第327話 人喰いの悪魔12
オレはもう、歩けないんだ。
走ることも、逃げることもできない。これまでどんな相手からも逃げてきた、唯一の取り柄すら――もう終わりだ。
「また叫んで、うるさいわね」
焚き火の明かりに照らされた少女の顔には、微塵も同情の色はなく声も冷たい。
「本当に。屍怪が寄って来ちゃうよ」
少年もあくび交じりに言ってのけ、まるでただの迷惑行為のように。
……このふたり、どうかしている。人の形をしているけど、中身はまるで違う。
なぜこんなことができるのか、理解できない。いや、したくもなかった。
胸の奥がキリキリと痛む。怒りでも憎しみでもなくただただ、わけのわからない感情で頭が埋め尽くされていく。
「でも、足を斬って正解だったわ」
「そうだね。前は一度それで、獲物を逃しちゃったから」
少女はそう言って肉の串をくるりと回し、少年の口からあっけらかんと飛び出す言葉。
人を獲物という神経。ただただ楽しそうに、浮かべられる笑顔。悔しさも、恐怖も、怒りも、絶望も。全部まとめて自分の中で渦を巻き、涙が出ることすら忘れていた。
「くっ……!! 畜生!! なんで、なんでこんな目に……っ!」
手も足もなくなって、泥にまみれながら。地面に這いつくばりながら、虫のように成り果てても。どうにかあの二人から、なんとしても距離を取りたかった。
「せっかく止血をしたのに」
「動きすぎると、死にますよ?」
冷え冷えと響く少女の声に、笑顔で淡々と脅すように少年。その口ぶりに慈悲はなく、命を点数のように数えているだけだ。
「なんとか……みんなの元に……トミコ……」
せめてもう一度だけでいいから、アイツの顔を見たかった。くだらないことで言い合っても、信じて背中を預け合っていた関係。
もうどうにもならず、身体は長くないかもしれない。でもたとえ最後でも、逃げなくてはならなかった。トミコに会いたい。ただ、それだけで。
「うわああっ!! なんだ!? これ……っ!!?」
地面に手をついて這っている中で、急に身体が浮いた。
次の瞬間には、ズザザッと転がる衝撃。視界が回って、夜の闇がぐるぐると回っていく。
「あ……れ、オレ……落ちた……?」
視界が揺れて、泥と冷気に包まれる中。周囲を見渡せば、どうやら坂を転げ落ちたようだ。
「あら、落ちちゃった?」
「もったいないなあ。まだ、食べられたのに」
転げ落ちる前の頭上からは、少女と少年の声が聞こえる。
それにしても、ここはどこだ?
さっきまで地面を這っていたのに、急に転げ落ちて穴か崖か。
夜は深くなって、何も見えない。ただ、何かが聞こえる。たしかに何か、動いている音が。
「……なんだ? 何がいる……っ?」
唯一動く左手を前に出して、闇を掻き分けるように探る。耳を澄ませればぬるりと、湿った音が混じっていた。
「引き上げられないかな?」
何の感情もなく、少年の声が響く。
「無理よ。穴は深いし、それに――屍怪がいるもの」
まるで他人事のように、少女はさらりと言い放つ。
――屍怪!? この穴の中に、奴らがいるってのか!?
右手と左足を失っては、逃げることも叶わない。
屍怪がいるのならばそれは、想像をし難い最悪の展開。冷や汗が吹き出し、歯の根が合わない。
「うっ……まさか、まさか来るなっ!! 来るなああああっ!!」
ザリザリと土を這う音。暗闇の向こうに、光る目が浮かび上がる。
「アガァァア!!」
屍怪が噛みついてくると、バキッと骨が砕ける音がした。歯が何度も肉を裂き、暗闇の中で群がってくる。
「うわああああっ!!」
全身に走る激痛で、意識は薄れていく。
なのに、不思議なことに。落ちる意識の中で見上げた夜空だけは、どこまでも澄んで美しかった。




