再び
「いやぁ、我ながらスゲーって思ったよ」
誰かの声が聞こえる。
「マナを24時間監視して後をつけたら、警察向かうだもんな」
警察署にいたのは私を監視してたらしい。あんな体育会系の男がうろついていたのに、気づかなかったなんて……。
「……そう。急いでリリに回り込ませて、あとは物陰に隠れて近づいたけど、マナが一度振り返ったから焦った焦った」
相手の声は聞こえないから、電話かな……頭がぼうっとする……ここはどこだろう……目を開けたけれども灰色みたいな世界が見えた。目に何かが触れて不快なのでまぶたを閉じた。目隠しされているとわかったのは数秒後。
「…………」
私は体全体に神経を張り巡らした。
まず両手足が動かない。両手は前にロープか何かで固定されているようだ。体は横たわってて、床か地面は固くはない。
揺れている……カッチカッチと音が聞こえた。聞いたある音……その後に響くようなゴォーといい音が聞こえてから、体が右に揺らいだ。車に乗せられているみたい。
「大丈夫、大丈夫って。安全じゃなければ、電話してこないって。おぅ、無事の捕獲した。アドレナリン出まくりよ。あの車は乗り捨てて、調達してくれたレンタカーで突破、検問はなかったから捕獲した事はバレていないようだ……ん? マナが目を覚ましたようだから、あとでかける。ナオの件はちょっと考えてくれ……あぁ、じゃ」
通話を終了する電子音がすると、車内は静かになった。
「おはよう、マナ。俺の大切な娘」
「……ハシバさん」
「あぁ、皆のパパ。ハシバだ」
低い男の声で、オンラインと変わらない言葉が耳に届いた。
「ここは車の中。次のフィールドへ移動中。もうちょっとで着くよ」
「…………」
「マナ達には感謝するよ。敷地内で騒ぎを起こしてからの捕獲と逃走。今まで味わった事のないスリリングなゲームだったよ」
ハシバさんの声だけが響いて消えた。
「ハシバさん……」
無音の間が怖かった。運転しているねだから前は向いているんだろうけれども、見られているような気がして。
「ハシバさん……どうして、こんな事をするんですか」
「その言葉を待っていたよ。他の娘たちもそうだったけども、この話をしなければ何も進まないからな」
体が右に揺れる。車が右折し終わってから、ハシバさんは口を開いた。
「現実で住んでいられない事をしちゃってね。ほとぼりが冷めるまで何もしないのはつまらないから。皆を呼んだんだよ」
「現実で住んでいられないって……それって警察に捕まる事なの」
「よくある投資話を持ち込んで金を巻き上げるだけ巻き上げて、とんずらする典型的な詐欺をね」
「………」
「ゲームに生温さを感じてきたから、んだよね。モニター先の出来事は所詮、架空のもの。デスペナルティーがあったとしても生身にはなんともない。安全な戦闘。それが嫌になったんだよ」
ハシバさんの言葉が外国語のように理解することができなかった。
「だから現実でゲームをする事にしたんだ。君たちの捕獲大作戦。一目につけば、通報される。だけども、ゲームしている感が」
「…………」
狂言に何も返せなかった。
「とはいえ、俺は幸運なカードを持っている。そのお陰で狩りは楽にできたよ」
「カードって」
ハシバさんは答えてくれなかった。
「まあ、仲良くしよう。それがマナのためでもある」
「…………」
「マナが変な事をしない限り、俺が危害を加える事はない。それに俺のオフラインゲームはナオを捕獲するまでだから」
それ以上、ハシバさんが発言することはなく、車の音だけがこの空間を支配した。
どれくらいの時間がすぎたのかはわからない。同じ姿勢で体が痛くなるのには十分だった。車が止まる音、間近にあった後部ドアが開く音。
「大人しくしててくれ」
低いハシバさんの声がして、体がぐらりと揺れた。多分、私をどこかに運ぼうとしているのだろう。怖くて反発しようとは思えない。腕と足。それから左の側面に人の体温と感触がする。間違いなくハシバさんのものだ。
遠くでドアの開く音がした。
手足の感触がなくならないから、誰か別の人がいるのは確かだ。人2人分の重い足音。周りの音、音というか雰囲気のようなもの変わったような気がする。
2人分の足音が固いものに変わってすぐにドアの音がした。私の体が下降したのは、その後だった。柔らかい感触、ソファーかベッドだろう。
「さてと」
ハシバさんは私の手首を持ち上げた。
「手首の紐をほどいたから、後は自分で何とかなるだろう。ナオが来るまで屋敷を自由に使ってくれ。もちろん、逃げようとは思うなよ。遭難するだけだ」
ハシバさんが離れ、ドアが閉るまで動かなかった。恐くて動けなかった。
私はさらに待ってから、ようやく自由になった手で半身を起こして目を覆う布の解除にとりかかる。適当に軽く引っ張ったら、あっという間に取れた。蝶々結びだったようだ。
「眩しい」
開いた目が光の次に見せたのは白い色だった。私が座っているベッドや壁は白色で服も白かった。
「白……」
ドーナッツ屋に向かおうとした私の私服は青いスカートに淡い緑色の上着。
「着替えさせられたって事?」
体中がゾワリとした。
「………………」
視界に入ったサイドテーブルにピンク色のハート型をしたペンダントに、クマのリュックサック。枕元に白いトンガリ帽子が置かれている。
闇に巻き込まれたのを実感させられた。
「……いやぁ」
両腕を前にクロスして自分の身を守った。
「何でこんな事に……」
『可哀想な子』
そう心は言ってくれた。
『事件に巻き込まれた、可哀想な私。悪いのは誰? ハシバさん?』
うなづこうととした私に心はニヤリと笑った。
『まだ、いるでしょう?』
心は私を指さした。
「…………」
もし、ハシバさんが考案しゲームに参加しなければ、この事件に巻き込まれる事はなかった。
ナオとも出会えなかったけれども、ここで呆然とする事はなかった。
『自分に過ちがあるのは忘れないでね。今あるのは、自分が行動したがめの結果であることよ』
言いたいことだけ言うと、心の中に住むもう一人の私はどこかにいってしまった。
「…………」
精神エネルギーを回復してから、私は足の拘束を解いた。ベッドを降りて辺りを見回す。
「……何もないのね」
部屋はベッドと引き出しのないサイドテーブルの2つが全ての家具で、クローゼットもない。木製の床と窓以外は全て白色。
小さな窓が4つあり、押し上げるタイプのものだった。
「ほとんど開かないや」
両腕が入る程度で、ここから出るのは不可能でしかなかった。
窓が広くても窓の先に見える緑色だけの光景、森が果てしもなく続いている。ハシバさんの言った通り脱出は困難でしかない。
この屋敷は監禁用として建てたものと考えてもよかった。
キャラクターと同じ格好になってから、ドアをおそるおそる開ける。白い壁に高い天井、そして長い廊下が続いていた。
「高そうな家……」
廊下に出てドアを閉めようとした時『MANA』と書かれたプレートに気づいた。廊下を進んだ先にあるいくつかのドアにもプレートがついていて、パーティーメンバーの名前が書かれていた。
「ナオのもある……」
私はナオの名前が書かれたプレートの前で足を止めた。せっかく2人で行動していこうと決めたのに。ナオはまだ、逃げ回っているのだろうか……
「………………」
無意識にハート型ペンダントを握りしめていた。
長い廊下を進むと、ここが2階だとわかった。右側に広い空間と階段が螺旋になっている。
「屋敷? 舞台設定みたい」
テレビで見た広いエントランスにシャンデリアという豪邸という建物に私はいた。
螺旋階段を降り終えたのと同じぐらいに左側にある部屋から人影が現れた。
「マナも捕まったんだね。お別れ会にマナは参加しないって発言していたから、てっきり見つからなかったと思った」
人影はシーフの姿をしていた。緑色のバンダナにミニスカート。白いシャツとスパッツをはいている。
「……うん。言った。でも、やっぱりほしくなってこっそりアドレス送ったんだ」
忘れた自分の行動に恥ずかしくなった。
「そうなんだ」
アルターワールドでシーフをやっていたハヅキはにこっと笑った。
「同じ50歩100歩仲間だって事にかわりないよ」
さらりと言ってくれたハヅキにほっとすることができた。
「それはそうと……ハヅキ」
私は改めてシーフ姿の子を見つめた。
「ハヅキってもしかして中学生?」
「そうだよ中1」
「…………」
中学生なのに、しっかりしている。
「まぁ、捕まって1週間たっているからね。捕らわれ生活にも慣れたよ」
「そうなんだ……」
私の疑問に気づいて答えてくれたらしい。正確にはしっかりしている彼女に自分の愚かさを感じショックを受けてたなんていえない。
「サクと一緒にトマトスープ作ってたんだけど、マナ、味見てくれる?」
「……うん」
どうやらサクも捕まっているようだ。
「…………」
玄関と向かい合わせにして左側奥の部屋に私達は入った。
入ってすぐに広いリビングがあり、通路を少し進むとダイニングルームで、その次がキッチンとなっていた。
キッチンは、屋敷の食事を賄えるほど立派なもので、どこかの店にある厨房と言った方が良かった。中央に材料を洗ったり切ったりする水周りや作業台があって、壁側にオーブンやコンロといった火を使う器具。部屋の奥にこれまた業務用の冷蔵庫が備え付けられている。
私達が到着した時、コンロで鍋をかき回している男がいた。
「あれがサクよ」
アルターワールドで露出の高い鎧を装備した女戦士。
現実では体育会系の男性だった。服装はズボンに長袖のシャツ姿。さすがに男があの格好をするのはキツイ。
「サク、男性だったんだ」
「しかもハシバ側の人間なんだよ」
サクの言葉に理解できない私にハヅキが教えてくれた。
「…………」
2つ驚いた。サクが共犯者だった事と、共犯者と知っておきながら、普通に接しているマコトにマコトは最初に捕らえたって言ってた。
『どうして普通に接する事ができるの?』という、私の視線に気づいたのか、ハヅキは苦笑する。
「一か月近く屋敷にいれば、こうなるよ。一緒に冒険していたんだから」
ハヅキの表情に私は何も言えなかった。言葉を返せない私を見て、ハヅキは仲間の情報を教えてくれた。
「ナオと以外、皆、捕まっているわ。ヒナタとミヤビも」
「小学生なのに……」
「小学生?」
私の言葉にハヅキは問い返した。
「ミヤビは大人だよ」
「あー、ニュースでやっていたやつだろう」
サクの問いに、私はうなづいた。
「テレビないからな、ここには。俺はハシさんから聞いた。すごい偶然の子がニュースになっているって」
「偶然の子……じゃあ、あの子は」
「無関係だ」
「そう……」
じゃあ……あの時、焦って警察に行かなくても良かったの……いや、どっちみち捕まるのなら変わらない? 捕まらないでいるって事は、ハシバさんに狙われ続けるだけだし……そう考えると……私の考えを止めたのは新たなる疑問だった。
「じゃあ、あの人は誰?」
2度にもわたって現れた同じ姿の人。ハヅキ、ヒナタやミヤビも捕まっているという事は被害者側で、ハシバさん側につく女性がいなくなる。
「後でハシさんが話してくれるよ」
サクはトマトスープを差し出した。
「とりあえずスープでも飲んでくれ。捕まったばたっかりで、頭が混乱してると思うから。部屋に持って行って一休みした方が良い」
私はスープを受けとるとサクの指示に従った。
スープをサイドテーブルに置いて、ベッドに座ってから頭を整理した。
自分は捕まった事。
アルターワールドの仲間に現実で再会できた事。
サクはハシバさんの共犯者だった事。なのにハヅキはサクと普通に接していた事。
何よりもナオについて。
その事実が頭の中でそれぞれに主張して、私を混乱させる。とりあえずスープを飲んで、ベッドに身を預けたら、いつの間にか眠っていた。
ノックの音で目が覚めた。目が覚めた時、辺りは真っ暗で電気を探すのにわたわたしてしまった。
「あ、はい。今、開けます」
サイドテーブルにライトがあったのを思いだし、ドアまで進むことができた。待たしたら悪いと思い急いで開けたドアの先に、視線を落とす。ナオがいた。
「ナオ」
廊下の明かりでナオだとわかった。
「ごめん、あたしも捕まった」
ナオもゲームキャラクターをしていた。紫色のトンガリ帽子と同色のスカートと上着。ヒーラーのと違い腹部は露出している。
「……。私だって先に捕まったんだから。私こそ、ごめんね」
お互い無言のまま立っていた。何を言えば良いのかわからない。でも少しだけほっとする事ができた。それはナオがいるからなのかな。
朝、遠い出来事で忘れてたけれども、ナオと一緒にいて、2人で立ち向かおうとしていた。1人ではないと安心できる人、ナオと再会できたという、安易なものかもしれない。
「…………」
でも、それは少しだけの安堵感に過ぎなかった。この先に待ち受けている不安が私たちの口を閉ざした。
ナオと別れ、しばらくしたらサクにリビングへ行ってほしいと言われた。完全なるゲームキャラクターの姿でと付け加えて。
トンガリ帽子とハート型のペンダント。クマのリュックを背負い。1階へ。
リビングはあの時を思い出させるような部屋になっていた。赤い絨毯にシャンデリア。壁にかけられた絵は鎧姿の男が仁王立ちになっていた。周りにBGMを奏でる演奏者たちはいないけれども、テーブルに並べられた飲み物と食べ物は同じように思えた。
そして何より、ハシバさんのお別れ会に集まった『ハシバの娘』と呼ばれたメンバー達。
シーフのハヅキ
ネクロマンサーのミヤビ
薬剤士のヒナタ
魔法使いのナオ
ヒーラーの私。アサシンのリリはいないようだ。
サク以外は皆、同じ格好をしていた。だから誰が誰なのか聞く必要もない。
「集まったようだから、始めよう」
そしてメンバーのリーダーであったハシバ。ハシバはアルターワールドと同じ格好、黒青色のプレートアーマーを装備していた。プレートアーマーと言ったけれども、強度のない軽い、コスプレ用と言った方が早い代物。
ラティア用の既製品は存在しないからオートクチュール品だろうな。
「お別れ会へようこそ、娘たち」
ゲームの中と違い、皆の反応は覚めたものだった。
「オフ会ならともかく、強制じゃあね」
正論を口にしたのはシーフの姿をするハヅキ。
「中学生のクセにキツイ奴だな」
「1か月も住んでいれば、そう発言したくなるものよ」
「ハシバ、私たちを捕まえてどうするつもり?」
不安を口にしたのはナオだった。
「俺は皆と仲良くしたいだけ。それよりも、紹介したい奴がいる。リリ、俺の後ろから出てきてくれ」
誰かが悲鳴をあげた。驚かない人はいないだろう。
ハシバさんの後ろから黒い服を着た少女が現れたのだから。ボディラインぴったりのシャツとミニスカート、黒のロングブーツはアサシンの衣装で、メンバーはリリしかいないし、白い肌、ベリーショートの黒髪はゲーム内で見る姿とそのままだった。ただ、ゲーム内と違い、緑色の光る目とぱっくり開いた口は目と同じで人間のものではない。
「初めてまして、というべきかな。久しぶりというべき?」
開かれた声は、音声を自動に読み上げるプログラムみたいな棒読みだった。
「リリ?」
「人じゃない……何なの?」
「人ではない。ゼロという仲間の話は知っているだろう」
私は友人との会話を思い出した。
「仲の良いメンバーがオフ会を開いたが、ゼロと名乗る1人はいつも参加しなかった。疑問に思った仲間が調べたらゼロというプレーヤーは存在しなかった」
「それがリリだっていうの……」
ハシバさんの説明に、不安げに聞いたのは隣にいるハヅキ。一か月滞在していた彼女にとってもリリの存在は知らなかったようだ。
「そうだ。この都市伝説はさらに続きがある。実在しないゼロを見つけ出した者には契約を結ぶことができる。電子化した悪魔と」
ハシバさんの言葉にリリへの視線が集まった。
「疑問に思わない?どうしてハシバの遺産争奪ゲームが自分の近くで行われたのか」
リリの発言は2つの事を表していた。
ハシバが提案したゲームは私とナオが出会った大二駅以外でも行われた事。それは私達と同じで、各メンバー近くで行われた事。
「電子化された悪魔は、セキュリティ関係なく行き来できる、個人情報なんて簡単に抜き出せる」
リリはハシバの説明にニヤリと笑った。
「後はコインロッカーを開けた奴の顔を見れば、完全に把握した事になる。道事情をナビゲーターから検索すれば、簡単に捕獲計画が実行できる」
ハシバさんの計画されていた犯罪に誰もが自分の軽率な行動を恥じ、彼の簡単に実行できる精神にぞっとした。
「ハシバ、あたし達はどうなるの?」
ナオは同じ質問をしたが、言葉は弱く変化していた。
「不安になる事はない。楽しくなるだけさ」
ハシバさんはニヤリと笑った。リリはハシバの後ろに隠れ、彼がソファーに移動する時には跡形もなく消えていた。
ハシバさんはワインをあおり、サクが運んでくる料理私達に食事を進めた。
お別れ会改めよろしく会がスタートしたけれども、不安でそんな気分にはなれなかった。ナオがリビングを離れようとしていたので、私も後を追った。
「ナオ」
振り返って笑顔を作ったナオの表情も不安が隠せないでいた。
「…………」
私達は互いに見つめあい、こみあげてくる不安を無言で受け止めあった。
「マナのベッドで一緒に寝ていい?」
ナオの言葉に私は頷いた。不安を抱えたまま、1人になるのは恐かくてナオの言葉が嬉しかった。
サイドテーブルに紫と白のトンガリ帽子を置き、手をつないで目を閉じた。