第223話 地獄の谷6
「にしても、凄いよね。鬼の棲む地獄なんだって」
エマは地獄谷の風景を見つめながら、その由来について語っていた。
湯気が湧き上がり、泡立ち流れる熱湯。白く変色した岩山に、所々で露出する枯れた土。殺風景な風景には物悲しさもあり、まさに鬼の棲家と称され相違なく思える。
「谷を登るのは困難で、通れないのは理解できたけど。正面の入口。正規のルートはどうなんだよ?」
人の手が入らぬ自然相手なれば、進めぬことは納得した。
しかし登別の地獄谷と言えば、とても有名な観光地。当然にインフラ整備されているから、綺麗に舗装された道路もあるはずだ。
「……そうデスネ。説明をするより、見たほうが早いと思いマス」
悩んだ素振りを見せつつウィルは言い、揃って地獄谷からの移動を開始。
【開運祈願】と旗の立つ神社を前に、佇むは金棒を持つ赤鬼と青鬼の像。坂を下っていけば足元はレンガ調となり、商店街と観光商店のメインストリート。
「営業をしていなくても、雰囲気は残っているわね」
ハルノは顔を上下に左右を見渡して、少しだけ明るい表情を見せた。
【お土産店】や【温泉名物】と、掲げられた看板。店内は暗く営業していなくても、ガラス越しに見える商品。興味や好奇心から感情をくすぐられ、どことなく高揚する気持ちは理解できた。
「ねぇ。ねぇ。見て。この大きな顔」
エマが肩を叩き示す先には、暗い店内のショーウインドウ。
立っていたのは二メートルほどで、鮭を咥えた木彫りのヒグマ。繊細に彫られ見た目は立体感があり、本物と見分けがつかないほどの迫力がある。
「そう言えば、有名だったよな」
「登別と言えばで、よく聞くものね」
最低限の認知をしていれば、ハルノが言うはCM情報。独特の言い回しは耳に残り、宣伝効果は如実に反映されている。
「熊牧場だよね。小熊はテディベアみたいで、とても可愛いもん。蓮夜とハルノも見たくない?」
あえて言わず想像しなかった言葉を、エマは無邪気に発言し同意を求めてきた。
札幌から岩見沢へ向かう途中で、遭遇したヒグマのブラッドベアー。それはもう可愛いと言うレベルでなく、恐ろしいという一言に尽きるものだった。
「あー。俺はそこまで、見たくないかな」
「……私も。熊は苦手なの」
とてつもない経験をしたから、ハルノも同じ気持ちだった。エマに気を遣っては、揃って笑顔で遠慮。
管理をきちんとされていれば、問題ないと理解している。それでも根に凶暴性があり、野生においては猛獣。人との境をなくし共存は、容易な話でないだろう。
「可愛いのに。ねぇ? ウィル。ウィルはエマと一緒に、熊を見たいよね?」
賛同を得られずしてエマは、最後の一人に同意を求めていた。
ヒグマの凶暴性を知り、肌で覚えた恐怖感。トラウマとして植え付けられては、簡単に忘れられるものではない。
***
「ここが本来は、出口となる場所デス」
商店街やホテルなど宿泊施設を過ぎ、山沿いにてウィルが足を止めた場所。
民家と思わしき潰れた屋根の残骸に、横倒しになり土に埋もれた軽自動車。土砂は倒木なども巻き込み、道を塞ぐよう高く堆積している。
「人力でどうにかなるほど、簡単な話じゃなさそうね」
甚大な被害を前にしてハルノは、容易な事態でないと悟っていた。
自然災害というのはやはり、予想のできぬ難しいもの。どれだけ文明が進もうと、逆らい勝てるものではない。
「道を開通する方法、黒木が考えてイマス」
ウィルは諦める必要性は微塵もなく、頼みの綱に希望はあると言う。
谷から落下した際には、発見救出をしてくれた者。未だ顔すら見られていない、黒木と呼ばれる人物。滞在する民宿の駐車場には、黄色い車体で長いアームを持つショベルカー。整備をして動かすとの話で、整備後に開通させる算段らしい。
「にしても、屍怪を見ないな。ここにはいないのかよ?」
半日ほど登別と地獄谷を探索して、遭遇しなかった屍の怪物。これだけ広範囲を動き回って、遭遇せぬとは稀有なもの。
「半分は、観光している感じだったわね。こういう気楽なのも、偶には良いと思うけど」
拍子抜けな部分もあって、さすがのハルノも苦笑い。
どこへ行っても屍怪というのは、図らずして存在するもの。警戒を薄く各所を巡れて、楽しめるところたしかにあった。
「いないというわけでは、決してないデス。でも本当に、少ないと思いマス」
ウィルが考える土砂崩れにより、図らずももたらされた恩恵。
土砂崩れにより道は寸断され、外界から遮断された登別と地獄谷。出ること困難な状況なれば、屍怪の侵入も困難との話だ。




