04.『人形』の居場所
「……――私が話せるのは、これくらいだ」
そう言って、私は『魔王』関連のニュース、テレビの画面が同じ内容を繰り返すのに硝子玉の目をやった。
ここはリビングのテーブル。隣に妻の智香、向かいに絵里香と慎太郎の子ども達二人。
おっとりとした性格の妻、智香。絵里香は母親似で小柄だが、どちらかといえば無口で、顔立ちにやや気がキツそうなところがある。弟の慎太郎は対照的に騒々しい、いかにも今時の高校生男子だ。そして……
ベランダに面したガラス戸に映る家族の肖像の、父親のいるべき場所に、あるのは銀色の髪の少女人形。
「その……こんな姿になってしまったが、今のところ私は“私”だ。お前達のことを忘れていないし、人格や記憶もそのままだ……と思う」
最後のところを、私は断言することができなかった。
木琴を叩くような甲高い声に、我ながら嘘臭さが拭えない。
私が家族に話せたことと、報道の内容に大差はない。多少の主観があるだけで、自分に何が起こったのかワケがわからないんだ。
『魔王』が私に何をしたのか、私はどうなったのか。『魔王』の尖兵にされたのなら、『魔王』が再び現れた時、私はどうなるのか。
その時が来れば、私は『魔王』に身も心も支配されてしまうのかもしれない。そうなれば目の前にいるのが、家族だとわからなくなり、この陶器の手で――……
ぞくっ、作り物のカラダにさえ怖気が走る。あまりにイヤな想像を振り払い、窓の鏡像から実像に目を戻せば、妻と子ども達はただ私を見つめている。さっきから言葉を発しているのは私だけだ。
無理もない。理解も感情も追いつかないだろう。私だってそうだ。夫が、父親が化け物になって帰宅したのだから。
私は、自分にできる限り現状に考えを巡らせる。
私が自我を保つことができて、最悪の事態を避けられたとして。現実的な問題、“魔物になった人々”は何になる? そう、恐怖の対象になる。
人類の敵対者、『魔王』の僕にされた私達。我々が人の心を保てていたとしても、恐怖と不信、偏見、嫌悪からの憎悪を向けられることは想像に難くない。おそらく、その家族も同様に……
きっと。私だって人間のままであれば、そうだっただろう。
私は、もう人間ではないのだ。
望むと望まざると、もう人間の“敵”なのだ。
ならば、夫として父として、私がすべきことは――……
「私はここにいない方がいいだろう」
私は苦断の思いを家族に告げた。
血の通わない人形にも心があるのがツラい。だが、人の心を残して、血を流す思いで口にしなければならないことがある。
「私は、いつか『魔王』に操られ、目の前にいるお前達を手に掛けてしまうかもしれない。そうでなくても、モンスターになった私が家族にいるお前達に、世間が向ける目は厳しいだろう」
「私は、人間ではなくなったらしい。私の存在は、傍にいるだけでお前達を不幸にする。私は家族を巻き込みたくはない」
「私はこの家を出ようと思う。私は化け物だ、もうお前達とはいられない。だけど……ふふふ、こんなオヤジが臭いことを言うと笑わないでくれよ?」
「父さんは、どこにいてどうなろうと、お前達を大切に思っているよ」
家族は、ただ黙って私を見ている。言うべきことは言った。伝えたい思いは伝わったかな。だったら、それで救われる。これから私は独り、先の見えない運命が待ち受けているのだとしても――……
ガタン。椅子を鳴らして慎太郎が立ち上がった。
テーブルを回り込み、私の傍らに立つ。ああ、背が伸びたな。この背丈だと一層に感じるけど、本当に大きくなった。私が帰宅した時の振る舞いも、父さんが誇らしく思うくらい立派だった。できればお前を、絵里香のことも、もう少し傍で見ていたかったな。
息子は身を屈め、薄気味悪いだろう私の陶器の頬に、そっと手を触れてきた。
「や。どーでもいいけど、父さんめっちゃカワイイな」
「……は?」
……はい? 予想の遥か彼方からの息子の発言に、私はしばし思考停止した。固まった等身大ビスクドールの頬に手を当てながら、息子は母と姉を振り返る。
「な? コレめっちゃ可愛くね?」
「確かに……可愛い」
「そうねえ、お父さん厳つかったものね~。うふふ、これだとあなた達、叱られてもあんまり怖くないわね~」
娘がボソリと呟き、妻が口に手を当てて笑った。
ちょ……待って。本当に一回待って。
えーと、君達アレかな、お父さんの話をちゃんと聞いていたかな? て言うか慎太郎、お前またお父さんをコレ呼ばわりしたな?
窓に映る己の姿を、今一度よく見てみる。『魔王』に呪われた魔物、生ける人形、無機物のモンスター。そういうマイナスのイメージを、横に置いてみると……
小学生低学年くらいの背丈と体格。作り物のような、って実際作り物の整えられた顔立ち。透けるほど白い陶器の肌。白に一滴に墨を垂らした白銀のおかっぱ頭。透明に近い薄紫の硝子の瞳。そんな造形を包む、魔法使い的な黒装束。
うーん……造形だけに限れば“可愛い”にカテゴライズしていいのかもしれないな、そもそもお人形さんなんだし。ちょっとデカいけど。
だが待て、お前達。
これは『魔王』に与えられた魔物としての姿で、中の人は46のオッサンで、しかも最重要なことにお前らの夫でお父さんだよ?
「いや、お前達、私の言ったことが……頭を撫でるな、慎太郎……言ったことがちゃんとわかっているのか?」
髪をわしわしとする息子の手から逃れ、私は深刻な表情を作り直し、思いをもう一度家族へと言葉にし直す。
「いいか。私は化け物になってしまったんだ。私が一緒にいれば、きっとお前達に危害が及ぶ。だから私はお前達の傍を離れて」
「そんなことよりさあ」
そんなこと? 父の悲壮な決意を、そんなこと?
「名前は何ていうの?」
「……安治川大治郎だ」
ムッとする方の意味で憮然とすると、
「えー、似合わないよ」
そう言われても、親のくれた名前だ。
「そーだなー……こう、シャルロッテとか、レムたんとか」
“たん”? 四十路のおっさんに“たん”?
すると妻が横から口を挟む。
「逆に、古風で和風な名前の方が可愛いんじゃないかしら?」
「おっ、母さん例えば?」
「そうねえ……桜子ちゃんとか?」
それだけはイヤだ。何となく。
と、さっきから黙っていた絵里香が、ぽそっと呟いた。
「……ベアトリーチェ・アルカネット・ドロシーローズ」
長っ。
え、何それ今考えたの? て言うか、大きくなった最近あんまり会話もなくなっていたけど、お前って中二病な子だったの?
姉の提案に慎太郎が乗った。
「いいじゃん、かっけえ。それにしようぜ」
「……(ニヤリ)」
満足げな絵里香から、慎太郎は私を振り返る。
「よろしくな、ベアトリーチェ・アルカネット・ドロシーローズちゃん。オレのことは“お兄ちゃん”って呼んでくれよ」
「“息子”だ、お前は」
ツッコむ私に、妻がにこにこと微笑む。
「可愛いお名前つけてもらってよかったわねえ、ドロシーちゃん」
「気に入った、ベア子?」
「けど長えからオレは姫って呼ぶよ」
統一しろ。って、姫って何だ?
いや、私に名前をつける、それはつまり……
「一緒に、いろと?」
状況に困惑する私を、家族達は温かい目で見守っている。私はガタッと椅子を立ち、慎太郎の手をすり抜け、テーブルから離れて向き直る。可愛いお名前もらって喜んでいる場合ではないのだ。
「話ちゃんと聞いてたか? 私がここにいては、お前達に危険が及ぶんだ。それをどうして……」
「可愛いから」
「可愛いから」
「可愛いから」
神様。いや『魔王』様。私の家族はどうやらアホです。
そして私は今日あのフレーズの意味を、『言葉』でななく『心』で理解できた。“可愛いは正義”の意味を。
遠い目になる少女人形に、
「なあ、父さん」
慎太郎が少し真面目な顔になって言った。
「出てくなんて言うなよ。どうしてって、当然じゃん? 父さんがどんな姿になったってさ」
「父さんは父さん、家族だろ」
「……――!」
胸に突き刺さった言葉で、言葉にならない私に、妻が、娘が頷く。
私は無意識にうつむいていた。まあ、誤魔化すまでもなく、人形は泣けない。涙が流れない。だけど、涙は出なくとも、この時私は確かに泣いていた。
「すまん、すまない……いや……ありがとう……」
「その姿、元よりずっといいしね!」
「うん。ずっといい」
子ども達ェ……
出ない涙も引っ込んだ私。妻が子どもらをたしなめる。
「二人とも。お父さんだって、若い頃は素敵だったのよー」
智香……
「そりゃあ、最近はお腹も出てきたし、おでこも年々後退を……」
智香あ……
多少腑に落ちない思いもあるが、さっきの慎太郎の言葉、智香と絵里香の気持ちに偽りはないのだろう。
ここにはまだ、人形の居場所がある。
そう甘んじることがどんな結果を、未来を招くかは闇の中だ。
だがどんな未来が襲おうとも、私は家族を、居場所を守ると心に誓う。この作り物の手で……この作り物の手を……
私の家族を傷つけることには、『魔王』だろうと使わせはしない。
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こうしてこの日。この世界から“安治川大治郎”という男が消えた。
後に残されたは、“ベアトリーチェ・アルカネット・ドロシーローズ”という奇妙な人形。だが人形の中には、消えた男の思いが確かに遺されていた。




