第201話 分身の術
「休むにしては、少し早かったかな?」
日がまだ高い位置にあっては、まだ先へ進めそうな時間帯。
自転車がパンクをして、予期せぬトラブルはあった。それでも問題を解決済みなれば、先へ進むに障害はすでにない。
「地図を見て。苫小牧市まで、もうそう遠くないわ。大きな街だから、先読みも難しくなると思うの」
ハルノは地図を広げて示し、考えられる問題点。
街の人口比率に応じて、屍怪は増える傾向。苫小牧市は北海道でも、五指に入る大きな市。札幌と比較しては断然少なくも、岩見沢よりは間違いなく多い。
「苫小牧クラスなら、屍怪がいる可能性は高いもんな」
大きな街へ入るとなれば、人一倍の警戒が必要。
屍怪と化した者いれば、常に命の危険性。田舎にいるよりきっと、神経を擦り減らすことになる。
「寝床の確保も、きっと大変よ。今日まで二日も続けて、バスで座って眠ったのよ。落ち着ける環境で、久しぶりに足を伸ばしたいじゃない」
発言をしたハルノからは、本音が見え隠れする。
目的地を急ぎ目指すよりも、まずは目先の睡眠。たしかにバスに座っての就寝は、疲れが残りそうな環境だった。
俺は大丈夫だったけど。疲れを残したら、パフォーマンスを落としそうだしな。
どこでも眠れる能力なければ、比較して一般的な感性のハルノ。
現在の民家は有刺鉄線に囲まれ、警戒を薄く眠れる環境。先へ進んでも今以上を求めるは、間違いなく難しいだろう。ならば少し早くとも、心身を考え休みでよいと思った。
***
「ねぇ。分身って記憶の共有はしていないの? 本体が知っていることを、分身は知らない。逆もまた然りなら二人は、別の人間といえるんじゃないかしら?」
コミックス『忍者の魂』を読むハルノは、使用される忍術に疑問を呈している。
有刺鉄線に囲まれる民家にて、自転車の修理を経て一泊の予定。珍しく時間的な余裕ができ、二階の本棚にて見つけたコミック。週刊少年ショックに連載される、七十巻を超える大作。愛読するところの作品であれば、試しにとオススメしたのだ。
「どうだろうな? でも二人は同じ目的で戦い、倒されれば一人の体に戻るぜ?」
忍者の魂に出てくるのは、メジャーといえる分身の術。
主人公が戦闘時に使用するため、頻繁に出てくる得意な術。体を二つに分けて、各々に考えを持ち動くのだ。
「基本的に倒されているのは、いつも分身の方よね? 本体が先に倒されたなら、分身の方はどうなるのかしら?」
忍者の魂を読むハルノは独自の視点で、設定につき突き詰めを行う。
作品にハマり没入するほど、詳細を解こうとするは読者の心理。すでに思考が解読の境地に至っては、ハルノもすっかり愛読者といえるだろう。
「普通に考えれば、消えるんじゃないか? 本体が倒されて、残る道理はないだろ」
術者が倒されれば、術が解けるは当然。本体が倒れれば、分身が消えるは普通。
「でも、戦闘シーンでこの描写。主人公は右側に立って、分身は左側で構えている。手裏剣が飛んできて倒されているのは、右側にいる主人公で本体よ」
ハルノが指摘するところを見れば、たしかに本体が倒されている印象。
そして倒された本体は、分身へ戻り一つの体に。以降は一人の忍者として、普通に戦いへ戻っている。
「あくまで創作上の物語だから、配置や作画のミスとか? まあどうなっても、主人公が倒されるわけにはいかないだろ」
以降の戦闘シーンを見返しても、先に倒れているは分身。たった一度の話ならば、差ほど気にするところでもない。
「それより、こう考えるほうが普通じゃない? 分身の術を使ってから戻るまでは、どちらも本体。それならどちらか先に倒れても、残ったほうが意志を引き継げるわ」
ハルノが考察するところは、筋が通り面白いところ。
しかし本体が倒れているのに、分身が消えぬとは外道。それはもはや分身の術にあらず、分裂と言って相違ない。
***
「こちら函館山展望台!! こちら函館山展望台!! 現在の函館山には、多数の生存者ありっ!!」
忍者の魂と読書を楽しんでいたところ、唐突に響くは軽快な女性の声。
「なんだっ!?」
予期せず慌てる事態なれば、本を閉じて周囲の確認。
驚きよりも何より、最初に持つのは警戒心。終末の日よりサプライズは、悪いことのほうが多い。
「ラジオよっ!! ラジオっ!! 付けっぱなしだったみたいっ!!」
テーブルの上に視線を飛ばし、ハルノは声の発生源を特定する。
砂嵐も聞こえぬ周波数なれば、無音と気にならなかったところ。電源を落とさず放置していたようで、今になって電波を受信したようだ。
「助けてもらいたい人も、助けてくれる人もっ!! みんな函館山に集合!!」
まるで番組の企画か何かよう、明るい声にてラジオは切れた。
「なんか少し、……馬鹿っぽかったわね」
あまりに素直な感想を言うハルノは、珍しく歯に衣着せぬ物言い。
「でもだからか、悪意は感じられなかったな」
アイドルが放送をするよう重さなく、ラジオを流す目的も掴めない。
それでも生存者がいて、集まっている兆し。ラジオを放送できるほど、文明が回復している現実。大規模な人々で生活をしているなら、新しい社会の形が形成されているかもしれない。




