第216話 港ある街15
「……蓮夜。目と頭は大丈夫? どこをどう見たって、渚は普通に女の子じゃない?」
銀行まで戻りハルノに話すと、心身の性能を疑われる始末。
ハルノは出会った当時から、女の子と認識していたとの話。金庫内にてオルゴールを渡す渚は、帽子を取ってショートヘア。あどけない表情を見せる少女に、今では誤解だったと理解できる。
「着替えのときも、過剰反応だったし。何かおかしいとは、思っていたんだけどな」
「着替えを覗いたのっ!? ………最低ね」
うっかりいらぬことまで口を滑らせ、ハルノに軽蔑の視線を向けられる。勘違いから始まった失態を、重ねてしまう始末となった。
***
「壊していないだろうね?」
オルゴールを受け取った老婆は、全体を見回し状態を確認している。
屍怪と遭遇し渚宅の二階から、投げることになったボストンバッグ。オルゴールはタオルに包み、想定外の事態に最悪も覚悟。それでも道中にて状態を拝見し、動作も問題ないと確認済み。
「金庫内は防音性が高いし。聴いてみたら」
言って渚は金庫室の扉を閉め、回されるオルゴールのゼンマイ。手を離すとゆっくり回転して、動く中央の丸いシリンダー。
ポツポツとある突起は全て、計算し尽くされ設計。弾くと振動板が一枚二枚と浮いて、流れてくる優しい音色。それは誰もが一度は聞いたことある、結婚式でも定番とされる昔からの名曲だった。
「懐かしいのう。プレゼントされた日の記憶が、鮮明に蘇ってくるようじゃ」
オルゴールから流れてくる曲に、老人は涙を流し感激していた。
渚から見ては親でも、祖父母からでは子ども。考え抜かれ選ばれたプレゼントに、心の底から喜び感銘を受けたという。
「よかったね。オルゴールが戻ってきて」
「ありがたい。本当にありがたいことじゃ」
震える背中を渚はゆっくりと摩り、老人は崇めるよう頭を下げていた。
他者から見て普通のオルゴールも、思い入れある人なら別。涙を流すほど感謝感激してくれるのならば、リスクを負い遠出した甲斐があるというもの。
「約束は守るよ。アンタのことは、信用しようじゃないか」
今まで排他的であった老婆も、現物を前にして態度は軟化。
過去の経験から人間不信となり、排他的になっていた老婆。『アンタは』とあくまで個人を強調されるも、一つ信用を勝ち取ることできたようだ。
「今日はもう、いい時間だしな。何をするにも、動くのは明日。明るくなってからにしようぜ」
苫小牧市に到着してから海岸線を歩き、街へ入ってマンホールから地下水路。
渚宅にオルゴールを取りに向かい、銀行から市街地への往復。相応な時間を要しては、時期に日暮れの時間帯。銀行内のソファにて、一夜を過ごすことに決めた。
***
「ハルノ。そっちは問題ないか?」
中央分離帯を真ん中に、左右に二車線の道路。周囲には背の高いビル群が並び、苫小牧駅南口前となる通り。
「大丈夫。いないみたい」
間にある一方通行の通りを見て、脅威は去ったとハルノは言う。
昨日は数多の屍怪に追いかけられ、置いてきた自転車とリュック。時間の経過で離散したこと確認し、逃せぬ好機と取りに戻ってきたのだ。
「良かったぜ。自転車にリュックも無事だ」
昨日は多くに迫られた行き止まりも、今では屍の怪物なくして静かなもの。
自転車にリュックと触れていないのか、ともに変化なくそのままの状態。やはり屍怪という存在は、生き物にしか興味ないのだろうか。
「渚。地下水路を使って、市外まで行けるか?」
自転車にリュックを回収し、銀行へ戻り次のステップ。
「行けると思う。地下水路は複雑だけど、歩き回って理解しているから」
渚が地下に詳しいと聞いてから、頭の隅で当てにしていたこと。
地上をランダムに徘徊する屍怪と、遭遇せぬために地下水路。脅威なければ走って逃げる必要性なく、足腰の悪い老夫婦の負担も少ないと考えていた。
「地下水路に屍怪はいないの?」
ハルノが投げかける疑問は、単刀直入にして単純明快。
「屍怪は愚か人間だって、一度も見たことないよ。そもそも誰が好んで、地下へ行こうって言うのさ」
渚の言うところは最もな話で、津波被害の大きかった苫小牧。
当時は地下水路にも多量の海水が入り込み、全てを力のまま押し流しただろう。仮に地下住民がいたとして、無事であるはずがない。
「当てがあるとは聞いていたけど。地下水路の使用って、渚を頼ること前提だったのね」
避難につき詳細を詰めているところ、ハルノにチクりと背を刺されてしまう。
「……はは。まぁな。でも、いい案だろ。地下水路を行けば高確率で、屍怪と遭遇することはない。最良の方法だと思うんだ」
オルゴールの入手が大前提だったから、避難経路などは基本的に後回し。完全に他人任せな案は、多少の言い難さもあったところ。
それでも利用者である渚のお墨付きあれば、これ以上に安心の担保された経路はないはずだ。




