88.エピローグ→side:人間界
「え? フツウ朝ごはん時に帰ってくる?」
「だってちょっとでも長く一緒にいたいし」
「姫えー、オレもずっと一緒にいたいよー」
「すぐにアジもう一枚焼いちゃいますからねー」
『魔王』様、異世界単身赴任から、魔法陣経由の朝イチ一時帰宅。箸を片手に呆れ顔の絵里香、箸放り投げてハグしてくる慎太郎。
智香が笑いながら冷蔵庫から干物を取り出す。
2か月ぶりの帰宅だが、家族とはそんなもので、空白期間なんてなかったかのように私は私の位置へ収まる。まあそこはお父さんの場所ではなく、ドロシーちゃんの位置なんだけどもういいや別に。
しかし、やっぱりいいな。この距離感近いわちゃわちゃした感じ。
魔界では謁見する相手は5メートル先にいるし、食事もこーんな長いテーブルで孤独のグルメだし。
「また寝室がムダに広くてさ。先代の部屋を模様替えしてくれたんだけど、コレが吸血鬼のお嬢様かって趣味のインテリアで、そのくせ隙間風がひどくて」
「しかも魔界はメシが不味イ。久しぶりの味噌汁は沁みルだろウ」
「それなー。基本出汁の概念がないよね」
んー、いい匂い。見た目は人形でも、中の人は純日本人のおっさんだからね。醤油と味噌に禁断症状が出てくるんだ。
「魔法陣一本で帰れるんだから、もっとチョイチョイ戻りたいんだけど、タンゴが渋い顔するんだ。姫様ご不在では城の者に示しがつきませぬ~って」
「ハハ、アノご老人の言いそうなことダ」
「でしょー? あ、そうだ。醤油買って向こうに持って帰ろうかなー」
和やかな談笑。けど、そろそろツッコんどこうか。
「で、何でDrがフツーに我が家の団欒に混じっているワケ?」
私の質問に、魔界人はおしんこを箸で器用につまみ上げ、
「うム。ヤハリ朝ゴハンは和食に限るからナ」
「答えになってねえよ。アンタこそたまには魔界来て仕事しろ。ったく相変わらずの自由人だな」
呆れる私の前に、妻がアジの干物と嬉しい出汁巻き卵を置いてくれる。
「Drさん、このところ毎朝ウチに朝ごはん食べに来られるのよ」
「そうなの?」
「ドクター用の箸と茶碗もうあるよ」
「おおう」
まあ……私がなかなか戻って来れないから、Drなりに私の家族を気に掛けてくれているのか、な?
「ム、しんこがよく漬かっておるナ。奥方、ライスのお代わりを所望すル」
いや、ただ食いたくて来てるだけだな。
Drから茶碗を受け取り、ごはんをよそいながら、
「それで近頃じゃ、絵里ちゃんも早起きして朝ごはんの支度をお手伝いしてくれるんですよ。今朝のお味噌汁も、絵里ちゃんお手製です」
妻が聞き捨てならんことを言った。見ると娘がジト目赤い頬で見返してくる。
「……何?」
「……別に?」
娘と父親の間で、空気がヒリつく。むう……娘の手料理か。誰よりも真っ先に、パパが食べたかったんだけどなー。
当のDrは空気なんか読まずに、
「うム、エリカの作る味噌汁は旨イ。毎日飲んでモ良いくらいダ」
両手でお椀をずずっと啜り、テーブルにことんと置いて言う。
「エリカ。コレからも吾輩に、毎朝味噌汁を作ってくれないカ?」
ガチャン、慎太郎が食器を鳴らした。
「う、うええ?」
絵里香が声にならない呻きを発する。おま、Dr、意味わかって言ってる? そりゃ私よりひとつ二つ前の世代の表現だけど、それって、そーゆーことよ? わかる奴はわかるよ? おとーさん許しま……うーむ。
この先、人間界と魔界の交流が進んでいくのなら。
人が魔界人やマモノビトを選び、選ばれる。魔界の騎士が自由に伴侶を選べるようになるように、そういう選択肢だって、あるのだということか。
『魔王』手帳に書きつけることが増えた。選択肢が豊かになることは、二つの世界にとっていいことなのだろうな。絵里香とDrがどうこうというのは、また話が別だけどな。
表面上、食卓に平穏が戻る。
「ソウソウ、仕事しロと言えばナ」
もうあんま口開かないでくれねえかな。
「この前ブラックローズに穴を開けてみタ」
「食事中だぞ、Dr」
話題のチョイス。“空間転移”でキッチンから布巾を取り、口中のものを同時に噴いた絵里香と慎太郎に手渡す。
Drは平然としたもので、
「吾輩、今度は魔法人形の胴内に魔導式保育器を搭載できンかと、再設計に取り組んデおってナ」
「またエライ話だな」
「エネルギー生成機構との、スペースの兼ね合いが課題ダ」
「そうか。何のための研究かよくわからんけど」
流し気味に、出汁巻きを口に運びつつ相槌を打つ。
Drは箸と茶碗を置き、怪気炎を上げた。
「考えテもみロ。魔法人形に子を育む機能を持たせられれバ、ソレはもはや“魔導器”ではなク、ひとつの“種族”だろウ。“種の創造”を以っテ吾輩の偉大なル研究は完成を迎えルのダ! フーハッハッハーア!」
へえ。あ、ホントおしんこ美味しいや。
「いずレは魔法人形が、本当の意味で人と“家族”になル時が来るだろウ」
そりゃ良かった。
本当、意味がわからな……
ハッと顔を上げる、と、合いたくない奴とバッチリ目が合った。
「姫……」
90°顔を背けると、また合いたくない奴と目が合う。
「選択肢が広がルと思わンかネ、人形姫?」
思わない、全然少しも、いっこも思わない。
“全身転移”で食卓を離れ、ソファに脱ぎ捨ててた黒外套を取る。箸を置く音に薄紫の横目をやる。
「ついてくる、散歩?」
「行く」
息子の即答に肩をすくめ、テーブルのみなに手を上げて振る。
妻はニコニコ、娘はニヤニヤと手を振り返す。
フードを被って、まとわりつく犬みたいなのをいなしながら、玄関へ。
「なあ姫。さっきの話さ、大きな問題が解決しそうな気が」
「しない。もっと手前に、根本的な問題がある」
「でもさ、オレと姫が本当の意味で家族になれるのなら」
「お前が生まれた時から、正真正銘私とお前は家族だ」
いい加減にしないと、姫陛下の手ぇ伸ばして奥歯ガタガタいわせんぞ?
「私はパパなんだよ。そこんとこ履き違えんな」
後ろから絵里香が叫ぶ。
「お前がママになるんだよ!」
蹴つまづく。娘よ、さすがに引くわ。
玄関で、革靴の先トントン。私は、私の世界への扉を開き、私の家族に声を掛ける。この姿になる前から、ずっと変わらない言葉だ。
「じゃ、行ってくるよ」
**********
カラン、頭の遥か上でドアベルが鳴る。
すっかり行きつけになったカフェ。お馴染みの店員さんが、お馴染の笑顔で迎えてくれる。
「あ、いらっしゃいませー。お久しぶりですね」
カウンターから店長の会釈。
「ご注文は?」
店員さんがメニューを広げる前に、
「「チョコレートパフェを二つ」」
声合わせんなって。店員さん笑ってるだろ。
「うふふ、相変わらず仲のお宜しいことで」
ほらあ。変な感じになるう。
「お兄ちゃん、チョコパ二丁っ!」
「店では店長って呼べっつってるだろ」
息子と対面でパフェを突きつつ、他愛もない話をする。
「でさ、オレ、大学出た後は魔界で就職するのもアリかなーって」
「魔界は肉体的にキツい仕事多いぞ? とりあえず在学中に、魔法系の資格は何かしら取っとけよ」
「『魔王』のコネでいい仕事は」
「そういう公私混同はしませんー」
日常にいつしか非日常が溶け込み、それも不可分の日常になっていく。
窓の外を、ミノタウロスとオークのカップルが仲睦まじく行き過ぎていく。
パフェグラスの中のバニラとチョコのアイスのように、二つの世界は混ざり合って、新しい色で明日を描き始めている。
休日の『魔王』は、そんな世界と目の前の少年を愛おしいと思う。
おとーさん的な意味でね。
「なあ、姫。オレ今の二人がさー、ケンタッキーにいるとこ見たら笑い堪える自信ねえよ」
「ぶふっ! こ、こら慎太郎失礼だぞ……ぷふう」
**********
あの日まで。
私はどこにでもいる平凡なサラリーマンだった。
あの日私は魔法人形になり、それから僅かひと月とちょっとで『魔王』になった。明日のことは誰にもわからない。それでも誰にだって、明日に手を伸ばすことはできる。だから顔を上げて、前を向いて歩いていくしかないんだ。ケ・セラ・セラ、きっとなるようになるし……
なるようにしかならない。
私は『人形姫』。
私は『魔王』ベアトリーチェ・アルカネット・ドロシーローズ。
これから先もいろいろなことがあるだろうけど、私にまつわる物語はひとまず幕としよう。次にお会いする時は、カラダにまた何らかの改良が施されてるかもだけど、たぶん私は元気です。
それまでみなさんもお元気で。またね――……
**********
とある街。駅前の繁華街、路地裏の奥に、都会の真ん中から忘れ去れたような空き地があった。そこではかつて人知れず、マモノビト同士が、或いはマモノビトと魔界の剣士が戦ったことがあったかもしれない。
そんな場所で、ビル風の中から、男が一人忽然と姿を現わした。男は四角く切り取られた曇り空を見上げ、薄く笑う。
「……――こちらの世界にも、冷たい風は吹いている――……」
そう呟くと、
「いずれ、また会おう」
男は街に出て、雑踏に溶けて消えた。
END.




