第300話 黒木回想禄7
「今回の事は、今までの行いのツケ。自分で蒔いた種なら、自ら刈り取るってのが筋ってものです」
そう切り出して、相対す覚悟を決めたところ——。
「黙っとれっ!! 黒木君!!」
先ほどと並ぶ大きな声で再び、柳岡さんの怒声が鋭く響いた。
「ワシは今まで、いろんな人間を見てきた。努力をしても、報われなかった者。才能があっても、届かなかった者」
柳岡さんが語るのは勝負の世界にて、生きてきた者たちの成れの果て。
心・技・体いずれかが欠けても、プロの世界には到達できない。そんな過酷な現実を、柳岡さんは見届け続けてきたのだ。
「ワシもその一人じゃ。挫折をしてプロになることを諦め、それでも囲碁を辞められんかった」
プロ棋士に匹敵するほどの実力を持ちながらも、柳岡さんはその座を掴むことはできなかった。
才能があったとしても、勝負の場で勝ち切る精神力が足りなかった。柳岡さん自身がそう分析し、己の弱さを受け止めていたのだ。
「しかし、黒木君は違う。何にも臆することなく、勝負に向き合っている姿勢……ワシは思ったんじゃ。なぜ、囲碁を続けているのかと。そんなときじゃ、黒木君と出会ったのは」
じっと目を見つめながら、柳岡さんは話を続ける。
「何度も黒木君と打っているとき、ふと悟ったんじゃ。ワシは黒木君に囲碁を教えるため、囲碁を続けてきたんじゃと。人生をかけて伝えることこそ、それがワシの役目なんじゃと」
以前にも言っていた人生観を、柳岡さんはこの場でも話し始めた。
人の一生にはその時々において、果たすべき役目がある。柳岡さんは人生の集大成として、伝えることを最期の役目と位置づけていた。
「黒木君。君はなぜ囲碁を続けているんじゃ?」
柳岡さんの問いかけに、一瞬にして言葉が詰まる。
「……」
問い自体は単純であるはずも、すぐに答えが出せない。
「最初のきっかけは、ふとしたものじゃったろ。それに辞めようと思えば、いつだってそうできたはずじゃ」
言葉を繋ぐ柳岡さんの指摘はその通りで、始まりは偶然としか言いようがない出来事。それでも気づけば囲碁の奥深さに魅了され、いつしか人生の一部にまでなっていた。
「黒木君は見つけたんじゃよ。自分の道を。伝える立場を通してでも、ワシは見たいんじゃ。黒木君が進んでいく、道の先を」
柳岡さんは師匠という計りを超えて、未来を信じる者の姿勢だった。それこそ故に人生そのものを懸けて、定めた役目を全うしようとしていたのだ。
「おい!! ジイさん!! 怪我をしたくなかったら、すぐにその場から離れなっ!!」
第三者の登場に戸惑っていた不良たちも、次第に落ち着きを取り戻して復讐を果たそうとする。その覚悟はやはりとても固く、引き下がるつもりはないらしい。
「立ち去れっ!! 小童どもっ!! ここへ来る前に、警察にも通報したっ!! 時期に警官たちが駆けつけてくるぞっ!!」
柳岡さんの怒声は夜の空気を裂き、不良たちは目を見開いて困惑の様子を見せる。
「なっ……!! まずいぞっ!! ずらかろうぜっ!!」
最も動揺を露わにしたのは、青いパーカーの男だった。
「落ち着けって!! 本当に通報したかどうかなんてわからねぇだろ!!」
黄色いパーカーの男が苛立たしげに言い返し、宥めようとするも未だまとまりを欠いている。赤いパーカーの男が説得に加わるも、容易に落ち着きは取り戻せないようだ。
「黒木君。君はこんな所で、立ち止まっている場合ではない。そうじゃろ?」
混乱する不良たちを前に、柳岡さんは背中越しに語り始める。
その背中はとても大きく、強くそして温かい。すべてを見通しているような語りかけに、返す言葉を失ってしまった。
「どうせハッタリに決まっている。仮に本当だったとしても、サツが来る前に終わらせりゃいいことだ」
ギラリとナイフの刃を街灯の光に反射させ、赤いパーカーの男は距離を詰めてくる。殺気を隠さぬその瞳は、完全に理性を失っていた。
「ワシに構わず、行くんじゃ。黒木君」
にじり寄る不良たちを前にしても、柳岡さんは一歩も退かない。その背中が語っていたのは、ある種の覚悟だった。
しわがれた声、しかし全身から迸る熱。立ちはだかるその姿には、老いを超えた凄みがあった。
「行けえええええっ!!」
次の瞬間に柳岡さんは吠えるよう叫び、真正面から体当たりを仕掛けた。
「うおっ!? なんだこのジジイ!!」
「お呼びじゃねえんだよっ!! どけっ!!」
赤いパーカーと黄色パーカーの男は、勢いよく柳岡さんを引き剥がそうとする。
「ぐぬぅっ!! 退かんっ……!! お主らみたいな輩に、黒木君は渡さんっ!!」
赤いパーカーの腰にしがみついた柳岡さんは、まるで鋼の枷のように離れない。声を振り絞って歯を食いしばりながら、全身全霊の力で絡みついている。
「……柳岡さん」
決死の姿に断固たる覚悟を見て、思いを受け取れば胸を打たれる。
不良たちとの争いに参戦し、柳岡さんを助けるのは容易だろう。しかし当の柳岡さん本人は、そんなことなど微塵も望んではない。
「……っ!!」
争っている四人の横を抜けて、路地裏を脱出して走り出す。
明日はプロ試験本戦で、運命を左右する最終日。柳岡さんは影響が出ないよう足止め役となる姿勢で、行動を起こした意志を汲まねば男ではない。
「黒木が逃げたぞっ!! 追えっ!!」
しかし何がなんでも逃さぬと、赤いパーカーの男は怒鳴り声を上げる。
自らは腰を掴まれ動けぬから、代わりに追っ手となるは青いパーカーの男。柳岡さんが足止め役になろうとも、そもそも三対一の人数差。不良たちの意志も固いことから、容易に逃さぬとの姿勢だった。
「行かせるかっ!!」
しかし追っ手を阻むように足をかけたのは、またも足止め役を勝って出た柳岡さん。
バランスを崩した青いパーカーの男は、無様に地面へ転がり倒れる。完全な出遅れともなければ振り返ったとき、もはや追ってくる者の影もない。
「……柳岡さん」
明るい街へ向かい路地を歩くも、気になるのは先ほどまでいた場所。
しかし今は振り返っても、戻ることはできない。一抹の不安を抱きつつも柳岡さんの進言に従い、帰路へつくに夜の街を駆け抜ける他なかった。




