降臨譚
進藤は都内の交差点を歩いていた。
チカチカと点滅する青信号。
焦燥に背中を押され横断歩道を渡りきった進藤。
彼が振り返るとそこには赤信号。
勿論そこにはちらほらと規範を無視する人間達がこちらへ向かってくる。
進藤はそれを見て呆れた。
他方で外見も内面も全く人と変らない人間のようなグリーター。
今それは人間の世界に舞い降りた。
「さて、どうするか」
グリーターは呟いた。
人間ばかりの都内の交差点。
埋もれそうになるその真只中グリーターは辺りを見回した。
そして人間の進藤を見るや否や、グリーターは彼に声をかけたのだった。
「おい貴様」
グリーターは強めに声かけた。
「え」
進藤は不意をつかれて立ち止まる。
眼に映るのは面識のない人間である。
「私に貴様の欲を寄越せ」
グリーターは言った。
進藤は理解に苦しみグリーターにその言葉の意味を問うた。
「何・・・?何お前」
「私は強欲を食らうもの、グリーターだ。今から貴様の欲を食す。つまり貴様は自己に内在する欲を失うことになる」
進藤にはグリーターが何を言っているのかがまったくわからなかった。
どこからどう切り込んでその言葉を解釈していいのかも、全く検討がつかなかった。
ひとまず進藤は興味本位で応えた。
「欲を食べる…?本当にお前にそんなことができるのか?できるのだったら見せてくれよ」
グリーターは残念そうに言った。
「生憎貴様が最初だから前例は無い。貴様の欲を食さなければ、私は死ぬ。そして貴様は欲を失えばじきに死ぬ」
進藤はその背筋を凍らせた。
同時に驚いてその意味を問うた。
「なんだと!?死ぬ!?死ぬとはどういうことだ!?」
「欲が無くなれば「生きたい」だとか「何かしたい」だとか思わなくなる。何も欲しないし、欲しなくなる。そうなればお前にできることはゆっくりとただひたすらに死を待つだけだ」
信じられないことを淡々とあたかも当然のようにしゃべるグリーター。
その真に迫る論調に得体の知れない恐怖を覚えた進藤は武者震いする。
彼の心に死の恐怖が絡み付いてくる。
突発的に彼はグリーターに言った。
「なんだ突然!!俺が死ぬ!?どうしてそうなる!そしてなんで俺なんだ!教えてくれ!世の中には俺の他にもたくさん人がいるじゃないか!もっと欲を持っている人、絶対いるだろ!」
進藤はグリーターに向かって叫んだ。
進藤に突きささる周りの視線がとても冷たい。
しかしながらそれをどうでもいいと思うくらいに彼は焦っていた。
グリーターの冷静さが、なおも彼の恐怖心を煽ってゆく。
「貴様のような人間がこの世にはたくさんいるのだ。全く愚かだな貴様。人間は人間だ。能力の有無も地位の高さも財の大小も関係ない。私はじきに全ての人間の欲を食す。問題は貴様という一人の人間の命の終わりが早いか遅いか、それだけだ」
進藤は必死に叫んだ。
なんとしても自分の命を守りたかった。
「待ってくれ、まだやりたいことがたくさんあるんだ!俺は死にたくない!」
全く人間とは難しい生き物だ。死ねば全てが無に帰すというのに。理解できない。
グリーターがあれこれと思い悩んでいると進藤は立て続けに言った。
「1週間!1週間待ってくれ!そのときにまた俺のところに来てくれ!わかるだろう俺の事!なんならメールアドレスでも電話番号でも何でも教える!だから今この時に俺の欲を食うのは勘弁してくれ!死ぬのはごめんだ!1週間後にまたここ、時計台の下に来てくれ!いいだろう!?」
彼はものすごい勢いで時計台を指差して叫んだ。
進藤の論調はもはや狂気の沙汰。
彼はその自己保存衝動に駆られてグリーターに1週間というこれといった理由も無い具体的な猶予を要求した。
グリーターはその熱意に突き動かされたのか、欲を食らう対象を変えることにした。
「良いだろう。1週間後にまたここに来よう。だがその時には容赦なく貴様の欲を食らう。いいな。」
「約束する!1週間後だぞ!」
そう進藤が念押しするとグリーターは渋々彼の下を去って行った。
人間に話しかけると色々と面倒になるという事実を学習したグリーターは、次から通告なしに人間の欲を食べようと考えるに至るのだった。
グリーターはパッと進藤の前から姿を消した。
「え?」
進藤は驚き彼がどこへ消えたのかを見渡して探る。
すると彼のもとにニュースが飛び込んできた。
都内のビルに貼りつけられた電光掲示板は緊急速報を伝えている。
「緊急速報です。今現在入った情報によりますと、日本国各地に多数の変死体が」
アナウンサーが内容を言い終える前に轟音を伴った砂嵐が画面に吹き去った後電光掲示板は止まった。
そして進藤の周りでバタバタと人間が倒れていく。
進藤はおののいた。
何が何だかわからなかった。
そして突如鼓膜を突き破るかのような凄まじい音が聞こえた。
何かと思って見てみればそこにはおぞましい地獄絵図が展開されていた。
「何が…どうなって…」
進藤は眼を見開いた。
大破した車達。
それはスクラップの山を成している。
ぐちゃぐちゃになった死体。
それは投げ出され道路上に散乱している。
嗚咽を上げ虚ろになる人間達。
それはぐったりとして天を仰いでいる。
進藤はパニックに陥った。
すると反射的に携帯電話を取り出して言った。
「助けなくちゃ!119!そうだ!救急車を!いや、警察!?誰を呼べばいい!何を呼べばいい!どうなってる!?何がどうなってる!!!」
あまりにすべきことが多すぎて何から手をつけていいかがわからなかった。
否、こんなことが身の回りに起こったのは初めてだった。
むしろ自分が最初で最後の当事者なのかもしれない。
何かよくわからない現象が今自分の身の回りに眼の前で起きている。
まさかこれもさっきのグリーターとやらの仕業なのか。
彼は欲を食われた人間は何もしたくなくなり死ぬと言っていた。
そして自分が最初の犠牲者になると言っていた以上、さっき別れた時からついに人間の欲を食らい始めたのだ、というその推断は恐らく合っているはずだ。
そう考えると、なるほどこの現象はもっともだ。
進藤は自分で驚くほどに冷静さを取り戻した。
平常心を取り戻しつつあった進藤は、ひとまずこの惨事をなんとかしなければならないと考え行動に出た。
まず進藤は救急隊に電話をかけてみることにした。
電話がつながった。
「もしもし!救急車を」
「それどころじゃないンだ!助けなければ!」
切れた。
諦めない進藤は次に警察へ電話をかけてみる。
つながった。
「もしもし!警察ですか」
「すぐに行く!しばし!」
切れた。
誰も頼ることができないというよりはむしろ彼らの下にも同じ現象が起きているのかもしれないということに気付いた進藤は、ついに自分が倒れている人を今ここで救済する他ないとその覚悟を決めた。
決めた瞬間にはもう身体が先に動いていた。
「大丈夫ですか!しっかりして!」
進藤が倒れていた青年の肩をゆするとその虚ろな生気の無い眼と自分の眼が合った。
身の毛がよだつようなその光を失った眼を彼は生涯忘れることができなかった。
その眼に驚かされてしばしの後、進藤はその青年がなにかを呟いているのを感じた。
うわごとが呟かれる口元に進藤は耳を傾けてみる。
かすかな声量ながらその内容が聞こえてきた。
「生きたくない死にたくない動きたくない食べたくない何もしたくない喋りたくない関わりたくない放っておいてほしくない行かないでほしくない関わらないでほしくない生きたくない死にたくない動きたくない食べたくない何もしたくない」
青年は虚ろな眼をしてぐったりとしながら同じ事を繰り返し呟いていた。
進藤は恐ろしさを感じた。
この青年は欲を食われたのだろうか。
欲を食われた結果がこれなのだろうか。
進藤は他にも倒れている人が眼前に広がっているのを見る。
そしてその一人一人の口元に耳を傾けてみる。
皆がその口ぐちに「~したくない」と繰り返し呟いている。
進藤は冷や汗で身体が湿り始めるまでに恐れを覚えていた。
何をどうしたらいいのかまったくわからないが、唯一つ彼の心にハッキリしたものがあった。
「彼らを助けなければならない!」
そう思い声に出して誓った進藤は無数に倒れている人間一人一人に語気強く言った。
「こんな所で死んではダメだ!」
彼がそう言うと、青年はむくりと起き上がった。
「え…!?」
進藤はいままで死んだかのようにぐったりしていた彼がいきなり立ち上がったのを見て腰を抜かした。
起き上がった青年が言う。
「ありがとう。恩に着る」
青年はそう進藤に感謝すると足早にその場を去って行った。
味をしめた進藤は次に眼にとまった別の青年に声をかける。
「こんな所で死んではダメだ!」
しかし今度はさっきと事情が違った。
その青年は先ほどの青年を救済したときと同じ具合にはならなかった。
進藤が何度声をかけても延々とうわごとを呟くだけだった。
進藤はそれからも辺りに転がっている人間達に意欲的に声をかけたが彼らの反応は結局のところ2パターンに分かれるのみだった。
ある人はむくりと起き上がり進藤に感謝するとスタスタと元気に去って行き、
ある人は何度進藤が呼びかけても永遠にうわごとを吐き続けるのみだった。
彼は手に負えない人々はもはややむを得ないとして捨て置き、自分の家へと帰ることにした。
独り暮らしの家に帰ればテレビは砂嵐ばかり。
それでもネット環境は存続していた。
そこには国内国外問わず、世界各地での混沌とした状況が書き連ねられていた。
「前代未聞の大惨事」「人類に混沌期が訪れた」等々の書き込みが為されていた。
そして情報によればどうやら世界各国の政府機関がほぼ機能を停止し、もはや今の世界は各国が無政府状態であるかのような状態になってしまっているという。
進藤はその情報が真実であると自分が見た現状と経験に照らして判断した。
進藤の長い1週間は、こうして幕を開けた。
残り、1週間。




