犬にまつわる絵と世と裸
17歳になるミニチュアダックスが義理の叔母の家にいて、もういつ旅立つかわからないので、記念に絵を描いてほしいと言われた。
叔母の期待する完成図は、家族に囲まれた犬の絵、集合写真のようなものだった。大変だったら犬だけでいい、との申し添えがつけられていたが、そんなことをしたらきっとあからさまにがっかりされるに違いない。
叔母の家族全員となると、4人と1匹、都合5体のキャラクターを描かなければならない。それだけでも尻込みするのに、私は絵のプロでもなんでもない。趣味もいいところなのである。
しかも、親戚といって義理だ。私のような関係性の者が下手な絵を描いて、ご愛嬌で乗り切れるものだろうか。大目に見てもらえるのは、血族に限られるのではないか。会ったこともない犬の絵を描いて喜んでもらえる自信が、私にはまるで無かった。
そう、会ったこともないのだ。クロというその老犬に、私は一度も会ったことがない。同じ犬種の別個体でも、傍目には見分けがつかないのが動物というものだ。長年連れ添えばその個体特有の癖や微妙な特徴もわかりそうなものだが、一朝一夕にはやはり無理である。その黒毛の小型犬が、クロであるかどうかの見分けもつかないような、何処の馬の骨ともわからない下手の横好きに、姪っ子の配偶者という属性だけをギャランティにして、愛犬の絵を描いてほしいと、本気で思うのだろうか。
その物好きな叔母は、妻の母の妹にあたる。姉妹関係は良好そのもので、妻が幼少の頃には、叔母の家族旅行に混ぜてもらって一緒に出かけたことがあるという。大人になってからも数回あったし、一緒に行かなくても、どちらかの家族が旅行へ出かけると、必ず土産を買って帰ってくる仲だ。近年は渡されるものがどんどん高価、かつ大量になっていて、傍目からそのやりとりを眺めている身としては、家計を心配せずにはいられなかった。
互いの家に歩いて行けるほど、近くに住んでいる。そう聞くと家族ぐるみでベッタリ癒着していそうに思えるが、意外とそうでもない。観察するに、妻の母がかなりドライな性格で、両家が関わるトピックは冠婚葬祭以外では「犬」か「旅行」に限定されているようである。対外的に好きなものを固定しておくと、人間関係に混乱しないで済むのかもしれない。
妻の実家でも犬を飼っている。7歳のトイプードルだ。叔母が懇意にしているブリーダーを通じて、縁あって妻の家に来た。室内犬が核家族に住み始めると、どうしたって犬を中心に生活が回っていく。暮らしを一変させるきっかけとして、犬は十分すぎるほど強力だが、それが叔母の勧めだったことを思うと、似顔絵を描いてくれと頼んでくる姿と重なってくる。どうやら叔母は、他人を巻き込むバイタリティにすこぶる富む人らしい。
私の結婚式に叔母の一家を招待した。
その際、私は来席者全員の似顔絵を描いた。
席次表という、自分がどこに座ればいいか一目でわかる会場図があって、多くは食事の内容や、式の進行スケジュールと一緒にパンフレットとして配られるのだが、そこに載せたのだ。
人生にそうない晴れの日が、コロナウイルスのせいで人々の顔が半分覆われた時世であることを悲観しないために、この工夫を凝らした。発案は妻だ。マスクに隠された晴れやかな表情を、代わりに紙面で表現する。自分の知ってる人も知らない人も、約50名の似顔絵を私は描いてみせた。
絵のクオリティがまばらなせいで、自席がどこにあるのか、返って迷う人が出たことを除けば、おおかた上手くいったと評価していいだろう。現に、叔母のように奇特な人はリピーターになるほど、少なからず喜はれたのだから。
こういう工夫は、できそう、やりたいかも、と自分で思っても、責任を取りたくない私は、発案できない。私はいつも自信がない。妻に言われた時点でも、当然できないと思っていた。妻がなかば無理矢理に背中を押してくれなければ、きっと一人も描けなかっただろう。
妻は、私を肯定してくれる。私のことについて、私以上に自信をもっているように見えた。50名の似顔絵なんか描けるわけがないと思っていた私に妻はできると言い、最後まで付き合ってくれた。間に合わなそうになると、自分でも描いてみようとさえした。実は絵心のない妻が描いた似顔絵が、一つだけ含まれている。
***
下手の横好きに描いてもらったところで果たして嬉しいものだろうか、という心配は杞憂に終わった。
完成品を渡すと、大喜びだったらしい。
私はその日、体調を崩して自宅で寝ていて、たまたま実家に帰る妻が、代わりに渡してくれた。
パソコンで描いたデジタル絵を、ただ紙に印刷するのでは味気ないと、妻がネットプリントを頼み、キャンバスにしてくれた。おかげで完成度がグッと増し、三千円のドーピング代はかかったものの、結果的に想定より良いものができた。
後日お返しに、叔母から高級な肉が大量に届いた。海老で鯛を釣るとはこのことである。ペットビジネスが儲かるわけだ。
クロの写真から、特徴は何となく掴んでいた。耳の付け根のあたりが直毛気味のようで跳ねているのが、かろうじて「らしさ」かなと考えた。完成品を渡しても、それについては触れられることはなかったが、きっと無意識に「ミニチュアダックスの絵」ではなく「クロの絵」だと感じるために機能しただろう。
今回も、妻が絵を描こうとした。私は重い腰をなかなかあげられず、犬が死ぬのが先か、という状況にまできた。妻の絵をみると、なぜかやる気が湧いたのだ。よっぽど下手で許せなかったのか、一緒に絵を描いてくれる人がいることが心強かったのか、本当のところはわからない。
ものの2日で仕上げ、妻にも褒められ、まんまと気を良くしているのである。
私は妻に飼われているのかもしれない。
ところで、妻の実家にいるプードルは、ときどき着せ替えのマネキンにされるのだが、着せるときは大人しいのに、脱がせようとすると怒り狂って噛んでくる。ずいぶん気に入ったのかと思って放っておくと、次第に不機嫌になり目も当てられなくなってくる。ずっと着ていたいというわけではなく、むしろ不快らしいのだが、犬はどうして人間の、脱がせてやろうという善意が理解できないのだろう。だったらどうして最初から、着せられるときに怒らないのだろう。
四六時中裸でいても平気な動物の考えてることは、やはりわからないのである。