第290話 函館32
「黒木さんは本当に、犯人を知らなかったのかしら?」
ハルノは違和感を覚えたようで、眉をひそめ沈むような口調で疑問を呈した。
「……どういうことだよ?」
その思考へ至る根拠につき、具体的な意見の開示を求める。
「ヤマトの祖母を探しに千歳へ行くっていうのは、黒木さんが一線を退くための理由だとしてもよ。どうしてミサキが同行者だったのかしら? 屍怪がいる世界で長距離の旅なんて、危険が付きものに決まっているじゃない。ミサキは戦いが得意ってわけでもないし、戦力として数えるのは難しいはずよ」
ハルノが説明した疑問点には、聞けばたしかに納得できる。
あえて戦力の劣るミサキを、同行者に選ぶ理由は不明瞭。黒木さんの考えを想像しても、どこか腑に落ちない。
「ミサキが食料盗難の犯人と通じているのは、実のところほとんどわかっていたんだ」
不意に口を開いた仲村マリナは、冷静な声で言葉を紡ぎながら告げる。
「倉庫へ近づける立場にいる者、鍵の番号を知っていた者。そしてアリバイや動機。函館山にいる人たちも馬鹿ではないから、続ければ捕まるのは時間の問題と言えただろう」
仲村マリナの話が本当ならば、犯人を捕まえることもできたはず。
であるのに泳がせることをして、結局は逃がすような真似まで。果たしてそこに、どんな意図があったのか。
「動機について判断はできなかったが。それでも犯人として捕まれば、どんな目に遭っていたかわからない。当時は対立が激しくなる中で、過激な思考を持つ者もいた。それこそ酷い尋問や、粗末な扱いを受けていた可能性もある」
リーダー代行の仲村マリナでも、制御できなかったかもしれないと言う。
食料盗難は命に関わるもので、絶対に許されるものではない。それに何より身内にスパイがいるなど、人々を疑心暗鬼にして信頼関係に亀裂を生じさせる。犯人を捕まえて罰すること、当時は何よりの優先課題となっていたのだ。
「そんなとき黒木さんは千歳に、ミサキを連れて行くと指名をした。それは彼女を守るためでもあり、これ以上の犯行を防ぐためでもあった。黒木さんたちが旅立ってから食料盗難はなくなり、過激な思考は徐々に落ち着いていったんだ」
仲村マリナは同行者として、選んだ理由を語る。
自分に疑いがかかることより、結果としてミサキを守った形。陥れようとする犯人を守るなど、なかなかできることではない。これだけでも黒木さんという男の、人となりが見えるというもの。
「そういうことだったのか……」
説明を受けて犯人を捕まえなかったこと、同行者に指名した理由を納得する。それは疑問を持ったハルノも、同様に理解を示せるものだった。
「食料盗難がなくなってからは、一段と仲間意識の向上へ動く。函館山では揃って緑のターバンが採用され、対抗するように五稜郭では白いターバンが採用されたんだ」
仲村マリナは二人が去ってからの、二組の変遷を静かに語る。
黒木さんの行動の裏に、隠された数々の意図。それが徐々に明らかとなり、ようやく全貌が見えつつあった。
***
「やっぱり黒木さんに会って、直に話を聞きたいよな」
展望台屋上での話も一段落して、景色を眺めながら物思いに呟く。
「そうね。わかってきたことも多いけど、まだ見えていない部分もあるわ」
二人きりとなり隣に立つハルノも、どこか物思いにふけるような表情をしている。少しずつ全容は見えつつあるもまだ、霧が晴れないような疑問が残っていた。
「魚村拓海の件を、なぜ黒木さんは黙っていたんだろうな。もしみんなに話しをしていたら、今みたいな分裂や対立は起きなかったはずだ」
事件の詳細を語っていたならば、まだ疑問は重しのように残っている。口を閉ざした理由がわからなければ、黒木さんの真意を測ることは難しい。
「たしかにそうね。黒木さんが何を考えていたのか、私たちだけじゃ推測の域を出ないわ」
ハルノは意見に同意をしながら、思案するよう視線を空に巡らせた。
「函館山展望台に来てから、一度も黒木さんを見ていない気がするのだけど。黒木さん、どこにいるのかしら?」
本人に聞くべきと思ったようで、ハルノは居場所を問うてくる。
しかし展望台に来てからというもの、黒木さんの姿を目にしたことは一度もない。まるで煙に巻かれたかのようで、正直なところ全く見当がつかない。
「黒木さんのことなら、あの人に聞くしかないな」
師匠と弟子の関係であり、函館山組のリーダー代行。仲村マリナならば知っていると思い、ハルノと二人で再び訪ねることに決めた。




