第97幕 最後の願い
秋たちは迷わずドームに突っ込んだ。
そこは――『カコ』や『ズローバ』の「瘴気」の濃さなど比較にならないほど――黒い世界の中に、全ての「負」の感情を詰め込んだ――それは「負」という名の「毒素」とでも言うべき塊の中だった。
秋たちは吐き気などを感じる間もなく、立っていられないほどの目眩を感じ、思わず膝をついた。
「…いらっしゃい、秋、直人、ベンジー。
この「魂」の集団を集めていたから、少し到着が遅くなっちゃったね」
漆黒の闇の中――のはずが、その姿は突如現れた。
しっかりと、シュンソクの姿をした片桐の体を秋の目は捉えていた。
「あんた…どう…して。へい…きなんだよ」
秋が片桐に苦しさを抑え、途切れ途切れに言葉を吐き出した。
「…慣れ。3000年もこんなのに接してきたんだから。もう慣れたよ。
でも君たちはそうはいかないよね。何せこの小さい空間の中に、『カコ』に送り込んだ以上の「魂」を詰め込んできたんだ。
敏感になりすぎた感覚は、君たちの体を麻痺させているはずだから。
これだけの量の「魂」を詰め込んだドームを、この世界で破裂させれば、世界中が『ブルゾス』で埋め尽くされる。
差し詰め…これは「パンドラの匣」ってとこかな」
秋は淡々と説明を続ける片桐を睨みつける。
「さて。案外呆気なかったけど…君たちも元の世界に帰れたんだし……本当はここで死ぬ予定だったんだから…本望だよね」
片桐の右手にはいつの間にかに剣が握られている。
「まずは……さよらな…秋」
身動きが敵わない体で――秋は剣を振り上げながら歩いてくる片桐の動作を見つめる。
(動けっ!!俺の体ぁっ!!)
心の中で、秋は必死に足掻いていた。
(シュウ……っ!!)
そして。秋の中で――セスカの声が聞こえた。
「…なっ!?」
動けないはずの秋の体から、片桐を吹き飛ばすほどの「風」が吹き出してくる。
(ナオト。カタギリの右側に隙があるわ)
直人の中にも、イルエの声がする。
直人は全身の力を足に集中し、よろめいた片桐の右へと走り込む。
そして「青龍」を抜き、その右腕を切り落とした。
(頑張ろう、ベンジー)
ベンジーの中にもクララの声が響く。
片桐が「このっ!!」と直人に気を取られている片桐の前に、瞬間移動してきたベンジーが出現した。
「…っ!!」
(行くよ、ベンジーっ!!)
ベンジーに力を与えているのはカエナ。
その姿は純白の翼を持つ『天馬』へと変化し、片桐の体をドームの隅まで突き飛ばした。
「がっ…」
漆黒の壁に激突し、片桐が思わず呻いた。
そして間髪入れずに、片桐の四肢は川の水によって拘束される。
(やれば出来るじゃないか、シュウ)
秋の中のアックスが悪態をつく。
(続けていくよ、シュウ。この中の「魂」たちを『ガイア』のところへ還そうっ!!)
アダの声が聞こえ、秋の右目が琥珀の輝きに満ちた。
皆はこの場にいないはずなのに――それは『プシュケ(魂)』の能力を持つアレティが授けた――あのペンダントの力なのか。
秋の、直人の、ベンジーの心の中に、次々に――時空を超えて皆の声が届いていく。
(ナオト。シュウがアダの力で「『ガイア』へ還る道」を開こうとしているわ。
私がその場所を教えるから、シュウを導いてあげて)
(ベンジー。「道」が開いたら、カエナの力でドームの上部を突き破って、閉じ込められた「魂」たちを「道」へと還る案内をしてあげて)
「秋っ、そのまま真上に『英雄』を掲げるんだっ!!」
直人が秋に向かって右腕をドームの上へと指し示した。
「止めろっ!!そんなことしたら、君たちだって、この長い「時空移動」をしてきたことで疲れているっ!!一斉に戻る「魂」たちのエネルギーに耐えられずに連れて行かれるぞっ!!どうせ生きて戻るつもりでいるんだろうっ!!止めておけっ!!」
手足を拘束され、身動きの敵わない片桐が秋たちに叫ぶ。
だが。振り向いた秋は――片桐に屈託のない笑顔で笑ってみせた。
「そのときは片桐のおっさんと一緒に『ガイア』に逝ってやるよ。1人じゃ寂しいだろ?」
「……秋」
◆◆◆
「あれは……」
弥生がただ呆然とその光景を見つめた。
秋たちが入り込んだドームの上部に、直径が十数メートルはあろう黄金のリングが出現し、その中央から白銀の輝きがドームを照らすように光が漏れていた。
「これは…お兄ちゃんたちが?」
中では何が起こっているかわからない。
弥生は決意を固め、ドームへと一歩を踏み出そうとした。
(待って)
弥生の中で――声が聞こえた。
「…えっ?」
弥生が辺りを忙しく見回すが、皆ドームとその上空に突如現れた黄金のリングに気を取られている。
(ここは秋たちに任せて)
その声は――今度は、はっきりと聞こえた。
「お母さん…なの?」
弥生が――視線をドームに向けるが、それ以上――母、奈津美の声が聞こえることはなかった。
◆◆◆
次の瞬間。
ぼふん――という気球が破裂したような鈍い音と共に、ドームの上部を突き破り、一頭の翼を持つ「天馬」が飛び出し――それに続くように大量の黒い気体が、すごい勢いで天馬を追いかけるように飛び出してきた。
天馬はその気体を導くかのように、黄金のリングへと駆け上がっていく。
気体が他へと拡散することのないよう、自分を「導」としてただ――まっすぐに。
ほどなく天馬がリングへと突っ込むと、瞬きの間もなく――黒い気体もそのリングに吸い込まれていった。
「ああ…せっかく……皆が「楽」になれるはずだったのに。馬鹿だよな…人間って」
そう呟いて。片桐の体は凄まじい「魂」たちの帰還へのエネルギーに耐え切れず、塵となり、「魂」たちと共にリングへと舞い上がっていった。
そして――。
「『ガイア』への道の扉」をたった2人の力で開いた秋と直人は――。
既に体力は尽き、川の中に倒れ込んでいた。
そして虚ろな瞳で戻っていく「魂」たちを見つめている。
やがて、秋と直人の体は吹き上がり、天へと登る「魂」たちに連れられていくように。否。飲み込まれるように――リングへと押し上げられていく。
(皆…本当にごめんな。約束果たせそうにないや……。今までありがとうな。
天楽…頑張ってもらったのに。俺が駄目になっちまったよ。
セスカ…本当にごめん。俺は…お前が大好きだったぜ)
秋は薄れゆく意識の中で――仲間たちにそっと呟いていた。




