03.『人形』と家族
街は混乱の渦中にあった。
あちらに一人、こちらに一人と、ヒトではないモノに変わりゆく人達が倒れている。私のように、意識を取り戻した者もいるようだ。
そして、“私達”から逃れようと恐慌に陥っている人々。無理もない、ゴブリンにオーク、獣人。私も若い頃はよく親しんだゲーム世界の住人、“モンスター”が現実に現れたのだから。
『魔王』は直接的に攻撃したわけではなかったが、交通事故を皮切りに、街ではトラブルが連鎖しているようだ。不穏な音が継続的に耳に届く。
私はローブのフードを目深に被った。幸い……不幸中のだが……なことに私の姿は顔さえ隠せば、ぱっと見は人間の子どもだ。混乱を横目に見つつ足早にすり抜けていく。急ぐ。
言うまでもなく、家族の下へ。モンスターに襲われてはいないか。まさか家族の誰かがモンスターになってはいないか。
「……無事でいてくれ」
耳慣れない、鈴のような祈りが自分の口から洩れる。
そうしながら、考える。
さっきからモンスター、モンスターって繰り返しているが、まさしく私がそれそのものなのだ。怪物化した人々は、私のように人としての意識や記憶を持ったままなのか? それとも……?
それと、このファンタジーな衣装は何だ? 元々来ていたポロシャツにチノパンの、私のおじさんルックはどこいった?
こういうのが、魔界だかの一般的なファッションなんだろうか?
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私が家族と暮らす住宅街は、駅前とは違い、一見平穏な日常のままのようだった。が、どこか落ち着きのない気配がある。ここでも、魔物に変えられた人はいるのかもしれない。
だとすれば、惨劇は休日の夕刻、家族の目の前で起きたことになる。
そうして私は我が家の下にたどり着き、しばし立ち尽くした。
もちろん一刻も早く妻と子ども達の無事を確かめたい、が。こんな姿に、怪物になった私を見て家族がどんな反応をするか。そう考えるとどうしても二の足を踏む。
こんな人形、不気味な魔物の姿は、恐怖を与えるものでしかない。お父さんだと言って信じてもらえるかどうか。おっとりした妻など、倒れてしまわないか。
……それでも。
私は意を決し、ぎくしゃくと足を前に出す。妻と子の無事な姿をひと目見て、私の身に起きたことを伝える。それが今私のすべきこと。
その後のことは、後のことだ。
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ドアの前でポケットの鍵を……はいてたズボンごと失くしていることに気づいた。しかたない、チャイムに手を伸ばす。陶器の指でボタンを押すと、ひどく無機質な感触がした。
ぴーんぽーん♪
少し間があって、
「はーい」
妻の返事とスリッパの音が小走りに近づいてくる。ガチャッとドアを開いた妻は、
「あら。あなたどちらのお嬢さん? 絵里香か慎太郎のお友達かしら?」
共用部廊下に立つ“小さな子ども”に微笑み掛けたが……
「智香、私だ」
そう名を呼び、そっとフードを後ろに落とすと、そこにある作り物の顔を見た妻の目が驚愕と恐怖に染まった。
「ひっ……きゃああああっ?!」
腰を抜かし、へたんと玄関に尻をついた妻。その反応は、覚悟してきたつもりだったが、ツラい。
と、玄関すぐ横のドアがバタン!と開いた。
妻は怯えながら振り返り、叫ぶ。
「来ちゃダメ、慎ちゃん! お、お化けよ!」
お化けってか。廊下に飛び出した息子の慎太郎が、探るような目で、私を見つめている。何と声を掛ければいいのか、私は声が出ない。
先に口を開いたのは息子だった。
「ひょっとして……父さん?」
今度はこちらが驚く番だった。この姿だぞ? 人形、モンスターだぞ?
「わ、わかるのか……?」
唖然として問い返すと、
「いや、わからないよ。けど、今ニュースで……ってか、えっと、とりあえず中入った方が良くない?」
「あ、ああ」
この場で一番しっかりしている息子に促され、まだ真っ青な妻とはなるべく距離を置いて、出掛ける前とはすっかり見え方も変わってしまった我が家の玄関に入った少女人形は、後ろ手にドアを閉めた。
そのままどうしたものか、立ち惚けていると、慎太郎が話を継いだ。
「ニュースで……よくわかんないけど『魔王』が現れて、何か人を魔物に変えたってやってて。みんな父さん心配してたんだ。そんで、母さんが『お化け』って叫んだの、それって魔物に変えられた父さんが帰って来たんじゃないかって。
だって、そんないきなりピンポイントでウチが襲われるとか、オレなろう主人公じゃねーし、そんな超展開ありえねーし」
なろう? 超展開? 後半はよくわからないけど、そこはさておき、こんな時だけど私はぐっと胸が熱くなった。
慎太郎、まだまだ子どもだと思っていたが、男の子はいつの間にかしっかり成長しているものだ。案外頭の回転が早いじゃないか、学校の成績が残念な割には。
父さん、すごく嬉しいよ。
それと。
この子の世代はゲームやアニメに親しんでいて、下手な大人より、こんな事態も比較的柔軟に受け止める下地があるんだろうな。なら「勉強もせずに」と小言を呈してたそれらに、ちょっとは感謝すべきかもしれない。
「けど、その姿は予想の斜め上だぜ?」
「だろうな。私自身信じられん」
父と息子、微かに笑い合う。何というか、モンスターになるとしてももっとスタンダードな種族というものがあると思う。おっさんが少女人形って、性別からして変わってもうとるがな。
「え……何……?」
息子に続いてリビングから出てきた娘の絵里香も、私を見てぎょっと足を止める。姉を振り返って慎太郎は、
「大丈夫、ねーちゃん。コレ、父さんだよ」
「は? お、おとーさん?」
頼もしく頷いてみせた。
「父さん、とにかく上がって説明してくれよ」
「わかった。私にも、上手く説明できる自信はないが」
唖然とする娘から、まだへたり込んだままの妻に目をやる。
「あなた……なのですか?」
「ああ、そうだ。智香、自分でも信じられないのだが」
彼女の目に驚きは消えないが、怖れは幾分か薄れたようだ。私はまた息子に感謝を新たにする。少し躊躇いつつ手を差し出すと、妻も一瞬躊躇って、それでも冷たい陶器の手を取って立ち上がった。
「その笑い方……信じられないけれど、あなたですのね」
「笑い方? 何か変だったかな?」
「そうじゃありませんよ。もう、何年連れ添ってると思っているんです」
「?? ……ああ」
懸命に浮かべてくれた妻の笑みは、馴染み深く懐かしく、私は彼女の言っている意味が理解できた。
「お帰りなさい、大治郎さん。大変でしたね」
「うん……ただいま。それと、ありがとう」
私は……こんな姿になっても、家族は……
もし人形に、この目が硝子玉になっていなかったら、たぶん不甲斐なくも涙を抑えられていなかっただろうな。
ところでそれはそれとして……
さっき私、実の息子に“コレ”呼ばわりされなかったかな?




