第49話 餌
「ってことは、この転がる死体は……」
「そうさっ! ボクの両親だよっ! 妻と息子のために! ボクが殺して与えたのさっ!」
和室の畳に転がる死体は、野口さんの両親。屍怪となった二人に与えるため、殺害されていたのだ。
「……マジかよ」
尋常ならざる行動に、誰しも言葉が出ない。
「仕方ないじゃないか。妻と息子は……普通の物を食べないんだ。そのくせ肉は欲しがるから、ボクは与えたまでなんだよっ!! 妻と息子が飢えないようにっ!!」
野口さんの際立つ異常性に、みな言葉を失い戦慄していた。
野口さんが行ったのは、殺人。相手は屍怪でなく、普通の人間。しかもその対象が両親となれば、共感する者など誰一人としていない。
「俺の知る人間は人を襲ったり、食べたりなんて絶対にしないっ! おかしいと思わないのかよっ!? 野口さんの妻だった人も。息子だった人も。以前は俺たちと同じ言葉を話し、同じ物を食べていたはずだろっ!?」
生きている人間と、屍怪と化した者の違い。会話が成立することや、同じ食や文化を楽しめること。
野口さんの主張する、動けば生きている。屍怪となっては、共感できぬ事象。生きている人間には、他にない温かさがあった。
「ううぅぅぅ…………」
呻き声を漏らし、頭を抱える野口さん。今までのことを考えれば、胸に刺さるものがあったのだろう。
「二階にあった写真を見ました。家族みんなが幸せそうに、笑顔を浮かべて。今もあの時と同じだって、胸を張って言えるのかよっ!?」
屍怪と化した二人を指差し、顔を歪める野口さんに問う。
「それに人を殺して与えるなんて、絶対に間違っているっ!! それはただの人殺しじゃないかっ!!」
「うっ、うるさいっ!! もう黙れ!」
本当は野口さん自身も、気づいているのだろう。
しかしそれでも現実を受け入れられず、苦しみ葛藤。心が悲鳴を上げては、壊れてしまったようだ。
「それでも、ボクには。もうこのやり方しか……ないんだよおぉぉ!!」
自暴自棄になっている野口さんは、再び中華包丁を手に襲いかかってきた。
「離れてろっ! ハルノ!」
最も近くにいるハルノに注意を促し、襲いくる野口さんと向き合う。
野口さんは中華包丁を振り上げるも、動作は過剰で隙も多い。その影響もあってか、体は瞬時に反応。手首を掴んでは即座に捻り、背後に回って腕の締め上げに成功した。
「落ち着いてくれよっ! 野口さん!」
一呼吸を置ける状態となり、頭をクールに自制を促す。
「君たちは餌なんだよっ! そのために呼んだんだっ!」
野口さんが口にしたのは、驚愕の事実。助けられたのではなく、誘い込まれた。
野口さんは初めから、殺す気で声をかけていたのだ。
「落ち着いてっ! 考え直してくれよっ!」
殺す気でいたとしても、今どうこうできる状態にない。
本当なら野口さんも、人を殺すような人間ではないだろう。精神的ショックが発端となり、凶行に及んでいる。今は何より、冷静さを取り戻して欲しかった。
「グオォオオオッ!!」
しかし聞く耳を持たず、力を入れる野口さん。地団駄を踏んで暴れ、抑えることも危険となっていた。
「あっ! 危ないっ!」
葛西さんはいち早く危険を察知し、叫びで警告を発した。
野口さんが右手に持っていた、中華包丁。抵抗する中で手元から離れ、床を目指し滑り落ちていたのだ。
「クソッ!」
中華包丁の落下地点には、自身と野口さんの足があった。
どちらの足に落ちても、大怪我は必死。怪我を避けるには、手を離すしかなかった。
「君たちはぁ!! 餌の分際でえぇ! よくもやってくれたなあぁあああ!!」
拘束から解かれ、身構える野口さん。
しかし野口さんは、重大な事実を見落としていた。
「野口さん! そこはダメだっ!」
野口さんは二体の屍怪いる、和室へ足を踏み入れていたのだ。
「ん? ぎゃぁあああ――――ッ!!」
家全体に響くような、野口さんの絶叫。
気づいたときには、すでに手遅れ。野口さんは妻とされる屍怪に、首元を噛まれてしまった。
「……野口さん」
騒動に気づき、寄ってくる息子の屍怪。襲いくる二体の屍怪により、野口さんは和室奥へと引きずり込まれていく。
「……君もいずれ、同じようになるのさっ! そして気づくだろう! 誰しも大切な人を失えば、ボクのようになるとっ!」
畳に爪を立てては床を這いずり、最期の抵抗を見せる野口さん。
しかし最期の抵抗も虚しく。体と足を掴む二体の屍怪によって、和室奥へと引きずり込まれていった。




