帰宅
4日目
「また、あの夢だ」
頬を伝わり落ちようとする涙を拭き取って半身を起こした。
小さな窓から相変わらずの木の集まりだけが見えて、部屋の中は白い空間と紫色の塊が見える。
「ナオ……」
私たちは一緒のベッドで寝ていたのを思い出した。
昨日、ナオは『ゲームは続いている』と言っていた。
「…………」
私は首を振り、何か考えを出そう頭に考えることを止めさせた。
「ナオ。今日の朝ご飯はヒナタをミヤビだから。安全なうちにシャワー浴びてくるね」
小さめの声で言ったが、ナオはぐっすり眠っているらしく起きる気配はない。
ナオに布団をかけ直してから部屋を後にした。
シャワーを終えて朝食をとるためキッチンへ向かう。
「2人ともおはよう」
「おはよう」
エプロン姿のミヤビとヒナタが振り向き、同時に言った。送信したメールが信用された事により、2人の笑顔は昨日より明るく感じる。
「今日は和食よ」
「白米に味噌汁。それからササバタトンを焼いたから、待ってて」
爽やかに言う、ヒナタの言葉に私は耳を疑った。
「和食の定番よね」
ミヤビは突っ込みをいれることなく肯定した。
「この時期のササバタトンは脂がのってて美味しいよね」
2人とも間違いを指摘しないで頷く。
「どうしたの? マナ、驚いた顔して」
「ヒナタ……ササバタトンって……」
「え、もしかしてマナ。ササバタトン知らないの?」
「珍しいわね」
「ササバタトンは名前の通りだよ。ササの葉みたいな形して、バタバタとうるさいけれども、豚の味がする魚だよ」
「おはよ。この匂いはササバタトンだね」
後から来たハヅキやナオも現実世界では耳にしない単語を当たり前のように口にした。
これは夢?
私は頬をつねったが現実を伝える痛みが返ってくるだけだった。
「おかしいよ……皆」
きょとんとする皆の顔が恐くなってきた。
「マナ?」
「ごめん、気分が悪くなってきたから部屋で休んでいるね」
私は逃げるようにキッチンを飛び出した。
部屋に戻った私はベッドを背にして、両膝を抱えた。
「皆、どうして……」
昨日のハヅキの発言がおかしかったけれども、今日のはもっとヒドイものだった。
いや、発言だけじゃない。昨日の魔法が使えた夢、夢には思えなかった。それにナオと話していたのに、どうして後ろからナオが現れるの?
「屋敷内は不安定な環境だから、ゲーム内のアイテムを混同したんだろうね」
人の気配に見上げると目の前にリリがいた。4日前にハシバが紹介した電子化した悪魔が。
アサシンの衣装を着た目と口が緑色のリリに私は驚く表情を作れなかった。
「やっぱり気づいているのね」
「何の事?」
「あたしが電子化した悪魔ではない事。昨日、ナオの姿になって『嘘つき』って言った事。あれもどうしてだか、知っているんでしょ」
「……知らない。私は何も知らない」
「気づいているんだろう。君たちの記憶に変化が起きている事を」
私はリリを見つめた。彼女から男の声が聞こえたからでもあり、彼が言った言葉のせいでもある。
「……。開錠された南京錠が2つ転がっている夢を見た……でも、あれはただの夢よ夢に過ぎないの……」
あの夢の後、私は何かに気づいた。
気づいていても、認める気はなかった。それを信じれば、今までの考えが全て音をたてて崩れてしまうから。
「メッセージはメンバー全員に伝わっている。それに気づけるかどうかは個々によるのだが」
「…………」
私は首を横に振る。それが嘘だとわかっていても。この声がサクのものだあり、リリはサクが動かしていることも。
「私は何も知らない」
「不可解な事が起きていてもか?そもそも4日前の事件。マナはどう受け止めている?」
「何も知らないっ。私は何も知らないの」
頭を抱え、叫ぶように言った。
「マナは。何も知らない。と言うんだな」
「……早く家に戻りたい。ユマちゃんと学校に行って、バイトとアルターワールドをやっていた生活に戻りたい……」
「……。それがマナの答えなんだな」
「…………」
「無理強いはしない。キッチンに戻ればゲームは終了する」
「……」
私は今すぐ立ち上がって、皆のいるキッチンに走りたかった。でも、頭は足に命令しようとしない。
「どっちにしろ、今日の午後には警察が屋敷に到着し、君たちは救助される。ゲームは終了する」
「……………」
何も言わない私を見てサクの声を出すリリは姿を消した。
「…………」
認めたくなかった。
夢が覚めた後、1つの記憶が封じられてある事を知った。夢の中で施錠された大きな黒い南京錠がそれを指していたんだと思う。
それと開錠された小さな南京錠。あれは黒い鍵と関連する記憶。鍵を開けるために必要な細々とした記憶。サクやリリの存在もそこにあった。
その事は皆に伝わっていて、誰もそれを口にすることはなかった。
それを口にしたら、大きな鍵に触れなければならないから。
「いや、認めたくない……」
私は両手で頭を抱えた。認めれば今まで信じていた事が嘘になるから。
「……でも」
メンバー達は、その黒い鍵に触れようとした。仲間に話さず1人だけで。
悲鳴を上げたハヅキを助けたのが、その黒い鍵に触れた事になる。
「…………」
私も挑戦しなければならないのだろうか……私だけ挑戦しなくても良いのだろうか……
「でも、イヤ、知りたくない……私はいつもの生活に戻りたい。でも……」
『帰っておいで』と声がする。
真実が明かされた夢で聞こえた声。優しくもあり、寂しくもある、あの声。
「帰っておいで……あの声は誰のものだろう」
「それはハシさんのものだ」
サクの声が聞こえた。私の目の前に再びリリの姿があった。
「リリ……サク」
「盗み聞きするつもりはなかった。でも、それに対してだけ言いたい。『帰っておいで』は向こう側でハシさんがメンバーに言っていた言葉だ。聞こえないはずなのに、マナは聞こえていたんだな」
「ハシバさんの」
「…………」
「マナ?」
驚くサクの声で自分が涙を流している事がわかった。
優しくて寂しい声。
ハシバさんは犯罪を犯して、メンバーを拉致した悪人だった。でも、それはこのゲームを進めるだけで、本当は向こう側でずーっと『帰っておいで』と話しかけている。
優しくて寂しい思いをしている人なのだ。
そんなハシバさんの姿が思い浮かんだ。
いつの間にか涙が流れていた。
そして、そんな彼に笑顔を見せたいと思った。
「…………」
私は立ち上がった。
視界がひらけたような気がした。
『帰っておいで』と声がする。その声が私の考えを変えてしまおうとした。
「帰らなければいけない。真実は見えない闇で恐いけれども、私は『帰っておいで』という言葉に応えたい」
私はリリをまっすぐ見つめた。
「私、帰ります。ハシバさんとサクのところへ」
「マナ……」
リリは私に背を向ける。
「行こう。あの部屋がラストダンジョンになる」
「はい」
エントランスの見える通路を進むと、声がした。
「マナ」
その通路にナオの姿があった。
「ナオ。見送りなら歓迎するが、マナにも挑戦権はある。いらない事を言うな」
リリの口からサクの声で忠告を言ったが、それには答えず、私に近づく。
「マナ、まだ一緒の学校に行ってゲームしたい。スイカジュース早飲み競争とか、色々やりたい。だから、挑戦しないでって言いたい」
ギュッと抱きしめてナオは本音を言ってくれた。私もナオに腕をまわした。
「私もナオと学校で一緒に行って、今度はうちでお泊まり会やったりしたい。でも、私、行かなければならない」
「うん。マナには成功してほしいと、思ってる。思っているけれども」
ナオの力が増した。
「ありがとう、ナオ」
私も腕に力がこもる。
「挑戦してくるね、ナオ。成功するかわからないけれども」
ナオは私を離してから、リリに視線を向ける。
「サク、見届けてもいい? 万が一の時も助ける事もできるし」
「邪魔をしなければ構わない」
私達は足を進め、ハシバさんの部屋に止まる。
「ドアはマナが開けてくれ」
サクに言われたが、ドアノブに手を伸ばすのに勇気が必要で大きく深呼吸をした。
カチャリとドアの開く音を耳にして手は感触を伝えてくれる。
「…………」
あの時と変わらない光景、リリからサクの声が聞こえても、この部屋には動かなくなったサクも緑色の文字に包まれたままあった。もちろん、ハシバさんの姿も。
あの時を変わらず、腹部がぱっくりとあいて内臓がわからなくなるぐらい緑色の文字がぎっしりと付着している。
「ハシバさん。聞こえているんでしょう」
私は動かなくなった人に声をかけた。
「やれやれ、ようやく来てくれたか」
声は倒れているハシバさんからだった。口は閉じたまま開かないが、声はそこから聞こえる。
「ハシバさん」
「皆、3日とたたないうちにカラクリに気づいてくれたよ。あまりにも鈍そうなのでサクを使って仕掛けせてもらったが」
「知っていたよ。でも、認めたくなかった……」
「でも、認めようとするんだな。その努力は認めるよ」
リリの姿が変化した。私と同じ姿に。
バイト帰りに現れた彼女を思い出す。あの時は何も知らないで、ただ得体の知れない不安に襲われていた事を今は懐かしく思う。
「さあ、マナ」
リリの声から私と同じ声がした。
「俺たちが求めている子は勘の鋭い子ではない。耐えられるかの一つだけ」
リリは姿を消した。
「…………」
私はハシバさんに近づき、しゃがんむ。
この手を彼に触れれば、どうなるかわかっていた。それでも私はハシバさんに触れる。
触れた途端、緑色の文字が右手に付着した。
文字が腕に広がってゆく、腕を侵略し肩に到達すると、左腕、胴体、顔へ。
それと同時に頭に何かが入り込んでくる。映像、音声、文字すべてが。
「あ……」
変色していく自分の体と開放された記憶に声を上げたかったけれども、私は必死に抑えた。
悲鳴をあげればナオが助けてくれるが、その時点で挑戦は終わってしまう。まだ、耐えられる間は叫びたくなる衝動を抑えた。
緑色の文字は数分とたたず、体をびっしりと覆う。
声がした。
私を呼ぶナオの声が
「行ってくるね」
緑色に包まれたまま、私はナオに行った。
「マナ。これでいいんだな。まだ間に合う」
ハシバさんの声に首を振った。
「では、聞こう。マナ、ここが現実ではない、現実を再現した仮想空間と受け止めるか?」
「はい」
部屋が微震程度に揺らぎ、『部屋を切り離しました。屋敷へのアクセスは不可能になります』とアナウンスが流れた。
緑色の文字が体内に侵入していく。見えないけれども血管や内臓、骨に触れる感触があった。
目を開いた時、私の視界に屋敷の面影らしきものは何一つなかった。薄灰色の空間の中央に1人立っていたが、いつの間にかリリの姿をしたサクが姿を現していた。
「マナ、君には1つのゲームと2つの試練を受けてもらう。一つ目は封じた記憶を開放して耐えられるか、だ」
「それは今の、緑色になったやつ?」
「そうだ、君は1つ目の試練をクリアできた。おめでとう」
「……ありがとう。次は?」
返答の代わりにリリは振り返り、指をさした。
「扉?」
振り返った先に白い片開きのドアがあった。
「次はゲームだ。マナが正しいと思った方のドアを開けて進むだけの簡単なものだ。ただし、一問でも間違えれば即終了となる」
「わかった」
サクに見送られながら、私は白いドアを開けた。
次の部屋はさっきと同じ薄灰色の空間で、前方に白い2つのドアがあった。
ドアにB5サイズの木製の板が付けられていて文字が刻まれていた。
ドアとドアの間に同じ板があり、1つの問題が刻まれている。
『ここはどこ?』と
「右が天空都市。左は地中」
私は悩むことなく左のドアを押して開けた。
次も同じ空間とドアとプレートが取り付けられていた。
問題は『君は誰?』とシンプルなものだった。
「右が13574左が中西真奈……」
私は右のドアを開ける。
次の問題もシンプルなものだった。
『今は何年?』
「右が2315年。左が859年」
私は右を選んだ。
薄灰色の空間が終わった。
そこも薄暗い空間だった。
5畳ぐらいの広さで床の中央には魔方陣のようなものがエメラルド色の淡い光を放っていた。
その魔方陣の上にフワリと浮いている人がいたけれども、それは学校の制服を着た……
「私?」
着ている服は違うものの、鏡をみているような感覚だった。手を伸ばしてみると触れることなく体を突き抜ける。立体画像のようだ。
「これが最後の試練だ」
魔方陣の右側にジーパンにトレーナ姿、格好をした普段着姿のハシバさんが立っていた。
ハシバさんは部屋の奥に進み、私も向かう。
狭い部屋の奥には大きなモニターが壁にかけられていて。モニターの下には黒色のテーブルとデスクパソコンが置かれていた。
大きなモニターは真っ白なままで、私はデスクパソコンのモニターを覗いた。魔方陣にあるのと同じく制服を着た私の画像が中央にあり、その周りには右2つ左1つのウィンドウが並べられている。
「まるでゲームの設定画面みたい」
オンラインゲームをスタートした時に見る設定画面を思い出した。アバターとなる髪形や顔を決めてゆく画面にそっくり。
「そうだ。これは君の、今までの世界で使用していた設定画面だ」
ウィンドウの中には色々な文字が書かれていた。右上は私の経歴。学校の入学卒業履歴、バイトの事。○月△日に何をしたという、細かい事まで書かれていた。
右下は空白だけど左の縦長のウィンドウには人の名前がつづられている。幼稚園の友達だった子や家族やナオたちのも。
「真実へ行く、最後の試練はマナの情報を全て消去することだ」
「消去……」
「真実を知らない人達の混乱を避けるため。ゲームの勝利は厳重な管理下に置かれる。今までの世界にある『中西真奈』という存在は消去しなければならない」
「今までの世界という事は、皆から私の記憶が消えてしまうという事ですか?」
「ああ。君の事を覚えているのはマナ、君自身と俺達だけだ」
ハシバさんはキーボードを叩き、モニター画面の中に1つのウィンドウを開いた。
小さなウィンドウには『消去しますか?』の文字。
「マウスでクリックすれば、試練をクリアできるが、消去すれば2度と復活しない」
真実にたどりつくには『現実という名の世界』を断ち切らなければならいのはわかっていた。わかっていたけれども。
「……」
あの時、ハシバさんの『帰っておいで』に答えたいと思ったし、その気持ちは今でも変わらない。
「時間をかけてもいい。諦めてもいい。マナの答えを知りたい」
ハシバさんはいつの間にか出現した扉に向かって歩き出した。ハシバさんの背中を見ながら、私は聞いた。
「ハシバさんも情報を消去さたんですか?」
「ああ。俺もサクも生まれた時の名前を知るものは存在しないし、ゲームが終了すればミヤビたちから、俺たちの存在、もちろん出来事も消去される。まあ、毎年だから慣れてしまったがな」
足を止め振り返ったハシバさんは寂しそうに笑った。
「…………」
その顔に私はニコッと笑みを見せた。
悪人としての行動はゲームを進めるための芝居だと分かった今、ハシバさんはオンラインゲーム時のイメージに戻っていた。皆のリーダーで仲間で。いつもみんなを引っ張っていった。そんな人の寂しそうな顔を私は笑顔にしたいと思った。
そう思えた時、私は決心がついた。
「怖くないです。大丈夫です。消去できます」
「マナ……」
おもいっきり笑顔にしたかった。でも、消去という言葉が悲しげな歪んだ笑顔になってしまった。
「そうか」
ハシバさんは近づいて頭を撫でてくれた。
私はマウスを手にする。ノロノロと動かしでクリックするといつも以上に乾いた音がする。
その直後、右上にあった経歴のウィンドウが文字が消えていった。まるで誰かがDeleteキーを押しているかのように。一行消えると下の段が上に移動し、右上のウィンドウは上に上に川のように流れを見せた。
それと同時に空白だった右下のウィンドウに1歳までの出来事、全てを消去しました。と、作業終了のメッセージが現れた。
大きなモニターには画像が数秒単位で変わっていく。
どれも私が映っているもので、ハシバさんが説明してくれた。
「あれは誰かがマナを見た時、記憶に残ったものだ」
モニターには様々な私が見えた。
小学生の私が笑っているところ。クラスメートの誰かの記憶。
泣きながら幼い弟を指さしているのは母親の記憶だろう。
洗面台で洗顔石鹸を落としている自分。弟が見た私の記憶。
それら全て消えてゆく。
みんな、みんなの記憶から私が消去されてゆく。
「…………」
スイカジュースと争奪ゲームで使用した赤い巾着を持って笑う私がいた。
間違いなく、ナオと初めてあった時のものだった。
「作業を終了しました」
機械的な音声が部屋に響いた時、魔方陣にあった制服姿の『私』も消去され、髪も顔もないマネキンが変わらずに浮いていた。
「ははは……」
決心ついても体から力がぬけて座り込み、涙が止まらなかった。
目が覚めた私は起き上がり、耐えられなくなった感情を、その場に居た2人にさらけだしていた。目が覚めるのを待っていたハシバさんとサクは抱き寄せて受け止めてくれていた。
後で思えばそれは赤子のように泣いていたと思う。
こうして私は真実世界に誕生した。