第238話 地獄の谷21
「女将さん。体調は大丈夫なんですか?」
「ええ。まだそこまで、悪くはないの」
昨日は悪寒に全身を震わせ、顔色も青ざめていた女将さん。
屍怪に噛まれ半日以上が経過し、体調は現状維持と言ったところ。寒気などはある様子も、民宿にあった車椅子。赤い半纏を羽織って、膝上に茶色いブランケット。厚着をしての対処療法で、意識混濁など症状の悪化に陥っていない。
「あれ? 黒木さんは?」
発起人たる者の姿なくして、待合室を見渡して探す人物。
「あの、えーっと。黒木さんは、どこかへ行ってしまって。待っているなら、それもよし。先に始めるなら、それも構わないと」
理由は不明確なところあるも、ミサキは伝言を預かっていた。
「黒木は相変わらず、とても自由人デスネ」
またも居場所が掴めぬ状況も、ウィルは恒例と納得をしていた。
黒木さんは物事を逐一に、説明するタイプではない。バッテリー探しも当初は、一人で行っていたとのこと。協調性という面でやや欠ける部分あり、ワンマンなところがあるようだ。
「土砂を排除する作業は、今日って言っていたよな」
「そうね。ショベルカー自体は、もう動かせるって話よ」
確認のため昨日の出来事を話すも、相違なくしてハルノは応える。
テーブル上には無造作に、置かれたショベルカーの鍵。黒木さんがいないとしても、土砂排除は開始できる状況だ。
「早く始めてくれ。時間が惜しい」
拓郎さんは前のめりに、積極的な姿勢を見せる。
屍怪に噛まれ感染した女将さんには、あまり時間は残されていないだろう。最期だけでも貢献する姿を見せたいと、気持ちを察すること容易だった。
「黒木がいても、やることは変わりませんヨネ? ならボクは、始めてもいいと思いマス」
「エマも賛成。土砂を排除するなら、早く終わらせたいもん」
ウィルは作業の開始を容認し、エマも肯定的な意見をする。
「みんなが賛成するなら。とりあえずは、土砂崩れの場所まで移動をするか」
一人の決断なれば悩むところも、全員の総意であれば尊重。
拓郎さんはショベルカーに乗り込み、後ろへ続くよう揃って移動開始。女将さんに関して放置はできず、ハルノが車椅子を押しての同行となった。
***
「黒木さんはいないか」
民家と思わしき潰れた屋根の残骸に、横倒しになり土に埋もれた軽自動車。倒木なども巻き込み、道を塞ぐようある土砂崩れ現場。
黒木さんの姿を探して見るも、どこにも発見はできなかった。
「始めるぞ」
ショベルカーの運転席から拓郎さんは、もはや待つ気はないようだ。
「いつ来るかわからない中で、待っているわけにもいかないし。仕方ないな。始めるか」
集まった人たちの方向を見ると、やる事なく立ち尽くす姿。ただ時間を浪費するわけにいかず、ショベルカーを主力として土砂の排除作業へと移る。
アームが上へ向かっては、下りて土を掬うショベルカー。一杯になるほど多量を持ち上げて運び、人力ならどれほど時間を必要としたかわからない。
「さすがに器用だな。土砂を掬うだけじゃなく、アームで倒木も退かすなんて」
自由自在な操作を見ては、まさに資格を有する者。
アームの外側で倒木を押し退け、少しずつ開かれていく道。拓郎さんの技量も相まって、ショベルカーの活躍は想像以上だった。
「手伝うつもりでいたけど。見ているだけになりそうね」
作業を見つめるハルノは、効率の良さに驚いている。土砂崩れの現場へ向かうに際し、砂運び一輪車やスコップを持参。
しかし前線でショベルカーが活躍すれば、拓郎さんを除き全員が傍観者。人力とは異なる文明の力は、やはりとても偉大であった。
「……ん? ちょっと待ってくれっ!!」
ショベルカーにより土砂が排除される中で、開かれていく道に違和感。
土砂が下から突き上げるように、山なりに盛り上がった雰囲気。一瞬のことで気のせいかと思いつつ、作業を中断させて確認へ足を向ける。
「……」
違和感あった場所へ視線を向ければ、湿り気あって重そうな土。小石や草木も混ざっており、手作業での排除はとても大変そうだ。
「……」
全て気のせいかと自身を疑うも、不安を払拭できず逸らせぬ視線。
注意深く周囲に目を配る中で、再び山なりに盛り上がる土砂。違和感につき疑いの余地なく、やはり事は錯覚などでなかった。




