初仕事
目の前にいる人物。
それはジュリアンの兄でありジダルク王国王位継承第一位であるアレクシスである。
ジュリアンに聞いた話から頭の中で描いていた印象とはまるで違った。
肩幅や立ち姿、声の柔らかさ、雰囲気。想像していた人物像とあまりにも違いすぎて、セリーヌの頭は混乱していた。
目の前の人物は、ただ静かに微笑みながらセリーヌを見つめ返すだけだった。
ジュリアンは、隣で静かに様子を見守っている。
セリーヌの混乱を受け止めるように、目の前の人物はゆっくりと彼女に近づいていく。
「大丈夫。怖がらなくていい」
その声にセリーヌの肩の力が少しだけ抜ける。胸の奥で張りつめていたものが、ようやく少し緩むのを感じた。
ジュリアンはセリーヌに声をかける。
「君をここで保護する。安全が確保されるまでしばらくこの部屋で暮らすんだ」
セリーヌは小さくうなずいた。今、自分に出来るのは従う事だけだった。
こうしてセリーヌは、アレクシスと一緒に生活することになる。
☆☆☆
「失敗した?」
セリーヌがクラリス暗殺に失敗したという嘘の情報は見張りに伝わり、そのままミレイユに報告された。
「はい。メイドはその場でジュリアンに斬り殺されたという事です」
ミレイユはふん! と鼻を鳴らす。
「役立たずが。期待はしていなかったが、せめて傷のひとつくらい負わせられなかったのか。まあカスに文句を言っても仕方ない」
ミレイユはジュリアンたちの予想通り、失敗したとわかるとセリーヌの事など頭の片隅にも残さず次の手を考えだした。
当然、妹などとうに忘れている。
まだ油断は出来ないためにジュリアンはセリーヌの家近隣にミレイユが気が付かないよう見張りをつけて妹の安全を図った。
そして次の手を打ってくるであろうミレイユの動きも注視していた。
☆☆☆
第一の危機を乗り越えたクラリスはいよいよジュリアンの王妃として社交界に登場する事となった。
この場で初めてジダルク国王とも対面する。
広間には煌びやかなドレスと緊張感のある空気が漂っていた。貴族たちが談笑する中、クラリスはゆっくりと歩を進める。
初めて目にする王妃に感嘆のため息が漏れる。
「王妃様、お目にかかれて光栄です」
背の高い侯爵が微笑みかけてくる。
クラリスは柔らかく微笑み、深く一礼した。
「こちらこそ、お会いでき光栄に存じます」
挨拶を交わすだけでなく、相手の目を見て笑みを返す。ほんのわずかな時間であっても、相手に敬意を伝え、安心感を与えることが出来る対応である。
「そのドレス、とてもお似合いですね。夜会の雰囲気に映えています」
「ありがとうございます。仕立ての方がこの場にふさわしい色だと用意してくれたので、そう言って頂けて安心しました」
クラリスは軽く頷き、相手の話を遮らず耳を傾ける。
「その髪の結い方、見たことがありませんわ」
「エルドラストでは少しだけ流行している形なのです。こちらでは珍しいでしょうか?」
「そうなのですね。ジダルクでは見かけない結い方なのですが、とてもお似合いですよ」
貴婦人たちからの褒めの言葉に笑顔で答えるクラリス。
今度は老練な伯爵が近づいてくる。
「この国に来て初めての社交界でお疲れではありませんか?」
クラリスは微笑み、少し身を前に傾けて応じた。
「正直に申しますと、少し緊張しております。ですが皆様が温かく接してくださるので、とても心強いです」
緊張からくる疲れはあったが、クラリスの物腰柔らかな対応に終始和やかな雰囲気で進んだために乗り切る事が出来た。
謙虚な態度を崩さず、目線はしっかり相手に向ける。その姿勢は、若さや立場に頼らず自らの人格で信頼を勝ち取ろうとする意志を自然に示していた。
社交界のざわめきの中でも、クラリスの存在は周囲の視線を集める。一つ一つの会話と所作が、信頼の積み重ねになるのだ。
自国でも社交界は何度も経験していたが、緊張感の重みが違う。
ここにいる貴族たちはクラリスが妹の身代わりに来たなどとは知る良しもない。
エルドラストから来た正真正銘の王女だと思っているのだ。
クラリスはそれに恥じない対応であった。
「やはり彼女は素晴らしい。僕の見立ては間違っていなかった」
ジュリアンも自分の王妃となる女性の対応を安心して見ていられた。
そして緊張の国王との対面となった。
国王の間は、天井から吊るされたシャンデリアの光で淡く照らされていた。クラリスはゆっくりと歩を進める。
「王妃クラリス様、こちらへ」
侍従が案内すると彼女は小さくうなずき、ゆっくりと足を踏み出す。ドレスの裾を軽く持ち上げ、床に擦れないように気をつけながら姿勢を正し、背筋を伸ばす。
国王は玉座に座し、鋭い目でクラリスを見つめていた。クラリスは深く一礼する。
「陛下、お目にかかれて光栄に存じます」
言葉は丁寧でありながらも、柔らかさを失わない。微笑みを添え、声のトーンも落ち着かせる。これが宮廷で求められる礼儀であり、同時に人柄を伝える作法でもあった。
国王は腕を組み、じっと見つめる。
「ここに来るまでに色々とあったそうだな。事情はおおよそわかっておるが、貴殿に不満はないのか?」
国王はクラリスが妹の身代わりに連れて来られたのを知っている。
その問いかけは国王なりの気遣いであった.クラリスは動じず、目を逸らさず静かに答える。
「はい。私はジダルク王国に来て良かったと思っております。ここには自由がありますし、何より殿下がいてくれます」
「そうか。そなたが不満に感じておらぬなら良い。王妃としての務めを果たすように」
「そのお言葉を胸に努力致します」
言葉遣い、所作、距離感すべてが王に対する敬意と礼儀を示していた。
こうしてジダルク王国に来て初めての社交界と皇帝への謁見は無事に終わった。
緊張の1日が終わり、クラリスは安堵するのだった。
これ以降、クラリスはジダルク王国の社交界において名声をあげていく事となる。




