第299話 黒木回想禄6
「黒木。久しぶりだな。オレのことを忘れたわけでもないよな?」
赤いパーカーを着た先頭の男は、じっとこちらを睨みつけている。
その目には明らかな敵意が宿り、どこか含みのある口ぶり。喧嘩に明け暮れていた過去を思えば、恨みを持たれていても不思議ではない。思い当たる節があるかと問われれば、星の数ほど挙げられるだろう。
「年下のお前にやられて、酷くプライドが傷つけられたぜ。やっとこの積年の恨みを、晴らせるときが来たって話だ」
赤いパーカーの男は言いながら胸の前で拳を握り締め、背後では青と黄色のパーカーを着た二人が静かに構えている。
どうやらこの不良たちは、公園で何度となく復讐の機会を待っていたらしい。だが最近は不定期に訪れる程度で、決まった道を通るわけでもない。今日このタイミングで遭遇したこと、奇しくも単なる偶然という話だろう。
「やれやれ。いつまでも変わらず、愚鈍なことを」
今ではとっくの昔に、喧嘩からは足を洗っている。
そもそも過去の喧嘩にしても、自ら申し込んだものは一つもない。吹っかけられた喧嘩を片っ端から受けて、返り討ちにしていただけだ。
「なんだとっ!! 貴様!! もう一度言ってみろっ!!」
黄色いパーカーの男は踏み出し、高圧的な態度で拳を握り締める。
「おい、待て。ここじゃあ人目につき過ぎる。場所を変えるぞ。付いて来い」
しかし青いパーカーの男がそれを制し、冷静に周囲を見渡した。
二十時を過ぎた公園とはいえ、まだ完全に人通りが途絶えたわけではない。余計な目撃者を避けるためか、三人は示し合わせたように路地裏へと誘導していく。
「随分と更生したようだな、黒木」
人相の悪い赤いパーカーの男は、嘲るように口の端を歪める。
背後には高いフェンス、左右にはビルの壁が立ちはだかる狭い空間。ここなら誰にも邪魔されることなく、何が起きようとも外には伝わらない。すべて計画のうちといった顔で、男たちは不敵に立ち塞がった。
「喧嘩を受けていたのは、もう二年以上も昔の話。普通に生きていたならば、人は変わりますよ」
未だ喧嘩に明け暮れていたならば、人として全く成長していないだろう。
時の流れとともに、社会は変わっていく。今までなかった技術が生まれるように、人間とて肉体的にも精神的にも変化するもの。それでも過去に囚われる者がいること、全てを否定するつもりはない。
「オレは一度でも受けた屈辱は、どうしても晴らさないと気が済まない。ケジメはつけさせてもらうっ!!」
赤いパーカーの男が懐から取り出したのは、切れ味が鋭そうな小型のナイフだった。
刃物を持ち出したとなれば、ただの喧嘩では済まされない。人にナイフを向けること、戯れとは違うのだ。
「フフフッ。どんな小さな事も、一度した行動というのは取り返しがない。柳岡さんの言った通りでしたか」
ふと脳裏に浮かんだ言葉を思い返し、自然と笑みがこぼれる。
何気なく受け続けた喧嘩が尾を引き、今になって降りかかる復讐という火の粉。ある意味では因果応報の顛末であり、様子からしてただでは帰してくれそうにない。
「何を笑ってやがんだ!? 気持ち悪い奴だなっ!!」
黄色いパーカーの男は、不可解な笑顔を前にして思わず一歩引いた。
「しかしまさか、このタイミングとは」
「やけにおとなしいな。諦めて観念したか?」
身から出た錆と不運を嘆くよう呟けば、聞いて黄色いパーカーの男は勢いづく。
「観念した。と言ったら、許してくれますか?」
「んなわけねぇだろ!! お前にはこちとら、多くの苦汁を飲まされ続けているんだっ!!」
ものは試しに問いかけてみるも、赤いパーカーの男は激昂。怒りは鎮まるどころか激しさを増し、やはりと言うか溜飲が下がる気配はない。
「フフフッ。冗談ですよ。こちらとて悪くもないのに、頭を下げる気は毛頭ないので」
上着を脱いではゆっくりと腕を回し、臨戦態勢と喧嘩に備える。
一方的にやられるつもりなど、最初から微塵もない。やられたらやり返すこと、自衛のためにも有効な手段。 もはや始まりのゴングは、いつ鳴らされてもおかしくない状況だった。
「待つんじゃあ!!」
唐突に響き渡る怒声を前にして、一瞬その場の空気が凍りつく。
割って入ったのは、小汚い服装の老人。両腕を大きく広げ喧嘩を止めようとするのは、ホームレスの柳岡さんだった。
「柳岡さん。どうしてここに?」
「黒木君!! 君は何をやっておるんじゃ!! 君はこんな所で、油を売っている場合ではないじゃろお!!」
驚きつつ問いかければ、柳岡さんは今までになく大声を上げる。
あとから知るところによれば、公園で見ていたホームレスから一報を受けたとの話。明日はいよいよ、プロ試験本戦の大一番。そんな大事な前日に喧嘩など、まさに言語道断と慌てて駆けつけたのだ。
「なんだっ!? この小汚いジジイはっ!? どこから現れたっ!?」
予想外となる乱入者の登場に、赤いパーカーの男は戸惑いを隠せない。
それは黄色いパーカーの男も、青いパーカーの男も同様だった。計画的にこの場へ呼び出したまでは順調でも、第三者が入り込んでくるとは思いもしなかったのだろう。




