第330話 人喰いの悪魔15
「はあっ……はあっ……あの悪魔どもっ!!」
広場で起こる喧騒を背に、長老は役場へ向かい走っていた。
乱れた呼吸と、よろめく足取り。ここまで老体を追い詰めたのは、恐怖と焦り――そして確信だろう。あの二人が自分を狙ってくると、きっと理解していたはずだ。
「ぐがっ!!」
小さな段差に足を取られ、長老は崩れるように転んだ。這うようにして立ち上がろうとするも、汗に濡れた顔が限界を物語っていた。
「……!!」
――そのとき鋭い気配が、風に乗って背後から迫ってくる。反射的に黒夜刀を抜き、身体ごと振り返って受けた。
火花が散る。重い金属の衝撃が、腕にずしりとのしかかった。
「せっかく忠告をしたのに、受け入れてはくれなかったんですね」
目の前にいたのは、やはりあの少年。首謀者の一人であり、手には鈍く光るマチェットを握っている。
「やっぱり、このままじゃダメだ。こんなことをしても……誰も幸せになんて、なれねぇよ。だから――止めに来たんだ」
受け止めたマチェットの刃を、全身の力で押し返す。短い摩擦音とともに少年の体勢が崩れ、大きく後ろへ引いた。
「幸せ? 長老は施設側と癒着をして、子どもたちを――わたしたちを、苦しめてきた当人よ。そんな人間の幸せを守る? それが、お兄さんの正義なのかしら?」
猟銃を肩にかけ現れた少女も、まっすぐ見つめて揺らぎはない。
たしかに彼女たちの言い分には、無視できないほどの重みがある。どれほどの想いが、この夜襲に詰まっていたか。怒りと悲しみ、痛みと絶望。その全てが、二人の姿から伝わってくる。
「復讐のために全てを壊して、自分で裁きを下す。それが許されるなら、誰だって……どこまででも、やってしまう。憎しみは止まらねぇ。だからこそ、俺たちは――違う選択をするべきなんだ!!」
言葉が響いたかどうかは、わからない。それでも怨嗟に飲まれる人生など、これ以上に悲しいものはない。
「長老。二人の話……本当なの?」
ハルノが前へ出て、静かに問いかけた。
鋭くけれど、感情に流されぬ声音。あくまで事実を知ろうとする眼差しだった。
「ぐぅ……。やはり、知っておったか……しかしぃっ!! 何が悪いっ!!」
怒気を孕んだ長老の声が、焼け焦げる建物の残響に乗って響いた。
「施設に預けられるような子など、社会においては劣等種!! まともな親から生まれ育てられぬのなら、それはもう社会のゴミと相違なかろうっ!!」
苦虫を噛み潰したような顔で、長老は己の思想を声高に叫ぶ。
その口から出てきたのは、あまりにも差別的で、あまりにも傲慢な偏見。親の事情で施設に預けられただけの子どもを“劣等種”と決めつけ、まるで存在そのものを否定するような言葉。遺伝と環境を絶対とするその理屈は、正気とは思えないほど歪んでいた。
「……っ」
言葉が出ない。驚きと、失望と――怒り。人を裁く権利など、誰にもありはしない。
「そんなことより、トモキはっ!?」
割って入ったのは、トミぽよだった。
「アンタらが連れていった、金髪の男!! あいつはどこなのっ!!」
叫ぶように問いかけるトミぽよの目は、涙が溜まっている。
彼女は公園で話した内容を知らない。そしてあのとき――変わらず今も、伝えるには証拠もなかった。
「……彼ですか。探せばきっと、この場のどこかにいるはずです」
少年は冷静にそう答えながら、地獄と化した広場に視線を向けた。
次の瞬間――トラックの荷台から、うめき声とともに何かが這い出してくる。
――トモキ、なのか……?
金髪の髪。細く切れ長の目。黒いシャツにダメージデニム。
だがその姿は、あまりにも凄惨だ。右手がない上に、左足も膝から先が切断されている。その体を引きずり地を這うようにして進む姿は、もはや人の形を保ってはいなかった。
「アガァァア……」
トモキの顔は青白く変色し、白目を剥いて上がる呻き声。それは、もう……生きていた頃の姿ではない。
「……以前に逃げられたことがあったから、逃げられないよう脚を斬ったのよ」
猟銃を構えた少女は、あっさりと告げた。
「彼はそれでも逃げようとして、自ら屍怪のいる穴へ落ちたわ」
感情の揺らぎひとつない、少女は平坦な口調。まるでゴミでも捨てるように語られる、トモキの“最期”。
思わず拳を握りしめていた。右手を斬られ、左足を奪われ、それでも生きようとしたトモキ。トミぽよはただ唇を震わせ、悲鳴すら出せないでいる。




