第331話 人喰いの悪魔16
「あんたらマジ、壊れてんだよっ!! よくもトモキをっ!!」
涙を浮かべ怒声とともに、トミぽよは懐から包丁を取り出し飛び出ていく。
愛する人が生きているかもしれない。そんな希望が、あったから。その希望が絶望に変わった瞬間、彼女の中で何かが音を立てて崩れたのだろう。
「壊れているのなんて、随分前から承知しているわ」
少女は冷たくそう言い放つと、背後からナイフを抜き取った。
「……っ!! やめ――!」
叫ぶよりわずかに早く、鋭い一閃が走った。
トミぽよの首元に、赤い線が一本。彼女の身体がふらりと傾き、力なく地面に崩れ落ちる。顔に返り血を受けた少女は、まるで――悪魔だった。
「……なぜそこまで――なぜ、殺さなくてはならないんだよ」
二人の過去や苦しみに同情していたはずなのに――それでも、この非道さだけは許容できなかった。
向かってきたとはいえトミぽよはただ、怒りと悲しみの中で包丁を握っただけだ。止める術は、他にもあったはずだろう。
――これは、復讐じゃない。ただの、殺戮だ。
「……長老?」
炎の揺らめく中であたりを見回し、ハルノは声を上げて困惑している。
その視線を追って、愕然とする。さっきまで座り込んでいたはずの長老の姿が、影も形もない。
「責任を問われる前に逃げ出すあたり、潔さも何もあったものではないわね」
人知れず逃げたことを悟り、少女は完全に呆れた様子だ。
「もう、止めるんだっ!! これ以上、人を殺したって、何も生まれやしねぇよっ!!」
それでもここで止めなければ、被害はもっと広がる。誰かが、言葉で立ち向かわなくちゃいけなかった。
「ボクたちが求めているのは、未来の話ではありません」
少年は背後の炎を背にしながら、静かに言った。
その瞳に宿るのは、諦めでも怒りでもない。ただ、決意だけだった。
「そうね。後のことより、まずは“過去”を清算しなくてはならないの」
少女もまた同じ色の瞳で、見つめ返してくる。
きっと何度も、何度も。誰にも聞いてもらえず、呑み込んできた思いなんだろう。口で簡単に言うほど、因縁を断つは容易ではないか。二人を引き下がらせることは、やはり難しい話のようだ。
「お兄さんとは争いたくなかったけど。――邪魔をするなら、容赦はできませんよ?」
少年はマチェットを構え、静かに前に出てくる。
――戦うしか、ないのかよ。
やむを得ず、刀を抜いた。たとえ相手がどんな過去を背負っていようと、これ以上は人の命を奪わせるわけにはいかない。
「ハルノ。こっちは任せろ。ハルノは長老を頼む」
目の前では二人が何か、囁き合っている。こちらもならばと素早くかつ短く、今後の方針につき話し合う。
「……上手く説得できるかしら?」
近くまで寄ってきたハルノは、微かに不安を漏らす。
それも無理はない。ハルノだって、さっきまでの光景を見ていた。復讐のためなら、人を殺すことすら厭わない。そんな決意の前に、言葉がどこまで届くかなんて、わかるわけがなかった。
「それでも止めるんだろ。対話なんて、後でいくらでもできる。惨劇を回避するためなら……とりあえずは、力づくでも仕方ない」
正直なところ考えても、正解なんてわからない。
でも命を奪われたら、その先の話なんて永遠にできなくなる。人命を守ること最優先として、一点に注力し刀を抜くのだ。
――狙いはやはり、逃げた長老か。
向こうも方針が固まったのか、少女は踵を返し視界から離れていった。
「……そうね。蓮夜も、気をつけてっ!!」
ハルノが振り返り、力強く言った。その目に宿った迷いの影が、少しだけ晴れた気がする。
ハルノの背中は少女の後を追い、夜の闇へと消えていく。それを確認して深く息を吸い、目の前の少年に黒夜刀の切っ先を向けた。
――もう、退くわけにはいかない。
「なぜそこまでして、あんな奴を守るんですか?」
目の前の少年が刃の向こうから、まっすぐに問いかけてきた。
マチェットと黒夜刀がぶつかり合い、火花が散る。鍔迫り合いに近い距離で、互いの息づかいさえ感じ取れるほどだ。
「別に、守っているわけじゃない。ただ……命を。二人を止めたいだけだ」
応えるようにしてこちらも、目を離さずまっすぐに答える。迷いも、怯えも、何一つない。ただ一点の信念だけが、そこにあった。
しかし身体の大きさも経験の差もあるはずなのに、少年の刃は一撃一撃が重くて鋭い。それはきっと、迷いがないからだろう。




