第273話 函館15
「ふぁああ。眠てぇ……会議は十時からだろ? こんなに早くから準備をする必要あんのかよ……」
重たい目蓋に目を棒にしながら、欠伸をしつつ身支度をする。
時計の針は午前七時半を指しており、合同会議までまだ二時間以上。頭に体もまだ起きる準備が整っていないようで、目を擦りながら眠気と戦っていた。
「あるに決まっているでしょ。移動時間とか、安全確保もあるんだから。屍怪に遭遇したらロスもあるし、余裕を持っての出発は当然よ」
すでに完全覚醒しているようで、ハルノはしっかりとした口調で応じる。
今日の会議が重要なのは、当然に理解している。それでも自然と目は閉じそうになり、頭は重くぼーっする感覚。体がガクッと倒れそうになれば、まだとても眠気は抜けそうにない。
「一ノ瀬君の寝起きは、いつもこんな感じなのか?」
第二会議室に顔を出していた仲村マリナは、僅かながら呆れ気味に言った。
第二会議室は函館山展望台にて、寝床として借りている場所。長机を中央に椅子が並び、端には寝袋やリュックが置かれている。床にはクッション性ある灰色のカーペットが敷かれ、タイルと異なり意外と温かく不便に感じはしなかった。
「ええ、昔からこんな調子で。あまり成長していないみたい」
ハルノは冗談交じりに肩をすくめて、微笑みながら応えていた。
おい、勝手を言うなよ……。
頭の中で反論するも口には出せず、何より眠気が増さっている。ハルノと仲村マリナは笑っているようで、第二会議室は穏やかな空気が流れていた。
「マリナさん! 補給班から緊急通信です!」
しかし穏やかな空気を裂くように、駆け込んできたのは緑のターバンを巻いた男性。息を切らしながら緊迫した声で、部屋全体が一瞬で緊張感に包まれる。
「どうした? 何があった?」
「屍怪に襲われて……輸送車が動けないんだ! 早く救援をお願いしたい!」
仲村マリナは真剣な表情で無線機を取り、聞こえてくるのは焦りと恐怖に満ちた男性の声。
輸送車が動かずいるのは、函館市内のとある市街地。屍怪の襲撃を受けているのか、極めて危険な状況にあるようだ。
「仲間がピンチだ。助けに行かなければならない」
仲村マリナは真剣な顔つきで言い、眠気と格闘している場合ではない。
「五稜郭組との会議はどうするんですか? もし間に合わなかったりしたら、話が拗れたりしませんか?」
緑のターバンを巻いた男性は口を挟むよう言い、五稜郭組との会議が迫っていること頭をよぎる。
五稜郭組との会議は非常に重要で、少しの遅れが後々大きな問題を引き起こしかねない。それでも仲間が窮地に陥っているは、揺るぎようない一つの事実だ。
「救援には、俺たちが行きますよ」
「そうね。私たちで行けば、遅れてもそう問題にはならないでしょうし。早く片付いたなら、その後に赤レンガ倉庫へ向かえばいいわ」
自分たちが動くしかないと発言し、ハルノも頷きすぐに賛成の意を示す。目前の困難を乗り越えるためには、協力し合うことが不可欠である。
「……それでは、函館山組から一人を同行させよう。道案内としても役に立つはずだ」
仲村マリナは考える素振りを見せてから承諾し、地元の地理に詳しい者が同行者となる。
函館へ着いてまだ僅かな時間と、土地勘については心許ない。救援をスムーズに行えるようにと、仲村マリナからの配慮であった。
***
函館山組の案内役と緑のターバンをする男性を伴い、ハルノを含めた三人で函館市内を歩き救援へ向かう。
街の中心にはレトロな洋館や、モダンなビルが立ち並ぶ。過ぎれば新鮮な魚介類を扱っていただろう市場に、鮮やかな色合いの野菜や果物が並んでいたはずの青果店。手作りの雑貨を扱う小さな店あり、老舗のラーメン屋や【函館名物のイカ墨パン】と書かれたパン屋。
店員が元気に接客する姿が残像として残るも、今や屍怪の徘徊する終末世界の街。活気のあった面影だけを残し、重々しい静けさが街を包んでいる。
「救援要請が出された場所は、もうすぐのはずです」
案内役となる緑のターバンをする男性は、市内を歩き進める中で告げた。
ほどなくして出現したのは、銀色に輝くタンクを備えた大型車両。電信柱に頭から衝突しており、フロント部分は大きく潰れている。
「輸送車って、燃料輸送車だったのね……」
燃料を積んでいるとは想像していなかったようで、ハルノは口を開き車両の積荷に驚いていた。
「指定された場所って、この辺りなんだよな? 助けを求めていた人は……どこにいるんだよ?」
眉をひそめる事態であるも、状況を把握するため周囲を見渡す。
近くに倒れているのは赤と白の三角コーンに、さらに奥では乗用車同士が衝突している。静けさを感じる街で、ビルを前にして歩道に視線が留まる。
「間に合わなかったのかよ……」
歩道にて肉を貪っているのは、屍の怪物の化した者たち。五体が囲んでいるから全容は見えずとも、通信機器を持った手から救援者とわかる。
「……まずいわ。燃料輸送車から、ガソリンが漏れているわよ」
下唇を噛み悔しさが込み上げる中で、ハルノはさらなる悪報を告げる。
何かの拍子で火がついたら、爆発は免れないだろう。巻き添えにならぬよう一刻も早く、この場を離れる必要性がある。
「ここを離れよう。助けられる人もいないし、屍怪に見つかってもまずい」
できること何もなくなれば、爆発を含め留まるリスクは大きい。そもそも留まる理由はすでになく、撤退の判断に時間は必要なかった。
静かに撤退を開始して、三十メートルほど離れた瞬間。耳を突き破るかのよう、けたたましい爆音が響き渡った。
「くっ……」
反射的にハルノの手を引いて覆うように、爆発の衝撃と爆風に備える。
大気が震えた一瞬のあとで振り返れば、轟轟と燃え上がり黒煙を放つ燃料輸送車。火の手はあっという間に回り、周囲の建物へ移り広がり始めた。
「……火の勢いが凄いわね。下手をしたら五稜郭まで、いえ……街全体にも広がるかもしれないわ」
ハルノは火事の状況を見て、強く危機感を持ったようだ。言っている間にも炎は建物へ燃え移り、短時間で三軒は焼けているだろう。
「消火器を見つけたけど。……これじゃあ焼け石に水だよな」
路上にて偶然の発見をするも、勢いは増して鎮火できる規模ではないか。
黒煙はどんどん広がり、灰色に染まっていく空。赤く燃え上がる炎の進行は早く、危機感は恐怖へ変わり始めている。
「無理よっ!! ここで火を止めるのは不可能!! すぐに五稜郭へ行って、火事を知らせましょう!!」
打つ手がなければハルノは言い、緑のターバンをする男性は函館山に報告へ。
背後で火の手が勢いを増す中、ハルノと向かうは五稜郭。生存者がいると言うことだから、避難が必要になるかもしれない。




