82.最後に望んだ場所
『人形姫』の殺意が逸れ、腰を抜かしていた『魔王』の老臣、タンゴ=ポルカがそろそろと立ち上がった。
私は慎太郎の腕をそっと振り解く。
「ぬうう……よもや、よもや『魔王』陛下が討たれようとは……!」
疲弊を振り切って地面を踏みしめて立つ。大丈夫、まだ立っていられる。
「斯くなる上は是非もなし、全『魔王』軍!」
暫定最高責任者の号令に、三将が起立、兵士達も立ち上がる。私は感情のグルグルを、大きな深呼吸で吐き出す。
よし、来いよ。
まだやろうってのなら、私がお前らもっかい一人ずつ、殴って、殴って、殴り倒してやんよ、殺さない程度にな!
「新たな『魔王』陛下の誕生じゃあ! 皆の者、敬礼ッ!」
「おお! 新『魔王』陛下万歳ッ!」
「バンザーイ!」「バンザーイ!」
え……ああ、え? お、おう。そーきた。
その“新『魔王』陛下”とやらはもしかしなくても、私か?
政治屋の変わり身エゲツないな。前『魔王』陛下、そこに転がってますけど。困惑する私の前に、『魔王』軍1000の軍勢が改めて膝をつく。え、マジでこのまま私が新『魔王』戴冠ってこと?
魔剣士ジルバが私に敬礼し、兜を脱いでニッと笑った。
「なるほど。お前が俺のモノになるのではなく、俺がお前のモノになったか。思いもしない面白い結末になったな」
お前はそれでいいのかもしれないけど。
「人形ちゃん、いえ新『魔王』様。MNBのサイン宜しくねー♪」
「……チッ」
魔女さん、その件はいいけど、獣王ちゃんの忠誠心低そうなんでフォローお願い。今その子舌打ちしたからね、新『魔王』様に。
「姐さんー、とうとう『魔王』っスかー!」
「ドロシーちゃん、おめでとう、お疲れえ!」
不良3人組、野田の奥様、マモノビト勢も雪崩れ込んできて、グダグダに戦争終結、人間界と魔界の和平、両陣営ともにお祭りムード。これは……ハッピーエンドルートって解釈でいいの?
西九条さんが黒竜フォックストロットを肩で助け起こして支え、ニコニコ笑って見てる。
野田の巨人奥さんにひょいと担ぎ上げられ、人形の小さなカラダがマモノビトと『魔王』軍の間を胴上げで運ばれている途中で。不意に。
プツッ。自分の内側で、“糸”の切れる音を聞いた。
あーね……まあ、そうキレイにハッピーエンドにはならないか。
この感じ。初めてジルバにやられた時に似てる。魔法人形のカラダをつなぐ精神の糸が切れて、眠りに落ちそうなこの感じ。
自分が、バラバラになりそうな、この感じ……
“全身転移”で胴上げから逃れ、私は今一番いたい場所、いるべき場所……最後にいなくちゃならない場所、子ども達の傍にカラダを落とした。
膝に力が入らず、ぺたんと尻もちをつく。
「姫っ! 大丈夫、姫?」
「おどーさん、おどーさんホントすごいぃ」
慎太郎と絵里香が両側から抱き起してくれる。
ああ、良かった。私はひとつ命を奪って、贖えない罪を背負ったけど、お前達のその笑顔を守れたなら良かったと、心から言えるよ。
ヒトをマモノに変えた『魔王』の魔法。それが“終わった魔法”でなかったら、術者を殺した私の身に何が起きるのか。
この眠気の意味するところは、わからない。少し眠って、目を覚まし、また新しい明日が始まるのかもしれない。
そうじゃないのかもしれない。
だから私は、慎太郎の泣き笑いをぐいっと引き寄せて、
「え……?」
「これは、おとーさんじゃなく、“姫”からだ」
「わあ……」
その口に、冷たい陶器の唇を押し当てた。
慎太郎の呆気に取られた顔、絵里香の見開く目、それも、視界にぼんやりと溶けてきた。
「……疲れた。慎太郎、絵里香、私は少し眠るよ……」
「えっ、姫? ……姫?」
「おとーさん……?」
抗えない睡魔。人形は瞳を閉ざさないまま、遠ざかるこの世界の全てを惜しみながら、自分が最後にいたい場所へと手を伸ばした――……
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コトン。
物音に見ると、リビングの床に人形の手が落ちていた。テレビ画面の向こうで、娘と息子に抱かれていたドロシーちゃんが、ふと空に手を差し上げた直後のことだった。
ソファから腰を上げ、人形の手を拾い上げる。真っ白な陶器の、球体関節でつながった、精巧に拵えられた子どもの大きさの手。これがここにあること、あの人がこれを送り届けてきたことの意味を、信じたくはなかった。
「……お帰りなさい、大治郎さん」
安治川智香は人形の手を胸に押しつけ。これが夫の最後の帰宅である予感に、嗚咽、号泣に床に崩れた。
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「……――姫?」
手首を“跳”ばした腕を、地面に落とす。空間を隔てたその先に、温もりと滴る水滴を感じた。済まない、そう口の中で呟き……
魔法人形は、完全にその機能を停止した。




