雄が切り込んだ先から華雄と共に戦場を渡り歩いた部隊が劉備軍へと雪崩れ込んでいく。

もし、趙雲が呂布と袁垓軍の戦いに気を取られなければ華雄の初撃易々と迎撃し、返す槍で立場は逆になっただろう。

もし、華雄の初撃を槍で受け流すのではなく打ち合う事も無い距離に逃げたならば槍の性能を充分に活かし、有利な状況を作り出せたはずだ。

無数のもし、が九十九回あった。

だが、華雄は趙雲の隙を見逃さず肉薄し、たった一回の有利を引き寄せた。

結果、趙雲は華雄に足止めされ部隊を指揮する事も出来ず、戦場馴れしていない趙雲の部隊は華雄の部隊に蹂躙されていく。

それが華雄が戦場を渡り歩き生き残った、趙雲に現在で唯一勝る経験という名の至宝。

指揮官が居なくても動ける部隊があるからこそ、華雄は趙雲に集中出来た。

趙雲は華雄に手を取られ、切れ切れに指揮を飛ばし集中仕切れない。

あるいは一年後ならば趙雲は華雄のこれにすら悠々と対応したかも知れない。『子龍は一身これ胆なり』後に趙雲を評した言葉通り、趙雲は猛勇と冷静沈着な思考を併せ持つ英傑に違いない。

だが、今はまだ才能溢れる駆け出しの武人に過ぎなかった。

そして、趙雲はかつてない苦杯を飲まされる。

華雄。

字はなく、真名も伝わっていない猛将。彼女のたった二文字の名は三國志の序章である反童卓連合において、屈指の激戦にその名を刻む。


「強いな、貴様!」

「ぐぅっ、何たる無様だ私はっ!」


右翼の張遼と左翼の華雄により、劉備軍は緒戦にして甚大なる被害を被っていく。

劉備軍にとって苦い記憶となる虎牢関の戦いはまだ始まったばかりである。

意外と長くなったので、次回もシリアスが続きます。

こう言った武将単位の話は入れない予定でしたが、激戦である描写をしたかったので書いてみました。

次は曹操、孫策陣営の動きになります。

名門はその次までお待ち下さい。

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