第303話 函館37
「明日には出発か。展望台から見るこの景色も、時期に見納めだな」
函館山展望台の屋上から、眼下に広がる街の景色。初めてここを訪れたときとは違い、大火事の爪痕は深く刻まれている。
焼失した建物は至る所で黒く木屑となり、今では記憶を残像に取り戻せない部分は多い。それでも抜けるような青空は健在で、広がる海の青さも変わらずそこにある。大きく変わってしまったところあっても、広大さと雄大さは決して揺ぐことはなかった。
「それでも人間はしぶとい。というか、逞しいわよね。今まであった函館の街がなくなっても、みんなすでに前を向いているんですもの」
隣に立つハルノは以前に聞いた言葉を、よりポジティブに言い換えて微笑む。
函館山展望台から今は、多くの人たちが街へ出ている。その理由は焼けた函館の街を、これからどう復興するか調査をするためだ。
「街は焼けちまったけど、屍怪はほとんどいなくなった。これからは防護柵を築いて、農業や漁業を再開。新しい家を建てる計画もあるらしいし。ゆっくりでも確実に、生活圏を広げるって話だしな」
今は構想の最も初期の段階であり、まずは調査をして明るい展望を。人々は街を失うという絶望の中でも、決して希望を捨ててはいなかった。
「少しでもいいから私たちも、手伝えれば良かったんだけど」
ハルノの言う通り協力を申し出てはしたものの、明日には函館から本州へ向かう予定になっている。二人は今日一日を休むべきと諭され、函館山展望台に残る次第となったのだ。
***
「ねぇ……? 何か聞こえない?」
ハルノは耳を澄ましながら、視線を上空へ向けて言う。
言われてみれば、たしかに響く異音。それは終末の日を迎えて初めて聞く、プロペラが旋律するかのよう音だった。
「なっ!? ヘリ!?」
頭上に現れたのは鋼鉄の巨鳥さながら、黒い機体のヘリコプター。
「行きましょう!!」
駐車場へ向かったこと確認し、すぐに駆け出していくハルノ。
「ああっ!!」
遅れを取らぬよう即座に、走り出して後を追う。
函館山展望台に隣接する山頂駐車場は、約四十台規模の駐車場。先んじて到着し上空を見ては、ヘリコプターは着陸を試みる様子。機体のシルエットがはっきりと見えてくれば、黒く無骨な装甲に突き出た車輪。プロペラの強風が大気を叩きつけ、周囲の砂埃を舞い上げる。
「……」
着陸と同時にヘリコプターの扉が開き、誰かが降りてくる。
地面に下ろされたのは、黒のレザーシューズ。その上には長い白の靴下と、八分丈の黒いクロップドパンツ。白いシャツに袖のないベージュのタキシードベストを合わせ、首元には黄色の蝶ネクタイ。風に揺れる白髪はボリュームがあり、前髪が左目を完全に覆い隠している。
「メリル……!!」
背負っていた黒夜刀の柄に手を掛けて、緊迫感が高まり身構えずにいられなかった。
鋭く輝く赤い瞳に、透き通るような白い肌。身長は百六十代後半くらいで、スタイリッシュな雰囲気で非常に細身。西洋の血を色濃く感じさせる容姿は可愛らしく、一見して少女に間違えられても不思議ない人物だ。
「どうも、蓮夜さん。お久しぶりです」
柔らかく微笑みながら、一直線に歩み寄る少年。
名前はメリル・グランフォード。かつてジェネシス社の下部組織に在籍し、一つ年下で同僚だった過去を持つ。
「メリル……。生きていたのか?」
かつてジェネシス社に在籍していた頃、本当に様々な出来事があった。
最後に会ったときは、死んだとも思える状況。複雑な思惑や事情が絡み合う中、それこそ恨まれていても不思議はない。
「大怪我でしたよ。左目は失いましたけど、今もこうして生きています」
メリルが左目を隠している理由は、失った目を覆い隠すため。
かつては仲間だった時期があるも、最後には対立することになった相手。それがどうして今ここに現れたのか、その意図はまるで読めない。
「そんなに警戒しないでください。お互いに遺恨があったとしても、今は何もするつもりはありません。それに、当時はお互いに立場があっての話。今のボクはジェネシス社ではなく、イマニティという組織に在籍しています。だから、敵対する理由もありませんよ」
ピリピリとした空気を察してか、メリルは自然体のまま穏やかな笑顔で言った。
しかし相手が相手だけに、簡単に警戒を解くわけにはいかない。もし先に動かれ対応が遅れれば、取り返しのつかない事態になってもおかしくないからだ。
「メリル、どうして函館山展望台に来た? 何が目的だ?」
警戒を解けないのは、意図がまるで読めないから。
場所を知った上で来たのか、それとも偶然か。状況が不明瞭なままでは、安易に信用するわけにはいかない。
「函館山展望台に来たのは、調査のためです」
メリルはそう答えながらポケットから、一回り大きいイヤホンケースのようなものを取り出す。
そして蓋を開けば、飛び出す八匹の蜂。ケースに入れて生きているわけないから、きっと小型ドローンのような物だろう。
「それはそうと、蓮夜さん。知っていますか? 終末の日に、何が起きたのか?」
穏やかに問いかけながら、メリルの赤い瞳がじっとこちらを見据える。ヘリコプターや電子機器を使用できる環境を持つ以上、他の誰よりも多くの情報を握っていてもおかしくはない。




