09.人形師と少年
と、Dr.ボンダンス。
創作物が思案しているにも関わらず、不意に手を伸ばして無造作に頬に触れ、淡い銀の髪を指で梳ずった。
「うわうわ?」
「見ヨ、この滑らかナ質感、冷ややかナ色彩を。ククク、我が作品ながら美しイ。この天才的技術に拠る造形美、天才的頭脳に拠る機能美はどうダ!」
創造主の手が、創造物の顔を撫で回す。
ちょ、ちょっと待って。製作者だ、自分の作品を扱うのに遠慮はないだろう。けどその作品、中の人がいるから。
身体感覚がゾワゾワする。生身なら鳥肌が立っているところだ。
芸術家を称するだけあり、ボンダンスの触れ方はソフトで繊細だ。けど、何かちょっとエロい。そんで顔も近い。
「やだ、待って……」
そして何だろう。拒んでオルゴールのよう透明感ある音で再生される私の声も、ちょっとエロい。これはキケンがアブナイ流れですよ?
ボンダンスの手が胴体へと及ぶに至り、
「ちょ、待ってってば!」
「何を気にすル? 貴様は吾輩の娘のようなモノだと言っタだろう」
いや、お父さんが娘のカラダまさぐったら大問題だろ。
「ククク、素晴らしイ。やはり貴様は吾輩の最高傑作ダ……」
「だからヤメ……」
「てめぇ! オレの姫から離れろ、この変態!」
「って痛アっ!」
再びボンダンスの悲鳴。見ると慎太郎が魔人の脛を蹴っ飛ばしていた。待て、その男は『魔王』の手の者で……いや、お前が変態言う……え、“オレの”?
あー、ツッコみが追―いーつーかーなーい!
とにかく私は叫ぶ。
「下がれ慎太郎! お前こそその男から離れろ!」
どこか憎めないところがあるが、ソイツは魔法人形を創造した魔法使い、『魔王』配下の魔界人。
「一度ならず二度マデも……親子揃っテ何と無礼ナ……」
膝を擦ってる姿はやはり憎めなくはあるが、異世界の者、魔族なのだ。人間の子どもの命くらい平然と奪うかもしれない。
……させるものか。
私は両手に、空間を超えて“跳”ぶ“感覚”を呼び起こす。
そうなれば私は今ここで、この男と戦う。大人になってからはケンカも碌にしたことのないオッサンが、作られた人形が創造主に対して、どれだけ抗うことができるかはわからないけど……
たとえバラバラにされても、慎太郎、お前だけは父さんが守り抜く。
が、Dr.ボンダンス。
まじまじと慎太郎を見つめて言う。
「ふム? “姫”だト? 小僧、貴様何故コヤツを“姫”と呼ぶ? コレが『人形姫』だとは今知ったハズだし、貴様はコレの子で、コレは貴様の父だろウ」
慎太郎は真っ直ぐにDr.ボンダンスを睨み返す。
「可愛いからに決まってんだろ」
魔人の問いに、人の少年は当然のようにそう答えた。
いーいーかーらー下―がーれー!
自重して、マジで、お願いだから。
魔界の人形師は、少年の顔をじっと覗き込んだ。
「ホウ? 貴様に理解できルというのカ、この吾輩の芸術ガ」
「まあな、オレはフィギュアにはちょっとうるさいんでね。例えば、ここの、顎から鎖骨に掛けてのライン」
「ひあん?!」
「ここの造形は、マジで神ってる」
い、いきなり人の首筋に指這わせるな、変な声出たわ!
狼狽える当人を放置し、ボンダンスが顔を輝かせて身を乗り出す。
「オオ……オオ! 貴様、理解っておルではないカ! そう、その曲線を表現するのニ、吾輩どれほどの苦心をしたカ……」
芸術家の苦悩に端正な眉を歪める。
「なのニ、ケルベロスやヒュドラやデュラハンに見せたガ、ドイツもコイツもこの造形美をまるで理解せンのダ!」
いや、首。首周りの特殊なヒト達。見せる相手選ぼう。
ボンダンスと慎太郎の視線がぶつかり合い、どちらともなくフッと笑った。
「少年、ナカナカ見る目があるナ。名は何といウ?」
「慎太郎だ。アンタこそ、俺の知る限り最高のモデラーだぜ」
そして交わされる、固い握手。
あー……私の決意と“感覚”が、虚空に霧消した。
能力と、割とガチモードだった戦闘態勢を人知れず解いた私に、ボンダンスは実に晴れやかな笑顔を向けた。
「『人形姫』よ、吾輩、貴様の息子が気に入ったゾ」
うん……良かった、“父”として。
「正直人間のコトは侮っておっタが、見所のあル者もおルのだナ。ウムウム、さすがは吾輩の“孫”であル」
うん……良かった、“娘”として。
えーと……この男、やっぱりそんなに悪い奴ではないのかもしれないな。あと、あんまり友達いなさそうだ。
と、ここでボンダンスは不意に、
「ついテは『人形姫』ヨ」
生温かい気持ちになっていた私に意外なことを申し出た。
「吾輩、貴様の主治医になってやろウと思ウ」
「……へ?」
ポカンとする私に、ボンダンスは片眼鏡を光らせた。
「フッ……この天才の手に成る魔法人形は、滅多なコトでは傷ひとつ付かンし、病気にもならン。ボンダンス魔導工房の人形は、“タイタンが踏んでも壊れない”をモットーに、魔貴族社交界の婦女子に愛さレ続けルこと創業200年ダ」
へー。
「だガ、万が一に不具合が出タ場合、人間界の職人や、まして医者にドウコウできル代物ではナイ。ソコで吾輩が人間界に逗留し、定期的に貴様を診てやろウというのダ」
そう言いながらボンダンスは私の鼻をコツコツとつつき、
「吾輩も未完成のまま作品を世に出してハ、芸術家としての矜持に傷がつク。故に人間界に来たのダ。でもなけれバ何が嬉しくテ、辺鄙な異世界なぞにわざわざ足を運ぶカ」
人様の世界をナチュラルにディスり、
「こうして創造主自ら、迷子の人形を訪ねて来てやっタわけダ。感謝の念に深く頭を垂れルが良いゾ」
そう決めつけた。
だけど、それは……
言い草はアレながら、実際、願ってもないことだ。
この先、私は家族を守るため、ひいては人間界のために、いつか戦いに身を投じるのなら。傷つき壊れても修理してもらえるなら、彼の申し出は千金に値する。
「本当か、Dr?」
「ククク……フハハ……フーハッハッハーア!」
硝子の目に期待を込めて見つめると、人形師は相好を崩した。
「そうダ、それダ。『人形姫』よ、貴様がこの創造主の前で取るベキは、その粛々と殊勝な態度であらねばならン!」
うふふ。創造主サマったら、とってもご満足そう♪
微笑を返しつつ私は、当然の懸念を押し殺している。いつか戦う時が来るなら、相手は『魔王』とその手の者だ。つまり時が満ちれば……
この男は敵になる。
そのことに、ボンダンスは思い至っていないのか。それとも、いざとなれば己の作品を従えることは、彼にとって造作もないのか……
いずれにせよ現段階は、人形師の提言に乗っといて損はない。お人形の仮面にオトナの打算を潜ませ、私はDrにカーテシーをしてみせた。