第325話 人喰いの悪魔10
「そしてボクらは、わかったんです」
視線を向けて少年は、ぽつりと口を開く。
「自分たちが生き延びるためなら、やって悪いことなんてない。誰かを殺しても、罪に問われることもない。……全部、仕方がないことだって」
少年は開き直っている感じではなく、悟りのような……あるいは諦めにも似た声音だった。
その言葉の裏には、言い尽くせないほどの絶望が詰まっている。人間として大切にしなければならないものを、飢えと恐怖と狂気の中で少しずつ削り取られていった。そんな過程が痛いほど、端々から伝わってくる。
「……酷すぎるわ……」
ハルノの目から涙の粒が頬を伝い、静かに土の上に落ちた。
ハルノは責めることをせず、また罵ることもせず。ただ過去の重みに胸を押しつぶされるようにして、黙って涙をこぼしていた。
もし俺が、同じ状況に置かれていたら――。
きっと、二人と同じように壊れていたかもしれない。正しいことも、間違っていることも、その境界線さえ見失って。
目の前の少年は、間違いなく罪を犯している。だけど、それが本当に“罪”と呼べるのか、わからなくなりそうだ。それでも今こうして彼らの話を聞いているのは、きっと何か意味があるのだと思いたかった。
「……ごめんなさい。誰かがもっと、優しくしてあげられていたら……二人は、こんなふうにならずに済んだのに」
ハルノの声は震えて、悲しみでも怒りでもない。ただ純粋な、悔しさが滲んでいた。
ハルノはそっと歩み寄り、少女と少年を優しくそっと抱きしめる。その腕の中で二人はしばし身じろぎもせず、ただ目を見開いていた。
「……不思議ね」
拍子抜けしたような顔をして、首をかしげ少女は小さく呟く。
「わたしたちが、そう望んだのよ? だから、こうなっただけ。哀れむ必要なんて、微塵もないわ」
「違うっ!! 違うわっ!! それは……そうせざるを得なかっただけよっ!! 望んだわけではなく、選ばされたのっ!!」
少女が言い放ったその言葉に、ハルノは顔を上げて応えた。涙を浮かべた瞳は、真っ直ぐに二人を見据える。
その叫びは責めるでも、否定するでもない。ただ胸の奥から突き上げるような、切実な想いだった。
「……」
「……」
少年と少女は顔を見合わせて、言葉を失ったまま抱かれている。少し照れくさそうな顔をして、少し力が抜けたように。
そのとき、二人の表情がわずかに緩んだ気がした。警戒でも、反発でもない。まるで久しぶりの温もりに触れた子どものような、そんな安堵に満ちた顔だった。
ああ……この顔こそが、本当の二人なんだ。
集落では悪魔と呼ばれても、少年少女はまだ子どもだ。そう思ったとき、胸の奥が痛むほどに締めつけられた。
***
「……話せて良かったわ」
少女はそう言い残すと、こちらに背を向けて歩き出した。
もう猟銃を構えることもなく、公園から去ろうとするその背中は、どこか寂しげにも見えた。
「……これから二人は、どうするつもりなんだよ?」
問いかけたのは、夜襲の計画を聞いていたからだ。
この会話を通じて、少しでも思い留まってくれたら。考えを改めてくれたら、そう願っての言葉だった。
「……集落の人たちを狩ります」
少年はまっすぐに振り返ると静かに、それでも確かな意志を込めて答えた。
「彼らはボクたちを見下した。哀れみでも同情でもない、ただ蔑むような目で」
少年の声は淡々としていたが、胸の奥に煮えたぎるものを隠しきれていなかった。
「児童養護施設の職員たちと同じです。見て見ぬふりをして、いざというときは裏切った。ボクらの中に流れる友人たちの血が、彼らに報いを受けさせろと、そう言っているんです」
少年が向けるその目には、一片の迷いもなかった。
これまで受けてきた仕打ち、理不尽な暴力、裏切り、飢え、喪失。それら全てが少年の背中を押し、彼をこの結論へと導いていたのだ。
「お兄さんとお姉さんは、殺したくないわ。できればこのまま、集落を去ってくれないかしら」
少女はそう言って、まるで別れを惜しむように微笑んだ。その口ぶりには、温情というよりも――静かな覚悟が滲んでいた。
「集落の人たちを狩るって、向こうは準備をしているんだっ!! たった二人で行って、どうにかなる数じゃない!!」
本気で言っているのか。復讐だって、やり方ってものがある。
でも――いや、だからこそなのか。このままじゃ、また誰かが死ぬ。できることなら、二人は早急に集落を離れるべきだろう。
「心配してくれるの? 優しいわね」
まるでこちらの葛藤を見透かすように、少女は小さく笑った。
敵意でも、憎しみでもなく。ほんの少し照れたような、けれど醒めた笑みだった。
「……策があるんです」
隣にいた少年は、静かに口を開いた。その声音は低く、そして不穏な響きを帯びている。
「とても、とても危険な――」
言い終わると同時に少年は踵を返し、二人は公園から去ろうとする。
「あっ……!! 二人が連れてった男……トモキを返してくれないかっ!?」
話に夢中になって、すっかり忘れていた。そもそも外を出回りこの公園まで来たのは、トモキを探すためだった。
「……ごめんなさい。彼はもう、ダメなの」
少女は少しだけ目を伏せてから言いい、その顔にはどこか後悔の色が浮かんでいる。
そして次の瞬間。二人まるで風のように、一瞬で姿を消してしまった。
「……これから、どうする?」
静まり返った公園に取り残され、ため息をつきゆっくりとブランコに腰を下ろす。隣に目を向ければハルノも、ブランコに座って空を見上げていた。
「トモキのことはもちろんだけど……やっぱりこのままじゃいけないと思う。止めなくちゃ。あの二人を」
ハルノの声にははっきりとした芯があり、強く確かな決意のこもった言葉だった。
「そうだな。……役場へ行こう。夜になれば、きっと二人は現れるはずだ」
児童養護施設の子どもたちと、坂ノ上役場の老人たち――。互いに消せない恨みを抱え、復讐の火種をくすぶらせている。
それでも、目を背けるわけにはいかない。見届けるしかなかった。この先に何が待っていようとも――。




