第217話 港ある街16
「足元に気をつけて。もう少しで、出口に着くはずです」
全体をコンクリートで固められ、円形の形で伸びる地下水路。
道案内と先頭を歩く渚は、進行方向を懐中電灯で照らす。続く老人に老婆をサポートしながら、市外となる出口へ向かっていた。
「お疲れさま。手を貸すわ」
光の入るマンホールと地上にて、顔を覗かせているのはハルノ。先んじてマンホールの蓋を開け、出口となる周辺の安全を確認する役。待っていましたと、みんなに手を差し伸べている。
ハルノと渚に三人で動き、すべて事前に下見済み。地下水路の中でも通る経路を決め、ロスなく最短で地上へ出られただろう。
「二人を頼む。俺も後ろから支えるよ」
足腰の悪い二人を先に、サポートしての地上へ。
二人にとって久方ぶりの遠出は、相当に大変なものだったろう。屍怪という脅威を恐れて、銀行の金庫内に引きこもり。加齢に加えて運動不足も重なり、筋力に体力低下は顕著だった。
「屍怪の姿も見えないし。少し休憩してから行こう」
地下と暗く空気の悪い世界から、梯子を上って再び地上に。息の上がっている老婆と老人は、縁石に座って休んでいる。
「まさか、こんな大変な思いをするとわねっ!!」
「すまんのう。渚。苦労をかけて」
酷使であると老婆は愚痴を吐き、老人は手を借りて謝罪していた。
「大丈夫だから。体を休めて」
渚は特に気を病む必要ないと、心配り気遣いしていた。
「慌てずに、ゆっくりでいいぜ。周囲に屍怪はいないし。現れたとしても、俺たちが対処するからな」
地下水路から出口と決めた所は、見通しの良き開けた場所。
一本長く遠くへ続く国道に、光の灯らぬ静かな信号機。左手には緑の木々と自然があって、離れた所に海と海岸線。後方となる市内に建物は多くも、前方となればガソリンスタンドのみ。今もささやかに海風が吹いては、磯の匂いが周囲に漂ってくる。
「さすがに詳しいって、言うだけのことはあったよな。渚がいなければ、簡単な話じゃなかったぜ」
地下水路は迷路のよう複雑な部分もあり、案内役をなくして行くは困難。目的地を定めたとて、容易にたどり着けなかっただろう。
***
「これは、なんと……」
坂を登って民家の前へ着き、老人は驚きに言葉を失っている。
「俺たちも着いたのは、二日前なんですけど。ねっ!? 凄いでしょ!?」
民家を含めた庭など敷地全体を囲むように、展開されるは数多の刺がついた有刺鉄線。二メートル以上の高さあり、身長を優に超えるは圧巻。
初見にて驚きのリアクションは、想像をしていたところ。想定通りの反応なれば、自然と笑顔になってしまう。
「家の中にはメモがあって。自由に使って良いそうです」
説明をしては間もなく、敷地内へ入る一家の三人。
老人は目を輝かせ、家庭菜園の方向に。老婆は家内がどのような状況か、訝しそうな顔で拝見している。
「荷物も運んできたし。俺たちができるのは、このくらいで限界だ」
自転車に荷を乗せて運んでは、最低限の物もあるだろう。
敷地内の隅に、止めた自転車。瓦礫と廃材で足場の悪い海岸線より、津波被害の少ない内陸を走り戻ってきた。
「大丈夫。あとのことは、自分たちでなんとかするから」
移動を終え向き合う少女の渚は、少し穏やかな表情となり言っていた。飲料水や安全な住処を確保できても、食料など多分に問題はあるだろう。
それでも東京へ向かっているから、手を貸せるのはここまで。これから先のことは、自分たちで解決してもらう他ない。
「ありがとう。これからはワシらも、渚に負けずできることしよう。庭で野菜を育て、食料の確保。冬に向かうとなれば、とても忙しくなりそうじゃ」
家庭菜園のある庭を見てから、老人の覇気は以前と別もの。積極的な発言に目は輝き、性格すら変わって思える。
生きるだけの日々を送る祖父母に、渚が願っていた張りのある生活や生き甲斐。銀行から避難をしたことで、一つ目標を達成できたようだ。
「それじゃあ、俺たちは行くよ」
避難を完了させたとなれば、また東京という目的地へ。
「渚。二人と元気でね」
ハルノも別れ際に抱き合って、健康と安全を祈っていた。
「人はまだ信用できる証明。嫌っていた人間も、捨てたものではなかったですよね?」
「……ふん。そうかもね」
見送りにきていたところで目が合い、老婆は恥ずかしそうに顔を逸らしていた。
「近く寄ったら、顔を出してね」
渚はいつもローテンションで、小さく手を振り見送っている。
「ああ。元気でな」
自転車に乗って手を振り返し、東京へ向かって出発。
銀行の金庫内から移動し、市外の民家にて新生活。きっと三人で協力し合い、上手く生活を築けるはずだ。
「市外へ向かうだけでも、かなり厳しそうだったもの。函館へ向かうのは、とても無理だったと思うわ」
今回における移動の大変さから、ハルノは当時の人たちの心中を考察する。
『すまない』。とても苦しそうな顔をして、去っていく者たちの背中。終末の日から相応の時間を過ごし、元々は面倒見の良かった人たち。見送る側となった渚も、本意でないと恨みなど持ってはいなかった。
「無理をして連れて行っても、逆に苦しめるだけ。函館へ向かった人からして、やむを得ない決断か。余裕を失った終末世界が故に、悲しいすれ違いだったのかもしれないな」
それでも残された側からすれば、見捨てられたと感じて不思議ないところ。
とは言え一蓮托生と残っても、ゆっくりと締められる首。全員が救われる完璧な答えなく、都合の良い綺麗事を並べられない。正論を理解しても正確なく、優しさ思いやりで救えぬ現実があった。




