第316話 人喰いの悪魔1
「どうして人は、人を殺してはいけないんですか?」
血の海に膝まで浸かり少年は、純朴そうな顔で問いかけてくる。その瞳はまで水晶のように、穢れを知らないよう澄んでいた。
「生きるためなら鶏や豚に牛も、人は殺しているというのに」
問いに続けて言葉を重ねたのは、頭から滝のように血を流す少女だった。
出血量からして致命的な傷を負っているはずも、当人にまるで気にしている様子はない。むしろ二人はじりじりとこちらに詰め寄って、その異様な光景に背筋が凍るような恐怖を感じた。
「うわっ!!」
目を覚ますとそこは、テントの中だった。夜明け前の薄明かりが差し込み、隣にはトモキが静かに眠っている。足元には迷彩色のリュックが置かれて、昨日は岩手県に入り公園で野宿をすることになったのだ。
「……なんだ。……夢かよ」
周囲を見渡して状況を確認し、現実ではないと理解したところ。それでも額には冷や汗が滲み、心臓の鼓動は速まっている。悪夢にうなされたようで、酷く寝覚めの悪い朝だった。
***
「東京は南なんっすから、下に進めばなんとなりますよ」
やけに自信満々な口ぶりで、トモキは急かし気味に言ってのけた。
「そもそも南がどっちかわかるのかよ?」
「当然っすよ!! 太陽が昇る方向っすよねっ!!」
流れで理解しているか問いかけるも、トモキの答えは完全に的外れなもの。
「……それは東よ」
訂正を入れるハルノは、異質なものを見る目だ。
学校での教育を受けていれば、最低限の知識と理解して不思議ない。それがトモキという人間なのか、なんとも彼らしい一面だった。
***
それでも地図や標識を駆使して、手探りながらも南下していく。
バイクを走らせ県道を進み、山に囲まれた景色を横にトンネルを抜けて。やがては人工的に切り開かれた谷間に、一つの集落が現れた。
「燃料、持つか?」
人の気配を感じないままバイクを走らせ、前方に【ガソリンスタンド】の看板を発見。メーターに目を向ければ針は下に、不安を覚えたところで呟く。
「今のうちに補給しておきましょうか。次、いつ見つかるかわからないわ」
後ろに座っているハルノは、反応をして進言する。
旅を続ける中でも一つ重要なのは、移動手段と足になっているバイク。ガス欠と燃料切れになってしまえば、最悪のところ立ち往生とそれは避けたい。
「俺は店内の様子を見てくるよ」
ガソリンスタンドへ静かに近づき、敷地内でバイクを止めて下車。
錆びついた給油ノズルに、割れた窓ガラス。人の気配は全くしないものの、こういう場所こそ屍怪が潜んでいる可能性がある。
「油断しないでね、蓮夜」
店内を確認するために一人で向かえば、ハルノは真剣な眼差しを向けていた。
ハルノとトモキにトミぽよは、外での見張りと警戒をする姿勢。ガソリンスタンドの店内は差程の広さなく、探索は一人で十分との判断だった。
***
店内の時間は止まったかのように、空気の流れすらなく静まり返っている。床には薄く埃が積もり、足音だけが微かに響く。白いカウンターテーブルの奥には、使われなくなったレジがぽつんと佇む。棚に並ぶカー用品はどれも古びていて、包装の色も微かに褪せていた。
何気なく自動販売機の前に立ち、なんとなくボタンを押してみる。しかしやはりと言うか、反応はまるでない。わかってはいるところ、電源が切れて久しいのだろう。置かれている雑誌ラックには、半年以上前の日付で週刊誌が数冊。ページをめくると当時のニュースや、どこか見慣れた広告が目に飛び込む。世俗的な出来事の記載は、今やまるで別世界に感じられた。
「……やっぱり、誰もいないよな」
想定内の事であるも自然と呟き、店内を一通り見渡し探索を続ける。
生存者の気配は感じられなくとも、決して油断をしてはならない。屍怪のいるこの終末世界では、どこで何が起こるかわからないのだ。
「ガソリンは地下のタンクに相当量が貯蔵されているって言うし。電気がないのは大変だけど。前にやったときと同じように、自力で給油するしかないな」
一通り店内の安全を確認し終え、給油方法について思考を巡らせる。
給油機の扉を開けてクランクを差し込み、グルグルと回して汲み上げる方法。停電時でも電気を使わずに給油する手段は、以前にも岩見沢で経験をして再び活かすときだ。
「んっ? なんだ、これ?」
カウンターテーブル上にあるメモ帳に、何か書かれているようで目に留まった。ただ自然と興味を引かれ、何気なく手に取ってみる。
【見た目は可愛らしくても、薄皮を一枚剥げば奴ら悪魔だ。信じてはいけない。気を許してはいけない。警戒をしなくてはいけない。気を抜けばきっと奴らは、知らぬ間に背後で立っている】
赤い文字で力強く書かれたその文は、警告のように感じられた。
「見た目は可愛らしいって、どういうことだ? 屍怪じゃないのかよ?」
思わず声に出して、相手を想像してしまう。
それでもやはり、対象となる相手は浮かばない。終末の日から際立つ脅威と言えば、屍怪を置いて他にはないのだ。




