30.死闘
艶のない、光を呑む込む黒甲冑に総身を包み。無数の傷を刀身に刻み、その数だけ死と破壊を与えてきたのだろう大剣を手に。
剣士の放つ静かな殺気が、人形の白い肌を焼く。
ずっ――……私の腕から刃が引き抜かれた。
魔法人形の身の丈もある大剣だ。刀身は鉄板のように武骨で厚い。剣というにはあまりに大き過ぎる、大きく分厚く……と、有名な創作上の武器を髣髴とさせる。
剣士は巨漢という体躯でもないのに、片手、手首を返しただけでその超重量級の得物を軽々と御した。
騎士が砲弾型の兜の内から、独り口のような口振りで話し掛けてきた。
「陛下の御業によりあの男の人形が1体、こちらに流れ出たと聞いた」
陛下、とは『魔王』、あの男とはDrのことだろう。やはり見たまんま、黒騎士は『魔王』配下の者なのだ。
「あの男、性格はアレだが腕は確かだ。奴をして最高傑作と言わしめる人形、どれほどのものかひと目見たくて来た」
騎士の威圧が増した。この男の関心≒殺意らしい。
Dr、仲間からもアレ扱いされてる……いや、今それはどうでもいい。
ここで出会ったのは偶然ではない。最初から『人形姫』が狙いなんだ。
眉庇に隠れているが、値踏みをする視線を感じる。
「使えるようなら俺の配下に置くのもいい」
剣士が小さく笑った。
「こういうものは早い者勝ちだ」
用向きはつまり敵情視察、いや威力偵察か。で、あわよくばスカウト。
「さ、お前の力を俺に見せろ」
それもかなり強引なやつだ。
「参るぞ、“人形”――……」
言うや魔剣士はひと息に間合いを詰めた。大剣を掬い上げる。
「お父さん!」
どこかから聞こえる悲鳴。
いや、避けられるかこんなもん。後先は考えず、私は地面にカラダを投げ出す。突風と唸りが脇を抜ける。クラロリは裂かれたが、身には届いていない。
仰向けに転がった、時には既に、騎士の剣は天を指して静止している。
「何だ。もう終わりか」
動けない私に、大剣が無慈悲に振り下ろされる。
その刀身を、人形の左拳が横様に殴りつけた。
がぃん! とんでもなく硬く重い物を叩いた反動が、空間を隔てて、肩に伝わってくる。
それでも“空間転移”の一発は、大剣の軌跡を僅かながら逸らした。頬を紙一重に断頭台の肉厚の刃が落ちてきて、地面を砕く。出るカラダなら、背中にどっばあっと冷や汗が噴き出たところだ。
「面白い。そんな能力もできるのか」
魔剣士は冷然としているが、それでも地を穿った剣は一瞬止まる。
「ああ、こんな攻撃もできるぞ」
人形の右の方の腕は、剣士の兜へと真っ直ぐに突きつけられている。
“空間転移”、私にとって間合いは常にゼロ距離。
今度は、お前が避けられない番だ。
が。拳を“跳”ばしたと同時に、騎士はすっと眼前に手をやった。空間を突き破った一撃は、いともたやすくつかみ捕られる。
「く……」
「そう真っ直ぐ的を視るモノではない。狙いを教えているも同じだ」
鎧手袋に握られた拳に、じわり、力が加わる。
「いかに速い矢も、来る位置がわかれば防ぐのは容易……む?」
余裕を見せていた剣士の、声色が変わった。
「人形、脚をどうした?」
剣士が見下ろすクラロリのスカート。右半分がふくらみをなくしてペッタンコ。大した注意力だけど、人形の右脚は、付け根から既に“跳”んでいる。
生足サービス、くの字に曲げた膝の裏で、剣士の膝を背後から巻き叩く。超変則のブーメラン大内刈りだ。
「ぬっ……!」
さしもの黒騎士も、これにはバランスを奪われた。
その貴重な一瞬に、パーツを呼び戻して“全身移動”。空中で体勢を立て直し、反撃への態勢を取るべく、もう一度背後へと“跳躍”する――……
「動きが直線的だと、言っただろう?」
移動した先で、背後から声がした。ゾッと振り向いた硝子の目に映る、待ち構える大剣の閃き。
背中に炸裂する衝撃、地面に叩きつけられた人形のカラダは大きく跳ね、
「いやあっ! お父さんっ!」
二度目の着地で動かなくなった。
仰向けに、ビルに切り取られた四角い空を見上げる。動けない。作り物のカラダは痛覚はなくとも、ダメージは刻まれ、私の意思に従わない。
私は……所詮、平凡なサラリーマンだ。
本物の戦士の前では赤子も、いや、お人形さん同然だった。騎士は私の思惑を完全に読んで、膝を崩されてなお、二度の“転移”を悠々と追い抜いた。
敵わない。初めから敵う道理がなかった……
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ざ、ざ、ざ……足音は死刑宣告となって耳に届く。魔剣士の姿が、私の見上げる視界に侵入してくる。
声も出ない私を、騎士もしばし無言で見下ろす。そして騎士は鉄靴の爪先を私の顎に当て、ぐいと視線を向き合わせた。
「悪くない」
その声は、可愛いお人形さんシバき回した後とは思えないくらい平然と、
「動けんか。だが、今の一撃で胴を二つにできんとは、ククク……傷ついたのはむしろ俺のプライドかもしれんぞ?」
どことなく上機嫌まである。
「戦い方はまるで素人だ。だが能力はある。一度は俺の隙を突いたのだから存外胆も据わっている。仕込めばいい兵になるだろう」
眉庇の下から強い視線が放たれた。
「拾い物だ。気に入った。人形、俺の配下となれ」
過分な評価だが、人の顎を靴で上げて言うお言葉ではないだろ。
私は唯一動かせる硝子の目で剣士を見上げ、声を絞り出す。
「拾うな、捨てておいてくれ……」
「ならん。他の軍団長にくれてやるには惜しい」
お前らの組織図なんか知るもんか。
「お断りだ……マモノの仲間になんか、なるか……」
そう吐き出すと、黒騎士は私の顔から靴を引いた。
「そうか」
次の瞬間、鉄靴が容赦なく人形の薄い胸を踏みつけた。
「ぐ……!」
「ならば戦い方より先に口の利き方を教えてやろう」
そして――……
私の人生で、最悪の数分間が始まった。




