第70話 置き手紙
「気づきませんでした。読んでみます」
手紙には達筆な字で、母のメッセージが残されていた。
【美月へ。電話は繋がらず。メールが届いているかもわからないので、手紙にして伝言を残します。お父さんは市長とともに市役所へ避難しているようで、お母さんと庭師の青葉さん。お手伝いの中村さんとで、市役所へ向かうことに決めました。美月も手紙を読んだら、市役所へ来てください】
小柄で目つきの優しい青葉さんは、長くに渡り庭の手入れを担当する庭師。眼鏡を掛けふっくらとした体型の中村さんは、家事を担当するお手伝いさん。
二人とも子どもの頃からよく知る、家族同然の人たちである。
お母さん……。お父さん……。
手紙を読み進めると、下の方に一文。震える文字で、最後に何か書かれている。
【お願いだから、……無事でいて】
手紙を書く母の姿を想像。心境を察すると、自然に目頭が熱くなる。
「大丈夫か? 美月?」
「はい。お母さんたちは、市役所へ避難したみたいです」
顔を向けて問いかける蓮夜さんに、動揺を悟られぬよう涙を拭う。
「市役所か。なら街中だな」
蓮夜さんの言う通り市役所は、街の中心部に位置している。
先へ進むことは、全員が望むところ。まずは近場の啓太さん宅へ行き、それぞれの目的地へ。今は焦らず、順番に回る他なかった。
「美月ちゃんの家とは、通りが三本違うだけじゃん。きっとどこかで、すれ違ったりしてたんじゃね?」
自宅を出て前方を歩く啓太さんは、顔を向けて言った。通りが三本違うだけとなれば、移動に数分しか時間を要しない。
朝の通学時や、帰宅の際に。はたまた買い物などで出かけるときなど。どのタイミングで顔を合わせていても、不思議ない距離である。
「そうですね。それでも機会がなければ、話すことさえなかったかもしれませんね」
人と知り合う縁。多くは生活環境が変わる、入学やクラス替え。就職や転居といったタイミング。
人生のターニングポイントとなる機会。各々と懇意になれたのは喜ばしく思うも、大事でなければと思わずにはいられなかった。
「やっぱり家には誰もいなかったじゃん」
青い屋根の二階建て民家から、リュックを背負い出てくる啓太さん。
「でも陵王高校に行くって紙があったんだろ?」
一緒に入っていた蓮夜さんも、続き民家から出てくる。啓太さんの家族は、陵王高校に避難したとの話。
啓太さん宅前で待っていた女性陣。合流したところで、再び主要道路となる国道に出た。
「よし! 行こうぜ! 目指すはそれぞれの自宅に、市役所と陵王高校! みんな無事に避難して、一緒にいるはずだっ!」
曇りなき眼で先を見据え、全体に檄を飛ばす蓮夜さん。
背を押すよう吹く、温かい追い風。進行方向に蓮夜さんのアンテナ髪が向くと、期待と希望を持って岩見沢市内へ入った。
***
「なんでも良いから、お風呂に入りたいわね」
目前に【ゆらゆら】と書かれた温泉施設が現れ、眺めてハルノさんは入浴を切望した。
「本当に。私も同感です」
暫く間。まともに湯へ浸かる機会は、設けられていない。
それどころか湯に触れることさえ、少ない状況。久方ぶりに湯船に浸かりたいのは、全員。特に女子ともなれば、切実に欲するところだった。
「一応は二日前に。風呂には入ったじゃん」
「あんたのそれは、シャワー。汚れだって気になるし。ゆっくりと湯船に浸かって、リラックスしたいって話よ」
淡々と告げる啓太さんに、ハルノさんは間違いを指摘している。
「服の汚れは仕方ないけど。そもそも風呂なんて、二日に一回くらいで十分じゃね?」
「えーっ! お風呂は毎日入りたいよっ!」
啓太さんの入浴意識に対し、彩加ちゃんは声を大に反論している。
以前までの世界ならば、朝と夜に二回。欠かさずお風呂に入り、シャワーを浴びていた身。大事となれば仕方ないと妥協しているも、啓太さんの入浴意識は理解できないところであった。
「浴槽に毎日は入らなくても良いけどな。シャワーくらいは浴びたいよ」
「私はできれば毎日。浴槽に入りたいです」
続き入浴意識を述べる、蓮夜さんと真弥ちゃん。
女子は全員が浴槽に浸かりたいとの意見に対し、男子は隔日であったりシャワーで十分というもの。ここ入浴についての意識差は、性別によって違いがハッキリ出たようだ。