第202話 港ある街1
「磯の匂い。海が近くなってきた気配がするわね」
海風に運ばれ漂ってくる匂いに、ハルノは反応して視線を左へ。
ペダルを漕ぎ左側へ向かっては、生命の源たる青き大海。終わりの見えぬ、どこまでも続く水平線。僅かに波打ち光が反射して、キラキラと輝く海面。海岸線に立って見る光景に、心は僅かに踊り高揚させた。
「とりあえずは、フェリーターミナルを探そうぜ。海岸線をこのまま進んで行けば、きっと自然にぶつかるはずだ」
漁業が盛んで人口は十六万人と、北海道でも五指に入る苫小牧市。
訪れたこと一度もあらず、それでも船があるは港。土地勘なくも海岸線を行けば、自動的にフェリーターミナルへ着く目論見。
「海が近くなっただけあって、気温は少し落ちたわね」
「苫小牧は北海道でも、気温が低めって話だしな」
海風に吹かれ髪を揺らすハルノに、確実に下がった体感温度。
内陸では熱の逃げ場が少なくとも、海沿いなら風が抜けていく環境。気温が高くなり難いのは、地形的な背景を理にしているからだ。
「雪も少ないって話だったわよね?」
「ああ。除雪の苦労が減るなら、それだけで羨ましいって言っていたな」
ハルノも知る通り苫小牧は、北海道でも降雪が少ない場である。
日本で最北の場所に位置し、豪雪地帯の多い北海道。雪が多くて喜ぶのは、無邪気な子どもくらい。夜に積もった雪を、大人は早朝から除雪。通勤前の作業は大変で、重労働というのは周知の事実。
「街の風景。少し変だと思わない?」
ハルノが視線を向ける先は、海とは反対方向の街側。
「……まぁ、たしかにな」
街の端に位置する場所なれば、道路に草木と建物の少ない所。
それでも道路を塞ぐよう、中央に置かれるコンテナハウス。根本から折れて倒れる電信柱に、流木と思わしき禿げた木が二本。
「車の上にあるのって、これは海藻か?」
白い軽トラックのボンネットには、乾燥した緑や茶色の植物が目立つ。
「普通とは思えないほど、サビもかなり目立つわね」
海藻を退かして車を見るハルノは、銅や茶に変色した車体を見て言う。
塩害と決めつけるには軽々で、一線を越えたレベルの状態か。ボディのサビはボンネットから窓枠に、ドア部分やタイヤの回りと隅々まで。
「タイムスリップをして、古びた車を発見した感覚だな」
長い年月を感じられる状態なれば、まるでSFの世界に迷い込んだ心境。
終末の日から屍怪が出現し、そもそも浮世離れした日常。それでも見慣れぬ物の発見に、目新しさを覚えるのは仕方ない。
「見えたぜ。あれがきっと、フェリーターミナルだ」
定めた目的地へ向かうに、自転車を手引きして前進。見えてきたのは三階建てで、横に広く奥行きある赤い建物。
中央を半円形に突き出しては、ガラス張りのエントランス。今では無惨に全て割れているも、船の出港と着港をする海の玄関口。目的地として向かってきた、苫小牧フェリーターミナルだ。
「……んだよ。……これ?」
フェリーターミナル前へ着き、衝撃の光景に言葉を失う。
「……なんで陸地に、船があるんだよ」
フェリーターミナル前の駐車場にあったのは、太陽の模様が入った大型の旅客船。
全長二百メートルほどと推定しては、フェリーターミナルよりも大きい。七階建てはあろう高さは圧巻で、陸地にあり間近で見れば大迫力。
「蓮夜。駐車場だけじゃないわ。おかしいのは、……苫小牧の街全体よ」
旅客船の下敷きに潰れる車を見ていたところ、ハルノが目を向けていたのは市内の方向。
間隔が詰まって衝突する五軒の民家に、周囲にあるのは瓦礫と廃材の山。他にも家具家電や衣服に紙類と、道路を埋め尽くす圧倒的な量で散乱。路面が見えず足の踏み場もない景色は、市内の奥まで延々に続いている。
「船に続いて、こっちもかよ」
「札幌駅の前と、同じような感じかしら?」
どこもかしこも破壊的な光景なれば、ハルノは札幌に類似性を覚えた様子。
終末の日には札幌駅の地下シェルターにて、避難をして耐え忍んだ二週間。覚悟を決めて外へ出たとき、眼前に飛び込んできた光景。それは全てが瓦礫の山と化し、戦後を彷彿させるものだった。
「……わからなくもないけど。少し違う感じがしないか? 何軒も連なり衝突している家とか、船の座礁はどう説明するんだよ?」
札幌駅前で見た光景と比較し、異なる点も多く違和感。
札幌駅前では建物が崩れて、その場で瓦礫の山が形成された感じ。反面ここ苫小牧では見える一帯に広く散らばり、瓦礫に廃材も一ヶ所から出たと思えない。
「……そうね。なんらかの方法で、移動してきたとしか思えないわ」
ハルノも状況から推察をして、札幌とは違うと結論づける。
原因はわからずとも、目を疑う酷い有様。そしてそんな中でも、屍怪は変わらずいるだろう。
「こんな道路状況だと、自転車で走るのは難しそうだな」
路面に様々な物が散乱しては、走行するのはとても無謀。
割れて散らばる鋭利なガラス片に、木板から突き出たままある釘。踏んでしまえばまたパンクと、面倒事になるのは明白。
「自転車を失うわけにいかないわ。足元に注意を払って、手で押して進むしかなさそうね」
ハルノも道路状況を鑑み、慎重な対応を決断。進めそうな場所を選び、足元を気にしつつ前進。
動かせぬ障害物のある所は、回り道をして対処。進む速度を落としても、確実性を重視した形だ。




