第243話 地獄の谷26
「ヴガァァ……」
呻き声を発したまま、坂道を下ってくる屍怪たち。三百いた数の半数なれば、やはり目算で百五十ほどか。往路復路と両車線に広がり、一帯を覆い尽くす一団だ。
「屍怪が大沼湯に向かっていマス!!」
ウィルは声を上げて訴え、誰の目から見てもわかる事実。坂道を下って大沼湯の前に、転落防止柵を越えていく屍怪たち。
泥湯に足を取られては、前のめりに転落。泥に汚れた姿で足掻くも、深みに嵌れば脱出は困難。後続も前に習えば二の舞となり、屍怪は大沼湯の底へ沈み始める。
「大沼湯は泥状だから、嵌れば簡単には抜け出せない。それに深さもあるから、上がれず沈むことになる」
地獄谷にて徘徊する光景と異なり、次第に消えていく屍の怪物たち。
展望台から事態を眺めて、見守り続けること二十分ほど。百五十いた屍怪の大半は、大沼湯に飲まれ沈んでしまった。
「やはり物事と言うのは、思い通りに運ばないものだ」
展望台と背後に現れたのは、先ほどまで下にいた黒木さん。
「黒木さん!! 無事だったんですねっ!? どうやって逃れたんですかっ!?」
「フフフッ。屍怪の注意が逸れれば、基本的に隙だらけ。なれば逃げることも、そう難しくはない」
突然の登場に驚くところも、黒木さんは煙草に火を。表情を全く崩さずに、余裕を持ち言っていた。
クラクション音と発炎筒を意識し、注意が疎かとなった屍怪たち。黒木さんは隙を見て山道へ逃れ、展望台までたどり着いたとの話だ。
「頭の中で思い浮かぶことなんて、結局は読める範囲と身勝手なもの。良いことも悪いことも、時に想像の上をいくものだ」
想定外の事態に相対しても、黒木さんは見事な対応力を発揮した。
どれだけ策を練り万全を期そうとも、避けられぬ想定外は常にある。それでも瞬間に即座の対処能力は、まさに目を見張る素晴らしいものだった。
***
「ここで蓮夜たちとも、お別れデスネ。とても寂しく、残念に思いマス」
「みんなとも、せっかく仲良くなれたのに」
ウィルとエマは口を揃えて、とても別れを惜しんでいた。
消灯したままある信号機に、道路端に倒れた標識。見通しの良い十字路交差点の中心で、止められた白と黒の乗用車。真っ直ぐ先へ進めば函館方面で、右へと向かえばニセコ方面となる。
「落ち着いたらいつか、きっと会いに行くわ」
「えっ、えーっと。わたしも必ず」
言葉を返すハルノと同様に、ミサキも別れを惜しんでいる。
花村荘では赤色ジャージを着て、ラフな格好と地味な印象あったミサキ。今は着替えて膝上と短い茶色のスカートに、ピンクのカーディガンを羽織って内に白いシャツ。おとなしそうなイメージと異なり、少し攻めっ気あるファションに変わった。
「今までと違って車が使えるから、速度は上がって時間が短縮できるな」
二台の車にそれぞれ別れるは、函館組四人とニセコ組三人。
函館を目指すという黒木さんとミサキは、進むべき方向が同じと同行者に。ニセコへ向かうのはウィルとエマに加え、拓郎さんも一緒に行くことになった。
「今は無理でもいつか、花村荘は復活させてみせる」
拓郎さんは凛とした顔つきで、力強く決意を述べていた。
屍怪を地獄谷と大沼湯へ落としてから、揃って戻った花村荘。感染した女将さんの死は避けられず、敷地内の庭にて穴を掘って埋葬。全員が去る場で一人なら残れず、ひとまずニセコへ向かうことに決めたのだ。
「ボクらもできる範囲で、協力を惜しまないデス」
隣に立つウィルは胸を張って言い、二人が仲を深めるまでの経緯。
日本のアニメが好きであると、公言をしていたウィルとエマ。拓郎さんが荷物を整理する中で、部屋にあった多数のアニメグッズ。共通の作品につきファンであると共感し、急速に仲を深める結果となったのだ。
「忍者の魂にワンパーク。サムライの國と全て、どれも面白い作品デス!!」
ウィルが心を打たれたという作品は、どちらかと言えば王道に属する物。
「プリチュアも面白いよ。他にも魔法少女マニカとか、のんびり暮らしやコードギケスも好き」
エマは特定のジャンルにとらわれず、幅広く楽しむことを好むようだった。
「今の挙げられた作品は、全て円盤で持っている」
拓郎さんの部屋にはそれこそ、ポスターやフィギュア。王道の作品から萌え系まで、様々なアニメグッズが揃えられていた。
円盤というのはアニメ界隈で、DVDやブルーレイのこと。グッズを含め再生機はもちろん、今は使えずとも多少は持っていくとの話だ。
「黒木さんは別れる前に、何か言うことはないんですか?」
みんなより少し離れて、佇む姿に問いかける。
決して最期とは言わずとも、同じ時を過ごした者との別れ。次の機会がいつになるか不透明なれば、何か交わす言葉があっても不思議はない。
「他人に責任を押しつけず、自分で考えて決めることだ。他人を頼りすぎては、まず決断力を失う。そして次には、言われるがままと思考力。最後には指示なくして動けぬ、空っぽの人間となる」
黒木さんが別れ際となり、静かに言うアドバイス。
女将さんという圧倒的な存在を、頼りに生きてきた拓郎さん。ここから先は今までと異なり、一人で決断する場面も増えるだろう。
「信頼と依存は似て非なるもの。楽な方に流されては、後で大変な目に遭うことになる」
あくまで自発性を失うなと、黒木さんからの助言だった。
引きこもり生活から放たれ、変わってしまった終末世界に。再び元の鞘に戻らぬよう、黒木さんなりの激励である。
「ボクは大丈夫デス!!」
「エマも問題ないよ!!」
言葉を聞いてウィルは言い、エマも当て嵌まらぬか心配している。
「俺も大丈夫だよな? 基本的に自分で考えて決めているし。行動力もある方だと思うけど」
「私も心配ないと思うわ。でも最低限は、意識しないとかしら? 占いなんか信じやすい人は、きっと危ないわよね」
かくいう自身も不安になって、ハルノと揃って確認。例として挙げる占いは、洗脳要素の最たる話だろう。嗜む程度ならば問題なくも行き過ぎては、黒木さんの言葉に完全に当て嵌まりそうなもの。
他にも親離れ子離れできぬ者はもちろん、人間関係や物でも依存の対象は多く存在する。それこそ自分で考えて決断し、物事の取捨をしなければならない。
「時間的にもそろそろ、ここでお別れか。三人とも気をつけて。元気でな」
向かうべき目的地が違えば、それぞれ異なる道。寂しく感じるところあるも、いつまでも留まるわけにいかない。
「みんなも元気でね。バイバイ」
エマは助手席へ乗車して、走り出す中で手を振っている。
運転席にはウィルが乗って、後部座席には拓郎さん。空席スペースには三人の荷物が置かれ、長旅に備えて準備は万端だろう。
「行っちまったな」
「そうね。そろそろ私たちも、出発しましょうか」
ニセコへ向かった白い乗用車を見送り、ハルノと後部座席に乗って出発。
運転席には黒木さんが座り、助手席にはミサキが乗車。函館へ向かうに四人となり、車を走らせ新たな出発だ。




