第224話 地獄の谷7
「みんな戻ってきたのね。もう夕食はできているから」
民宿の玄関に戻ったところ、女将さんと遭遇し食堂へ導かれる。
十人掛けの長机が左右に、定員二十名ほどの食堂。民宿というよりは、寮に似た雰囲気だ。
「パスタですか。美味しそうですねっ!!」
「言っても、材料が少ないから。乾麺とレトルトよ」
女将さんが調理したというのは、湯気の立つトマトソースパスタ。
「ボクは女将さんのパスタ。とても大好きデス!! みんなと違う、オリジナリティを感じマス!!」
「エマも。女将さんのパスタ好き」
美味しいと絶賛するウィルに、子どものように頬張るエマ。
女将さん特製パスタには、他にない隠し味が一つ。市販でも売られるコンソメスープの元を、密かに使用しているとの話だった。
「あまり危機感なさそうだけど。食料はどうしているの?」
「ボクとエマ。それに女将さんや黒木も加えて、時々は他所へ取りに行きマス」
ハルノが投げかける疑問に対し、ウィルはフォークを置いて答える。
登別と地獄谷の周辺には、十を超えるホテルや旅館。数は少なくともに民家に、コンビニやドラッグストアもある。そのため急場を凌ぐに問題なく、最低限の生活を送れているようだ。
「ここにいる間は俺たちも、協力しないとダメだな」
「そうね。長居するつもりはないけど。何もせずタダで、恩恵を受けるわけにいかないわ」
出会って僅か二日しか経っていないところも、ハルノと一緒に申し訳なさを感じた。
生きていく中で必要なのは、互いを尊重しての協力関係。一方的に利益を得るなど、対等とは離れ納得できない。
「あら、ミサキさん。居たのね。すぐに食事を持ってくるわ」
食堂の一角でひっそりと座る存在に気づき、女将さんはパスタを取りに厨房へ。
最も遠くの暗い席で、静かに座っていたのは女性。肩下まで伸びた黒髪を、両サイドへ結んだ三つ編み。赤縁の眼鏡をかけており、赤色ジャージは学校の指定着か。猫背で姿勢を丸くしているため、目立たず存在に気づかなかった。
「あっ、ありがとうございます」
女性は声を小さく恥ずかしそうに、それでいて申し訳なさそうに礼を言う。
「あの人は……?」
民宿に来て初めて見た顔となれば、それとなく気になる存在。
「ミサキさん? 三週間ほど前に千歳の方から、花村荘に避難している一人よ」
どこか人を敬遠している雰囲気あり、女将さんから聞く人物像。
女性の名前はミサキと言い、年齢は十七歳の高校生。物静かで人見知りな部分あり、自己主張はほとんどしないと言う。
「ねえ。ミサキ。黒木を知らない?」
「え、えーっと。すみません。いつもどこかへ行って、場所はわからないです」
エマは近づきフランクな感じで問いかけ、ミサキはオドオド慌てた様子で応える。
ミサキという女性は、まだ見ぬ黒木という人物の同行者。ならば居場所を知るかもと、エマは問いかけをした次第だ。
「大丈夫なのかよ? その、黒木って人?」
数こそ少ないと聞かされるも、外には屍怪もいるだろう。
時期に日暮れとなり、夜となる時間帯。単独行動との話だから、何かあった可能性も否定できない。
「黒木なら問題ないよ」
「黒木は本当に、とても強いデス。それに頼りにもなりますから、間違いなく心配はいりまセン」
エマとウィルは口を揃えて言い、大丈夫だと判断していた。どうやら黒木という人物は、とても信頼が厚いようだ。
***
「蓮夜!! 温泉に入りまセンカ!? 温泉へ入る機会は、滅多にないと思いマス!!」
食事を終えては廊下にて、ウィルが提案しての勧誘。
花村荘には源泉掛け流しで、使用可能な温泉があるとの話。たしかに湯船へ浸かれる機会など、終末世界では珍しく初めてのことだ。
「ねえ、ハルノ。エマたちも行かない?」
提案を聞いてはエマも同調し、温泉への入浴を勧誘している。
「黒木って人には会いたいけど。今はいないしな」
「きっと入浴している間に、戻ってくるはずよ。温泉へ入れる千載一遇の機会。仮に蓮夜が止めたとしても、私はエマと温泉へ行ってくるわ」
未だ顔を知らぬ恩人が気になるも、ハルノは発言にて断固たる意志を示す。
温泉へ入る機会など、逃せば次はいつか。全く想像もできなければ、意気込むハルノを止められるはずもない。
「今日はもう何かをするって、時間でもないか。なら部屋へ戻って、準備をしてから行こうぜ」
登別と地獄谷周辺の探索に、半日の時を要し夜も間近。ここは三人の望む通り、温泉へ浸かるのも悪くないだろう。




