第15話 屍怪
夕山とは陵王高校の元同級生で、二年の秋頃まで話すことも多かった仲だ。事情は知らないが転校してしまい、こうやって会うのは久しぶりになる。
夕山の知り合いであると、こちらの素性は知れた。となれば老人の警戒心も薄れ、自然と気も緩んだ様子。
「ワシの知っている範囲でなら、話してやろう」
事の成り行きを話すと老人は言い、それなら全員で聞いたほうが良いと判断。別室にいる三人を呼びに行き、事務室に集まることになった。
「わかりました。事務室へ移動ですね」
「先人がいるなんてラッキーじゃね!? 事情も知れそうだし。何より、ここは安全そうじゃん!」
荷物をまとめ始める美月に、一つ好転と啓太は笑顔を見せていた。
「畑中さん。移動しますね」
再び畑中さんに肩を貸し、事務室まで移動。
移動中も畑中さんはツラそうで、時間とともに悪化しているよう思えた。
***
事務室前方が受付対応なら、後方は応接と事務作業の場。
皮製のソファが、向かい合うよう二台。間には透明なガラステーブル。上座には立派な机と椅子があって、あとはオフィスデスクが並んでいる。
脱ぎ捨てられた衣服に、空のカップ麺容器。ここは、かなり生活感があるな。夕山と老人は事務室を拠点とし、過ごしていたとみて間違いなさそうだ。
「まさかこんな所で、蓮夜に会うなんてね。予想もしていなかったよ。偶然って言うのは、本当にわからないものだね」
偶然の再会に、驚きを隠せないと夕山。
「……げっ!」
喉から絞り出すよう、忌避な声を発する啓太。出会い頭に夕山と対面しては、気まずそうな表情を浮かべている。
「どうかしたのか?」
怯えた素振りにも見える啓太に、疑問を抱いては質問。
「おいっ! 蓮夜! アイツと……知り合いなのか?」
肩に腕を回しては離れ、小声で質問する啓太。
「ああ。そうだけど」
この光景を夕山は、笑顔で見つめている。
「ああっ! そうだ! 畑中さんを! 休ませなくちゃじゃね!? ほらっ! せっせっと!」
顔を向けた啓太も、夕山と目が合った様子。ワザとらしく話題を逸らしては、事務室奥へ歩いていった。
「そっちに寝かせるとええ」
事務室の隅を、指差す老人。
事務室の隅には、もう一台。横になれるソファベッドがあった。
「やっと一段落だな」
ソファベッドに横たわる畑中さんに、皮製ソファに座る老人。
対面には、自身とハルノ。美月は畑中さんに寄り添い、啓太は上座へ。夕山は本棚を背に立ち、状況を見守っている。
「それじゃあ、お願いします」
全員の準備が整ったところで、嘆願。
「うむ。よかろう」
老人は事の顛末を、語り始めた。
***
四月二十日。札幌駅前にいた老人は、空から地上に降り注ぐ飛翔体を目撃。空襲のような爆撃を運良く回避し、大通り公園へ逃れようと走った。
しかし駅前は人々が阿鼻叫喚する、地獄とも思えるパニック状態。騒ぎに対応すべく集う、警察官に緊急車両。
「警察官は頑張っとたよ。『避難してくださいっ!』と、大きな声を上げてのう。しかし本題は……ここからだったんじゃ」
老人が足を向けた大通り方面からは、大勢の避難者が逆流。そしてその中には、『人を襲う者』が混ざっていたとのこと。
そのため老人は、大通り公園へ向かうことを断念。反対側となる北口方面へ逃げては、現在のビルに避難し籠城。『救助を待つ』という、決断を下したらしい。
「しかし、助けが来る気配は……一向にないがのう」
老人の話では、現在までの約二週間。自衛隊を含め警察も、救助は一切なかったらしい。
そのため老人は、外へ出ることも考慮した。しかし下へ続く階段は、夕山が逃げて来たときに崩落。非常口の扉は理由不明で開かず、ビルに閉じ込められていたとの話だ。
使用できる範囲は、ビルの二階と三階。それから上は、扉が開かず行けないのか。
まあビルに閉じ込められていた状況は、俺たちが入ってきたことで解消。今は外へ出られるな。
「扉の前に荷物が積まさっていたんだよ。そりゃあ開かないのも当然じゃん」
荷物を排除したのは、先行した啓太だった。ビルへ逃げ込む際に邪魔だと、早々に退かしたようだ。
「話を続けて良いかの」
話を再開する老人。今までの内容は、ある程度。想像できる範囲。そのため有益な情報は少ない。そう思っていた。しかし、ここから先が重要だった。
街に徘徊する異常者に噛まれると、同じよう『人を襲う者』に変貌するとの話。それは初めのみ使えた、ラジオによる情報。実際の経験からも、間違いないそうだ。
まるでどこかの……ホラー映画かよ。
現実離れした話に、疑いしかなかった。噛まれた人間がどうなるかについては、体温が下がって低体温症に類似する症状を発症。その後は完治することなく、死亡するらしい。
この『らしい』というのは、死んだはずの人間が動き出すからである。その事から屍の怪物。死んでいるかも怪しいとされ、『屍怪』と呼ばれているそうだ。
こんな突拍子もない話。はい。そうですか。って、簡単に信じられるわけがない。
だからと言って、今は他に……説明がつかないのも事実なのか。
老人は約束した通り、事の顛末を話してくれた。
衝撃的な現実に、誰もが言葉を失い沈黙。事務室は異様なほど静まり、重く停滞する空気に包まれていた。
「それなら……畑中さんは……」
畑中さんに寄り添う美月は、震える声で呟いた。
言葉を受け、全員の視線が畑中さんへ集中。
「そやつ! 噛まれておったのか!?」
驚き慌てた様子で、立ち上がる老人。
「感染者。なら、もうそいつはダメだ。殺すしかない」
表情を一切変えず、物騒なことを言う夕山。カウンターテーブル内側に、隠していた鉄パイプ。躊躇いなく持つと、畑中さんの元へ歩き始めた。
「……おい。……マジかよ!? そんなの正気じゃねぇって!!」
感情的に机を叩き、訴える啓太。
しかし夕山は、全く意に介せずといった様子。
「待てよ! 夕山! 畑中さんは、大丈夫かもしれないだろっ!?」
畑中さんの前に立ったところで、夕山の腕を掴み制止。思い止まるよう、訴えかける。
「蓮夜も止める気?」
そこで夕山が向けたのは、氷のように冷たい眼差し。事務室に漂う、凍てつく空気。ピリピリと肌を刺す、緊張感。全員が息を呑み、容易には動けなかった。
しかしそんな中でも、動き出す夕山の右腕。となればこちらも、力を入れ対抗。互いの思惑が反発し、意地となってぶつかり合う。
「そうですよ! まだ死ぬと、決まったわけではありませんよっ!」
互いに譲らず腕が震え出したところで、美月も思い止まるよう訴えかけた。
「そうよね。まだ死ぬと決まった……わけではないもの」
美月に続き、ハルノも同調。
「はぁ。わかったよ。でも覚えておいてよ。そいつは屍怪になって、僕たちを襲うだろう。そのときは――――」
「そのときは、俺が殺るさ」
夕山の言葉を待たず、自身の決断を宣言。
「オッケー」
すると目を丸くして、返事をする夕山。その横顔は、少し笑っているようにも見えた。