第86話 適応
「大江さんの所かぁ。わかった! ありがとっ!」
彩加の元気ある礼に対して、老婆は優しく手を振り見送っていた。
「親しいんだな。いつの間に仲良くなったんだよ?」
「同じ避難所の仲間だもん! 一ヶ月もあれば仲良くなるよっ!」
彩加の言う通りに、陵王高校へ着き一ヶ月以上。到着時は五月中旬であったものの、時は経過し今や七月。
しかし岩見沢へ着いてから、常に一人で行動していた身。避難所での人間関係を形成していなければ、ほとんど誰の顔や名前も覚えていなかった。
「お兄ちゃんも早くみんなに馴染んで、仲良くしなくちゃだねっ!」
「ああ。そうだな」
避難生活に互いの協力が必要となれば、彩加は適応できるよう背を押していた。
「ワンッ! ワンッ!」
一階の廊下を歩き目的地へ向かう途中に、前方から駆けてきたのは白犬のモコ。尻尾を左右に振っては周囲をクルリと一周し、とても喜び跳ね回っている様子だ。
「本当に大きな犬だよね。よしよし!」
彩加は目線を合わせるよう屈み、モコの頭に体と全身を撫でている。
美月を探しに市内を回る中で、三階の教室へ戻れば寄ってきたモコ。今にして思えば傍にいるだけで、癒され元気づけられていた気がする。
「きっとモコにも、心配かけていたよな。ありがとう。もう大丈夫だから」
感謝の念を込めて頭を撫でて礼を言うと、モコは再び周囲を一周し駆けていた。
「あら、どうしたの? 彩加に蓮夜君」
階段を上り廊下の途中で出会ったのは、白い割烹着を着用した一ノ瀬静香。茶色いショートヘアの髪に、年並みに薄らとあるほうれい線。少しおっとりした印象を受ける、優しき彩加の母親である。
陸橋から落下し負った怪我を、男性医師と一緒に治療。目が覚めてからは、事情を説明してくれた人物。今は見習い看護師の葛西さんに、指導を行う看護師でもある。
「お兄ちゃんが目を覚ましたからっ! 顔を見せにきたんだよっ!」
言って彩加は背を押し始め、静香さんと向き合う形となった。
「蓮夜君。体の方は、もう大丈夫なの?」
「はい。その……心配かけました」
怪我の状態を問う静香さんに、迷惑かけたと自覚し頭を下げる。
最近は常に一人で行動していたため、誰とも会い話す機会が少なかった。姿を見せず怪我をしたとなれば、余計な気苦労もかけたことだろう。
「本当っ! みんな心配してたんだよっ! いっつも一人でどこかに行っちゃって、全く顔も見せないしっ!」
「大変な事があったのだもの。それでも偶には、無事な姿を見せにきてね」
膨れっ面をして不満を漏らす彩加に、静香さんの理解は深かった。
彩加の母親である静香さんは、叔母にあたる存在。彩加はお兄ちゃんと親しみ込め呼んでいるも、実際のところ兄妹ではなく従兄妹にあたる。
「ところで蓮夜君。先日は薬を持って来てくれたみたいだけど。どこで手に入れたのかしら? 近所の薬局は、火事で焼失しているわよね?」
静香さんは男性医師と話しをして、入手経路につき心配していたと言う。
薬の入手に限らず、物資の補給は大変なこと。それでも美月を探し回るついでに、無茶を承知で貢献を考えていた部分はある。
「えーっと。病院に行って、取って来たんです」
「えっえー! 病院に行ったの!?」
躊躇いつつも正直に言うと、彩加は驚きの声を上げていた。
以前に訪れた総合病院は、男性医師と静香さんの勤務場所。屍怪の出現からほどなくし放棄され、危険地帯であるのは誰しも知る所であった。
心配をかけたくないから、言うか迷ったけど。隠せる話でもないしな。
「病院には屍怪がたくさんいたんじゃない? 蓮夜君にも、事情があるのはわかるけど。あまり無理はしないようにね」
静香さんは咎めることなく、また止めることもしなかった。
美月のことは静香さんも、もちろん知っている。札幌から岩見沢まで行動を一緒に、死に至る経緯まで。心配しつつも事情を知っている故か、意志を尊重してくれているようだった。




