開放
今までの出来事が夢であってほしかった。
目が覚めたら、中間テスト初日でもいいから。1人でベッドに寝てて、見覚えのある自分の部屋だったらと願う。
「……」
まぶたを開くと眠っているナオがいた。現実は変わってくれないようだ。時計はないものの、小さすぎる窓からの情報は早朝だと読み取れる。
「ナオ……」
悲しい夢を見ているのか閉じられたまぶたに涙が流れようとしていた。
不安なのは私だけではない。
私は指でナオの涙を拭き取ると、もう少し眠る事にした。
次に目を覚ましたのはドアを叩き続ける音によって。
「ねぇ、誰か起きて、大変なの」
私より先に目を覚ましていたナオがベッドから降りてドアに向かおうとしていた。私が駆けつけるより早くドアが開き、ネクロマンサーの衣装を着たミヤビが一大事を口にした。
「ハシバが、部屋で……」
一部始終を聞き終える前に悲鳴が聞こえた。
「ハヅキの声だ」
私たちは顔を見合せ、悲鳴が聞こえた方へ走り出した。
2階の西側に私達の部屋があり、エントランスを通り過ぎた東側にハシバさん達の部屋があった。
「さ、サクが、ハシバも……」
座り込むハヅキの先に、開かれたドアと2人が床にいた。
「ハ……」
言葉を失うしかなかった。
サクはうつ伏せに、ハシバさんはプレートアーマーの格好で仰向けに倒れたまま、ぴくりともしない。何よりも彼らには緑色の文字が付着していた。
「文字……」
2人の至るところに数字とアルファベットと記号のような緑色の文字が書き綴られていた。
「な、何なの、これ」
後方でヒナタが悲鳴のように言葉を漏らした。
何よりも一番、恐ろしかったのは、仰向けになっているハシバさんのお腹がぽっかりと空いていた事で……その中には緑色の文字がびっしりと付着していた事。
「マナ、大丈夫?」
現場を目の当たりにした私は気分が悪くなり、部屋で休むことにした。
「ナオは平気なの?」
「ホラー映画とか見ていたからね」
様子を見に来てくれたナオはベッドに座り、青白になった私の頬に触れてくれる。
「ハヅキも休んでいるから、マナも一眠りした方がよいよ」
「うん」
「部屋の奥にパソコンがつけられていたよ。『ハシバは契約を違反したから、私はハシバの腹を破り、サクのエネルギーを吸い取った。今までの仲間たちへ。私は電子世界に帰る。また、会う事ができたら、契約を結んであげる。もちろん、約束は守ってね』そう書かれていたよ」
「じゃあ、あれはリリの仕業なの?」
「だろうね。じゃなければ説明できないよ」
「そうだね……」
あの緑色の文字と数字と記号のようなものあれを一字一字書くのは気の遠くなる作業になるし、何よりもハシバさんのお腹を空けるなんてこと、人間ではありえない。
「何が起きたのか、これからどうすれば良いかは、皆が元気になってから話し合おって、ヒナタが言ってた」
「わかった」
「何かあったら呼んでね。念のためヒナタと屋敷を見回ってくるけど、ミヤビが通路で見張りしているから」
私は不安になってナオの手をつかんだ。
「私も行く。ナオとヒナタだけに危険な目に合わせたくない」
「大丈夫だよ。あくまでも念のため」
ナオはつかんでいた私の手を両手で包み、布団にしまってくれた。
「心配してくれてありがとう。だからマナも休んで元気になって」
気持ちはナオ達と見回りに行きたかったけれども、体は動きそうもなかった。
「とにかく回復しよう」
私は目を閉じる。起きた出来事は考えないことにしたせいか、眠気がやってくる。
夢を見た。
ゲーム衣装のまま、現実世界の道路にいた。
南京錠が2つ転がっていた。1つは小さくて開錠されていて、もう1つの大きい方は黒くで施錠されたまま。
雨が止んで水溜りが足元にあって、覗くと当たり前だけれども、自分がいた。
「……ふふ」
水溜りに映る自分が笑って言った。
危険とわかっていながら私は体を曲げて水溜りに手を伸ばして水に触れる。
「帰っておいで」
水溜りから手が伸びて私の手首を掴んだ。
そして……
「きゃああああっ」
水溜りに引きずり込まれた瞬間に私は跳ね起きた。
「はぁ……」
心臓に悪い夢……
「………………」
現実にありがたみを感じた私は、何かの違和感に気が付いた。
それは夢のせいだろと、そう思うことにした。
ヒナタとナオが屋敷内を見回ったけれども、異常はなかった。
衝撃に耐えれなくなった私達3人も回復してリビングに集まれた。
「ハシバがあんな状態で発見された今、あたし達は帰る事を考えよう」
サラサラの長い髪をした大学生ぐらいの女性が口を開いた。白いシャツの上に緋色のベストに同じ色でチェックのミニスカート。肩掛けの大きな布鞄と丸渕メガネが薬剤士の衣装だが、それらは部屋に置いてきたらしい。
ヒナタだけでななく皆、服以外のオプションは身に着けていなかった。もちろん、私も。
薬剤士のヒナタはテーブルの上にあるノートパソコンに目を向ける。
「ハシバの部屋からパソコンと通信機器をもってきた」
「通信機器……それが?」
ナオが首をかしげるのも無理はないと思う。パソコンの横にあるそれはテレビや電気屋でみるモバイル端末ではなく、お弁当箱を薄くしたようなプラスチックが斜めに置かれていた。
「衛生通信だよ」
「衛生から通信するの?」
「衛生からじゃないと通信できないってことだよ、マナ」
ヒナタは天井を見上げた。
「携帯とかの通信機器から発信された電波はアンテナ、基地局に送られて、そこから各地に飛んでいく。電波が届く範囲に基地局がなければ、繋がらない」
「そうなんだ」
「アンテナも市街地とか使用する人が多ければ、携帯会社が設置するけれども、使う人がいるのかわからない、こんな山奥なんて誰も設置しようとはしない」
ヒナタはリビングにある、これまた小さな窓を指さした。
「皆、目隠しされてここに連れてこられたけれども、窓の外は木しかない。ということはどこかの山中にいる可能性が高い」
「山の中じゃネットは使えないからね」
ヒナタの言葉に補足したミヤビは足を組み直す。
朝はハシバさんの騒動でそれどころではなかったけれども、ミヤビの着るネクロマンサーの衣装はセクシーなものだった。ボディラインぴったり黒のロングドレスなんだけれどもハリウッド女優が切るような胸の真ん中からおへそまで切り込みのはいった大胆な衣装だった。同性でも目のやり場に困ってしまう……
「帰るとはいえ、ここがどこだか把握することができない。衛星通信ができるネットから助けを求めるしかないと思う」
「山なら下山する手はあるんじゃない?」
「止めた方がいい」
ナオの意見にヒナタは首を振った。
「むやみに出歩いたら遭難するだけ。第一、どっちの方向に行けばいいのかもわからない」
「車は? ハシバはあたし達を車に乗せてきた。という事はどこかにあるんじゃないの?」
一同はナオを見つめた。
「ナオの言う通りだな。ところで、誰か免許はもっている? あたしはないからね」
ヒナタの発言に私達は社会人らしきミヤビを見つめたが、彼女は首を横に振った。
「運転できなくても、地図とかナビゲーターとかあるんじゃないかな。ハシバさんだって地図なしでここまで来るのは難しいんじゃないと思う」
私は思いついた事を口にして、皆の視線を集めた。
「それはあるな。あたし達の脱走を考えてどこかに隠してあるかもしれないけど、どこかにあるはず」
「ミヤビとナオ、マナは外の様子を見てきてくれ。車を探す前に、屋敷の外はどんな感じなのか」
「わかった」
目隠しされて来た私達にとって、屋敷を出た先に何があるのかもわからないでいた。
「軽く見てから、朝ご飯にしましょう」
ミヤビの発言に私はお腹を押さえていた。そういえば、昨日は不安でほとんど食べていないのを思い出したから。
「ネットはあたしがやらさせてもらうよ。まず、この衛星通信の設定状況から見ないとならないし、一応、操作には自身があるけど、専門的に詳しい人がいれば任せるよ」
ヒナタの問いに手を上げる者はいなかった。
「ネットが繋がったら、SOSを信用してもらうため皆の情報を書いてほしいんだ。住所、氏名、学校名。捕まった日時、場所も」
「…………」
「ハヅキは、あたしの助手を頼むよ」
「……うん」
ハヅキは、どこか遠くを見ていた。
1か月ほど屋敷に滞在して仲良くなったサクがあんな目にあったのだから、今は見守るしかなかった。
「外に出る前に2人とも、その服で大丈夫?」
私は腹部が露出している2人に心配の声をかけた。ナオもそうだけれどもミヤビなんてさらに胸元までいっているし。
「寒くなさそうだし、大丈夫よ」
「心配してくれるのね。嬉しいわマナちゃん」
心配なさそうなので私は玄関のドアノブに手をかけと素直に回った。鍵はかかっていないようだ。
「…………」
扉の先にあったのは空と広い空間と屋敷を囲む木々の集まり。それだけだった。
「鍵をかける必要がないわけね」
ミヤビの言葉に頷きつつ、屋敷の前にある広い空間を見つめた。
屋敷の前って考えると普通は噴水とか花壇とか豪邸の雰囲気を盛り上げてくれる光景があるのに、現実のハシバ邸前は舗装もされていない20メートルほどの広場があるだけだった。
「土の上ならタイヤの跡とかあってもいいのに……」
ナオは茶色だけの地面を見つめ、それから広場の先を見た。
「車もそうだけども屋敷を取り囲む塀も門もないわね」
ミヤビの言うとおりこの屋敷の周りは生い茂った木々があるだけ。
「熊とか狼とかこなければいいんだけども……」
広場を進み先にある道に言ってみると、ここも舗装されていない狭い道が見えたが木が覆っているので薄暗い。
「一度、屋敷に戻って目印になるものをかき集めた方が良いわね。無防備に歩き回るのは危険よ」
「そうだね」
ミヤビの意見に賛成した私達は朝食をとってから、屋敷を歩き回り使えそうな物を探した。車を探して見つけても屋敷に戻る方向を見失っては意味がないので。
物探しは意外と時間がかかり、本格的な捜索は明日となった。
というよりも変わり果てたハシバさん達の光景を見た衝撃に、体が思うように動いてくれなかった。
ノロノロとした時間だけが過ぎていこうとした。
夕方を迎えるまでは。
夕飯はヒナタとミヤビが作ることになり、私とナオは一度部屋に戻ることにした。
部屋に戻ったところでやることはないが、衝撃が癒えてない今は何もやる気がおこらない。ベッドで横になっていようと考えながら、螺旋階段を半分ほど登った時だった。
「きゃああっ」
私はナオを顔を見合わせて、声のした方、2階へと駆け上がる。自室とは反対側の部屋、ハシバさんの部屋のドアを開けた。
「ハヅキ」
扉を開けた先にハヅキが座り込んでいて、部屋奥へ伸ばしていた手が緑色に変色していた。伸ばしている手にどちらかの体が触れている。
「マナ、ハヅキを引っ張っぱろう」
それを目にしたナオは指示と行動をおこした。
私もハヅキの胴体に両腕をまわして、後方へ引っ張る。
ナオの力もあって私達はハヅキを後方へ下げることに成功した。
「ハヅキ、手は大丈夫?」
一息ついてから、心配になっていた事を口にすると、ハヅキは元に戻った手をさしだしてくれた。
「良かった。痛みとかはない?」
「……うん」
「なんでまた、ここに来たの?」
ナオの問いにハヅキは視線を落とす。
「ごめん……ハシバと違って、サクは緑色になっただけだから、もしかしたら生きているんじゃないかと思って……確かめようとしたの」
ハヅキの答えに私達は顔を見合わせるしかなかった。
「とにかく、ここを出よう。部屋に入るのは危険だよ」
「そうだね。ヒナタ達にも報告しないと」
「…………」
最初はシーツで2人を覆っていたけれども、危険とわかった今、それもできないまま退出するしかなかった。
部屋を出る前に仲間だった物体を見つめるハヅキの姿が胸に痛む。
「ごめんね2人とも。ありがとう」
ハヅキを部屋まで連れてゆき、ベッドに休ませた。あれ以降、ハヅキの肌に変化は見られないから、安心してもよさそうだ。
「…………」
私は表情を沈ませるナオに気が付いた。
「ナオ?」
「薄情だなと思って。捕らえたとはいえハシバ達は仲間だったのに。あんな事になっても何とも思えない」
ナオの言葉に私もはっとし、視線を落とす。私もナオと同じ心境だった。
ハシバさんやサクに何とも思えなかった。あれは人ではなく、人形か物体のように思えた。もっと言うならば、ハシバさんたちは死んでいないような気がして。
「…………」
それを口にすることは、さすがにできなかった。
「ううん。薄情なのはあたし」
視線を落とすハヅキに問おうとしたけれども、ハヅキの口が早く動いた。
「ごめん。2人とも。しばらく1人にしてくれないかな。頭の整理がしたい。大丈夫、2度とあの部屋に行くことはないから」
「…………」
静まり返った部屋の中。ハヅキは部屋の明かりを消した。小さな窓から僅かな月光がハヅキの足元を照らす。
「リリ。いや、サク。聞こえているんでしょ」
ハヅキは暗闇に向かって言った。暗闇がうごめくことも声が返ってくることもないが、整った小さな唇は動き続ける。
「このゲームの敗者になるよ。というより勝者になれない」
暗闇から動きはなかった。