身だしなみ
「いってらっしゃーい!」
ある日の朝、いつものように凪ちゃんに見送られて家を出て学校へ向かうが、今日はなんだか口がくすぐったい。
「……そろそろヒゲを剃るか」
その原因が、それなりに伸びて来たため口を動かすとたまに当たってしまうヒゲだった。
気になって仕方が無いので剃りたいが、今更家に帰ってヒゲを剃ると学校に遅刻してしまうし、かといって学校にヒゲ剃りなんて持ってきている男子なんていないだろうしと悩んでいると、
「……! ……おはよう」
校門で俺を待っていたのか、光琉が俺を見つけて嬉しそうに手を振ってこちらへやって来たのだが、何故かやって来る頃にはどうにも不機嫌そうな表情。
女性特有のアレなのだろうかと深くは考えず、今は俺のヒゲがチクチクして気になっちゃうよ問題を解決するべきだなと、彼女を連れて人気の無い場所へ。
「え!? こ、こんな朝からだなんて、僕、心の準備が……」
「なぁ、ヒゲ剃りたいんだけどさ、女の子ならなんかそういう道具持って無いのか? ムダ毛の処理用のハサミとか、シェーバーとか」
「……」
「ぐふっ」
俺に惚れている彼女ならきっと協力してくれるだろうと思っていたのだが、彼女は無言で俺の鳩尾に女性とは思えない鋭いパンチを繰り出すと、うずくまって呻く俺を放って教室の方へと向かって行ってしまった。
「あのさ! 恋人になったんだから言わせて貰うけどね! 身だしなみはきちんと! 毎日ヒゲも剃る! 髪の毛もボサボサにしない!」
「そんな事言われてもなぁ……周りの男子や世の中の男性を見て見ろよ、俺と似たようなもんだぜ」
「そりゃあ人形相手なら身だしなみなんてどうでもいいだろうね! でも僕は人間なの! 君だって、婚約者の身だしなみが酷かったら嫌でしょ、ちゃんとするように命令するでしょ。僕が身だしなみに気を遣わない女だったら、告白されても受け入れなかったかもしれないでしょ」
「それは……」
その日の昼食時。結局彼女の持っていた使い捨てのカミソリを貰ってある程度ヒゲを剃ってすっきりするも、全部剃れと叱られてしまい口がカミソリ負けをして赤くなるまで入念に剃る羽目に。
その後も彼女の説教は続き、返す言葉も無いと項垂れる俺。
一緒になって教室に戻ると、そこには髪もボサボサ、無精ひげも生やした男子達が和気藹々としており、それを見て光琉は溜め息をつく。
今の時代、男性が身だしなみに気を遣うことはあまり無い。
身だしなみに気を遣わなくたって、結婚相手を紹介される。
身だしなみに気を遣わなくたって、妻は嫌がらない。
身長が低くても、太っていても、だらしない格好でも問題無い。
男性は見た目に関するコンプレックスやプレッシャーから解放されたし、
女性も男性の見た目を不快に思う業から解放された。
俺はこれは良いことだと思っているが、彼女にとっては生き地獄にも近いのだろう。
「というわけで明日からちゃんと毎日ヒゲは剃る、髪も洗った後にドライヤーで乾かす、制服とかも定期的にクリーニングに出す、いいね?」
「中学の時に俺に出会ってビビッと来たんだろ? ありのままの俺を受け入れてくれよ」
「それとこれは話は別! 恋人になったならある程度自分好みに変えたいって気持ち、実際にそれが出来る立場の人間がわからないとは言わせないよ」
賢い彼女に何度も論破され、明日からの朝の仕事が増えてしまった俺。
家に帰ると凪ちゃんは掃除の手伝いをしていたらしく、俺の部屋のベッドのシーツを丁度取り換えているところだった。
「おかえりはるくん。おふとんきれいにしておいたよ」
「ありがとう凪ちゃん。悪いけど、明日からもう15分早く起こしてくれるかな。凪ちゃんも朝早く起きるの大変だろうし、難しければアラームかけるけど」
「ううん、はるくんはわたしがおこすの」
「ありがとう」
「えへへ」
モーニングコールを早めて欲しいという非常に情けないお願いに、それが自分の仕事だから、望んでやっていることだからと笑顔で了承する彼女。
『そういう事に悦びを覚える人間』にしたのは多分俺なのだろうが、誰も不幸にはなってないからいいはずなんだと現実逃避をするかのように彼女の頭を撫でる。
撫でられて子犬のように架空の尻尾を振って上機嫌な彼女だったが、その髪が随分長くなっていることに気付く。
今の彼女はウェーブのかかったロングヘアーで、包容力のあるお姉さんというイメージもいいのだが、長すぎるのは好きじゃ無い。
髪について考えているうちに、最近見た漫画に出て来たツインテールの女性が可愛かった事を思い出す。
「凪ちゃん、時間のある時でいいから、これで髪切ってきてよ。店員さんにはこの写真見せてね」
「うん!」
「あとさ、最近漫画で見た、『ツインテール』って髪型が見たくてさ。自分で髪型変えられるかな」
「しってるよ! ちょっとまっててね」
散髪代と俺にとってベストな髪の長さが映っている写真を彼女に手渡し、追加で髪型の注文をすると、すぐに彼女はカバンからヘアバンドを取り出して自分の髪型を変えていく。
「これでだいじょうぶ?」
「うん、可愛いよ。しばらくはこの髪型にしてね」
「わかった! あしたのおひるに、とこやさんいってくるね!」
愛らしいツインテールの少女となった彼女を再度撫でながら、光琉のお叱りの言葉を脳内で反芻させる。
男性は身だしなみに気を遣わないが、女性は身だしなみに気を遣う。
というよりは、言葉は悪いが所有者である男の好みの見た目になるように命令されるのだ。
勿論、その見た目を実現させるためにかかる費用を負担するのは男だ。
学生である俺であってもそれは変わらない。
自分のエゴで凪ちゃんに俺好みの見た目をさせているのだから、そのためにお小遣いを使うのは当たり前だ。
「それじゃあおやすみ!」
ツインテールが揺れる凪ちゃんを家に返した後、スマホで光琉とメッセージでやり取りをする。
昼の話の続きで身だしなみに関する話をしていたのだが、彼女が俺の身だしなみに口を出す権利があるのなら、逆に俺も彼女の見た目に口を出す権利があるはずだと思い立つ。
『もう少し髪伸ばせない? ポニテが出来るくらい』
『僕だって伸ばしたいけど、学校で浮くでしょ、こればかりはしょうがないよ』
『安心しろよ、お前既に毎日髪を整えてるしヒゲも生やしてない変な男だって浮いてるから』
『全然安心出来ないよ! ウィッグ持っていくからお昼にそれで髪型変えるくらいで許してよ』
中性的な男として生きていくのが限界である彼女の髪型は基本的にショートカット。
恋人としては定期的に髪型を変えて遊べるくらいの長さは欲しいのだが、彼女の事情を考えればそれは難しそうだ。
翌日のお昼に彼女の持って来たウィッグを、何故か俺が装着して写真で撮られるという時間を過ごし、帰宅するとそこには丁度良い髪の長さになったツインテールの凪ちゃんが俺を待っていた。
「かみきってきたよ!」
「うん、似合ってるし可愛いよ。ところで凪ちゃんはさ、俺にして欲しい髪型ってある?」
「……?」
彼女のツインテールを掴んで上下に動かしながら、逆に彼女の要望を聞いてみるのだが、発言の意味がわからないようで首を傾げられてしまう。
今の彼女達に、『好きな見た目』という概念自体存在しないのだろう。見た目という概念すら、他人を識別するための記号であり、自分の見た目を変えるのもただ男の命令に従っているだけ。
「好きなアニメのキャラクターは?」
「にじゅうやきまん!」
「ごめん忘れて」
ただ、エゴでも、自己満足でも、彼女の望む見た目になりたいからと好きなアニメのキャラクターを真似しようと考えるが、彼女の今の好みは頭が二重焼きのヒーローであり、それはつまりハゲであり、彼女の為に学校で笑われる覚悟を持つことは俺には出来ないのだった。




