29.危機が去って
さて、娘のパパラヴに喜んでばかりもいられない。
私はへたり込んだ三匹を見下ろす位置に立った。
「お前達はマモノビトか? それとも『魔王』の配下か?」
ゴブリンは鼻を押さえ、鳥人間はぼんやりと頭を振っている。初っ端に倒された人狼だけが口を利けて、
「あ、いえ、マモノビトっす……」
「そのマモノビトが、娘を攫ってどうするつもりだった? 乱暴しようとしたか? まさか取って食う気ではなかっただろうが」
これを聞いて絵里香はビクッ、三人組はギョッとした顔になる。
狼男は腹を押さえつつ、
「や、違うっス! 俺ら、ちょっと悪ふざけで女の子怖がらせて遊ぼうっつって、マジでヤベーことするつもりは……本当っス!」
しどろもどろの弁解に、後ろの二人もぶんぶん首を縦に振る。
……まあ、そんなとこなのは知ってた。
三人組の恰好は、Tシャツ柄シャツにジーンズ短パン……鳥頭は翼が邪魔になるのだろう、上半身は着ていない。服装から慎太郎とどっこいくらいの年齢かと見当はつく。さすがにユニクロ着こなす魔界出身者もまだいないだろう。
それに“転移”で近づいた時、怯えていた絵里香の耳には入らなかったかもだが、私には連中の会話が聞こえていた。
「マジかよ、あいつガチで拉致ってきた」
「ヤベエw 俺ケーサツ沙汰とかマジ勘弁だぞ」
つまるところ、そこまでオラついてもいない悪ふざけ小僧達。モノの弾みでしでかしましたー、ってのが実際のとこなんだろう。
ったく、くだらないことを。
内心は呆れながら、硝子の目とオルゴールの声に冷ややかさを消さない。
「絵里……私のマスターを狙ったのは何故だ?」
狼男が仲間をチラチラ窺い、首を縮める。
「その……可愛かったし、派手なカッコで目立ってたんで……」
絵里香に目をやると、複雑そうな顔をしている。
オジサン、派手なカッコをしてると痴漢に狙われるぞ、などと前時代的なしょーもないことを言うつもりは毛頭ない。
けど、悪目立ちというものは実際あるんだなーと、クラシックロリータに身を包むお人形さんは思いました、とさ。それと、私の娘を可愛いと評価したことは、まあ当然のことだが、評価してやろう。
と、狼男が出し抜けに地べたに正座して、ガバッと手を突いた。ゴブリンと鳥頭も慌てて右に倣う。
「サ、サーセンしたあ! まさかそちらの彼女が、すっげえ魔法使いサンとは思いもしなくて!」
「うん?」
えーと……あーね。
そこのそれっぽい格好の女の子が、魔法使いで、使い魔の私を使役して懲らしめられたと、そーゆー理解に至ったと。
私はため息をひとつ、
「いてっ!」
バカ達に“空間転移”で順にデコピンを食わせた。
「強い相手に絡んだのがいけなかった、そうじゃない」
額を押さえる三人に、
「もし攫ったのがフツウの女の子だったら、お前達、引き際を誤って取り返しのつかないことをしでかさなかったって言える?」
そう問うと、小僧達はハッと顔を見合わせた。
「選んだのが私のマスターで、運が良かったと思いなさい」
「……ハイ。マジサーセンでした……」
まあ、それなりに反省したように見える。
「もういいわ。行きなさい」
謝る時はちゃんとした言葉を使え、とまで叱ってやる義理はない。
不良マモノビト達はあたふた立ち上がり、すくめるよう絵里香に頭を下げて、ばらばらっと走り出す。
「ちょっと待ちなさい」
三人が路地に駆け込む直前を待って、私は後ろから声を掛けた。
ギクッと振り向いた人狼の目の前に、人形の切り離された手首。一人ずつ鼻をつままれる。
「今回は見逃してあげる。けど、お前達の匂いは覚えた。次にこんなことしたら」
遠く離れた人形の首がゆっくり一回転する、と思った次の瞬間、宙に浮かぶ手の上に頭がゴロリと転がった。
「こうなって、もらうからネ?」
首だけ人形がはっきり口を動かしてそう告げ、ニイッと嗤う。
響く悲鳴。倒けつ転びつ路地裏に消える三人の背を、
「キャハハ……キャハハハッ……」
無邪気な笑い声が追い掛ける。
慎太郎、ホラーVer.も割と使い道あったぞ。
マモノビト達が逃げ去り、絵里香は首なし人形に苦笑した。
「悪趣味」
「って、何でちょっとカッコいい立ち方してんの?」
「何か、魔女だと思われたみたいだから」
ああ、それで“我、闇の堕天使なり”みたいなポーズになってんだ?
パーツを呼び戻し、頭の角度を微調整する。
「私が子どもの頃は、悪さしたガキはああやって脅かされたんもんさ」
まあ、匂い覚えた云々はフカシだけどな。
「あは、そうそう。慎と私も小さい頃なかなか寝ないとさ、おとーさん、『鬼が来るぞ』って見えないように壁とかコンコンって叩いてさー。あれ、割と本気で怖かったなー……」
「……おとーさん……怖かった、よ……」
絵里香の目に、ぶわっと涙が溢れた。緊張の糸が切れて、今になってショックの揺り返しがきたものらしい。
右の手は髪へ、左手は背中に。靴底を地面から離して浮けば、逆転した背丈でも娘の頭を胸に抱えることくらいはできた。
「うえ、うええ……お父さん、怖かったよお……」
「うん、うん。もう大丈夫だ」
迷子になったり、転んだり。好きな色のクレヨンが折れたり、死んでいると思った蝉がジーッと断末魔を上げたり。
その度に、泣き止むまでこうして背中を擦ったのは、はて、幾つくらいまでのことだっただろうか。
人形の手は、父と娘の距離を、時をも超えて、とんとん、とんとん。
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しばらくして絵里香は身を離した。頬と目元の赤いまま笑顔を取り戻す。
「うん、泣いた小鳥がもう笑った」
「いひひ、懐かしいね、それも」
ぽろっと口をついたのは、泣き止んだ幼い娘にいつも言っていた文句だった。こういうのは忘れていないもんだな、お互いに。
絵里香は少し恥ずかしそうに、
「そう言えば、お父さん飛べるんだ? 何かワープもしてなかった?」
わざと話を変えた。
「ああ、あれな、“飛んでる”んじゃないんだ」
「へ?」
絵里香がきょとんとする。私は数歩後ろの宙に、カラダを“跳”ばす。
「これ、同じ位置に連続して“瞬間移動”してる。落ちる前に」
「ホントだ! よく見ると小刻みに縦に震えてる!」
「こんなこともできるぞ」
私は、さっき鳥頭が飛び上がった高さにカラダを運んだ。
落下を感じて、次の座標に移動する。絵里香の驚く顔を、足元に見る新鮮な視点。そう言えばディズニー映画に、こんなセリフがあったな。
「飛んでるんじゃない、落ちてるだけだ。カッコつけて」
数回“跳躍”して、絵里香の前に戻った。
「いわゆる“エスパー魔○”方式の飛び方だな。知らないか」
「知らないけど、フツウに飛ぶよりスゴイ気がする」
絵里香はそう言って、まだ小さい頃のお父さんを見る目で、
「て言うか、お父さんって意外と強かったんだ。あっという間に3人やっつけちゃった」
私は細腕をグッと曲げた。球体関節から曲がるだけで、力こぶは出ない。
「これでも学生時代は柔道やってたんだ」
「へえ。いや柔道全然関係なかったけど」
だな。能力でぶん殴っただけだ。
とか、絵里香と話しながら――……
……――ついに来たか、と思う。
いずれマモノビトに、手にした力を悪用する者が現れるのではないか。懸念していたことを目の当たりにして、胸に影が落ちる。
今回のことは、コドモのイタズラで収めていい。
だがこの先、もっと本格的に、計画的に、或いは組織的に、悪事に手を染めるマモノビトが出た時、私はどうすればいいのだろう……
「お父さん?」
絵里香に呼ばれ、私は我に返る。
「どうしたの?」
「いや、何でもない」
まあ、今ここで考え込んでも仕方がない。それは私一人が考えることでも、私一人でどうこうできることでもないのだ。
自分をスパイダーマンだと考えるのは、それはそれで力への別な溺れ方だろう。それなりの力には、それなりの責任を伴わせるのが私の精々だ。
絵里香も落ち着いたことだ。
「そろそろ帰るか」
絵里香はちょっと黙って、頷いた。
「うん。ホントはまだ行きたいとこあったんだけど……疲れちゃった」
「無理もない。こんな父さんで良ければ、いつでも付き合う」
私がクラロリの裾をつまんで膝を折るお辞儀すると、
「うん、ありがとう、お父さん」
「守ってくれたこと、ホントに嬉しかった……」
ようやく娘にいつもの笑顔が戻ったようだった。
「これでも父親だ。子どもを守るのは当たり前のことだ」
カッコをつけてみたけど、この笑顔を守れて良かった、心からそう思う。
「じゃ、行こっか、お父さん」
「ああ。ところでさっきの連中、お前のことを魔族か魔導士系のマモノビトだと思ったみたいだな」
「ええー? やっぱりそーかなー、参ったなー」
「だから“我、背徳の魔女なり”みたいな立ち方ヤメろ」
右手を顔に翳した絵里香に呆れながら、
「で、駅はどっちだ?」
「私、担がれてきたからなあ」
「私もワープしてきたから……」
都会の迷い道で方向を失い、周りを見回した私は、
咄嗟に上げた腕に叩きつけられた刃を、辛うじて受け止めた。
衝撃が、腕と心臓を一拍遅れて襲った。
「ほう。止めたか」
忽然と現れ襲い掛かってきたのは、黒い甲冑に全身を包む騎士だった。
「我が一刀に断てぬとは、さすがだ」
砲弾型の兜の奥からの嗤うような言葉は、私の頭に入ってこない。
「あの男、変人だが腕は確かか」
剣士の口振りにも僅かな驚きがあるが、こっちの驚愕はその比ではない。突然の登場、襲撃はもちろんのこと、目を疑うのは……
右手首から1センチの位置に、大剣の刃が食い込んでいた。白磁の肌に亀裂が入り、細かな破片がぱらぱらと欠け落ちる。
痛みはない。しかしショックは大きかった。
騎士の言ったあの男とは、魔導工学の第一人者にして天才芸術家を標榜する、Dr.ボンダンスその人に違いない。彼に作られた“最高傑作”、それが『人形姫』だ。
並大抵のことでは傷ひとつ付かない、巨神族が踏んでも壊れないとあの自信家が誇る、魔法人形が傷つけられた。私のショックはこのことだった。
黒い剣士は私に一撃を与えた姿勢のまま、
「ふふ、面白い」
目庇の内の呟きは、独り言のようでいて、見えざる視線が確実に私を刺し貫いている。
「絵里香、逃げろ」
私の中の、ヒトではなくマモノの部分が、全力で警報を発する。
この男は、さっきの不良少年達とは違う。
騎士の身に纏う気配は、言うなれば魔性。それはこの世界のものではない。明らかにDr.ボンダンスと同じ“異世界”の住人、魔族。
不良マモノビトのように悪ふざけではなく。Drのように遊び心があるのでもなく。この男は『魔王』の手の者、人と敵対して、そこに立っている――……
薄紫の硝子の目に、はっきりとそのことが映った。




